第13話(翠蘭視点)牡丹祭り
「またな、翠蘭」
そう言って、佩芳は慌ただしく去っていった。椅子に座っていた時間は本当にわずかで、ろくに話もできていない。
目の下にはクマがあったし、なにより、笑顔が少なかった気がする。
佩芳様、このままじゃ、倒れてしまうわ。
陛下が倒れ、飛龍が病になり、佩芳はずっと忙しそうにしている。正式な即位はまだだが、今、皇帝としての職務を果たしているのは佩芳なのだ。
せめて、飛龍様が元気でいてくれたら。
そして、二人が昔のように、仲良くなってくれたら。
願うだけで、自分にはなにもできない。ずっとそう思ってきた。それどころか、嫌われることが怖くて、深く踏み込むことすらできていなかった。
……だけど。
今の私は、もう一人じゃない。力を合わせようとしてくれる子がいる。
「小鈴。ちょっといいかしら?」
だから、私だって頑張るんだ。大好きな人のために。
◆
その日、翠蘭は朝から憂鬱だった。家を出る前に、行きたくないと泣きそうになったほどである。
とはいえ、翠蘭の我儘が通るはずもない。半ば強制的に馬車に乗せられ、翠蘭は城へやってきた。
毎年春に開催される牡丹祭り。その名の通り牡丹にちなんだ祭りで、国中から集められた演奏家や踊り子たちが出し物を披露してくれる。
それだけではなく、牡丹を模した様々なお菓子や食事が楽しめる楽しい祭りだ。
……あの風習さえなければ、私だって、大好きな祭りなのに。
牡丹祭りでは、参加する男性は一人一輪、牡丹の花を持っている。その花を、一番美しいと感じた女性に渡すのだ。
未婚の男女にとっては大きな出会いの場であり、貴族たちはこぞって娘を着飾らせる。翠蘭の両親とて、例外ではない。
だけど、私はおまけみたいなものだわ。
翠蘭は今年で12歳になる。三姉妹の末娘であり、長女は18歳、次女は16歳だ。どちらも、大輪の花を思わせるような艶やかな美女である。
昨年、二人の姉は大量の牡丹をもらった。きっと今年は、去年以上に大量の牡丹をもらうことになるだろう。
私は絶対、牡丹なんてもらえない。
お姉さまたちと違って、私は全然可愛くないんだもの。
裏で自分がどんな風に笑われているかは知っている。一人だけ父親が違うのではないかと、直接言われたことだってある。
いつもいつも、翠蘭はなにも言い返せない。ただ、引きつった笑みを浮かべるだけだ。
溜息を吐いて、手のひらを見つめる。ふっくらとした指に腹が立つ。姉たちの指は、すらりとした女性らしい形をしているのに。
お姉さまたちが花なら、私は饅頭だ。
◆
厠から戻ると、姉たちは大量の男たちに囲まれていた。既にどちらの姉も、抱えきれないほどの牡丹をもらっている。
その後ろでは両親が得意げな顔をしつつも、きょろきょろと視線をさまよわせていた。
皇子様を探しているのね。
牡丹祭りの開催に伴い、多くの貴族たちが城に招待された。貴族だけでなく、武人や裕福な商人もいる。
そしてあらゆる令嬢たちと親の関心を集めているのは、二人の皇子だ。
第一皇子の佩芳、そして第二王子の飛龍。
彼らから誰が牡丹をもらうのかに、参加者全員の注目が集まっていると言っていい。
去年は確か、どちらも牡丹をお渡しにならなかったはずだわ。
好みの女性がいなかったのかもしれないし、牡丹を渡すだけで騒ぎになると判断しての行動かもしれない。
とにかく、今年こそはと気合が入っている人が多いのは事実だ。
「お母さま」
声が小さかったのか、翠蘭の声は母に届かなかった。一瞬だけ目が合ったけれど、すぐに逸らされてしまう。
仕方ないわよね。こんな日に、私に構ったって仕方ないもの。
◆
居場所がなくなって、池の近くまでやってきた。近くには誰もいないけれど、少し離れた茂みには人の気配を感じる。
隠れて逢引でもしているのだろう。
「……帰りたいな」
水面に映った自分の姿を見て、翠蘭は深い溜息を吐いた。時間をかけて豪華な服を着たけれど、全く似合っていない。
他の娘たちに比べて、翠蘭は明らかに太っている。それほど大食いなわけではないから、体質的なものなのだろう。
太っているなんて、年頃の娘としては致命的だ。
「私が牡丹をもらえる日なんて、くるのかな」
両親は、姉たちを佩芳か飛龍と結婚させることを願っている。そしてきっと、それは実現するだろう。
だって、お姉さまたちは可愛いもの。
「そんなところに一人でどうしたんだ? 迷子か?」
いきなり男の声が聞こえて、翠蘭はびくっと身体を震わせた。
男の人は嫌い。だって、私を見ると、いつもがっかりした顔をするんだもん。
とても、あの姉たちと血が繋がっているとは思えない、って。
「おい。大丈夫か? 親とはぐれたか?」
目も合わせない翠蘭に対し、男は優しい声をかけてくれた。ゆっくりと顔を上げると、眩しい瞳と目が合う。
少し青みがかった、晴れた日の空みたいな瞳。
「べ、佩芳様……!?」
そこに立っていたのは、牡丹祭りの主役ともいうべき第一皇子だった。