“〇〇さん”ー弥也人の回想ー
【全ては突然に】
彼女は、突然目の前に現れた俺を、黙って引き受けてくれた。
彼女の知人の血縁というだけで。
彼女本人とは、赤の他人の俺を。
俺は、親戚かどうかも判らない家を延々と盥回しにされた挙句、この家に連れて来られて置き去りにされた身だ。
「お世話になります」
頭を下げる。
何日置いてもらえるだろう。
俺をじっと見下ろしていた彼女は、
「ま、適当に暮らせや。学校は行けよ」
とだけ言って、居間に引き返した。
色々無頓着な人。部屋も雑然としている。
「飯、何か適当にその辺の食って。コンロとかレンジも好きに使いな」
冷蔵庫には、中途半端な食材と、賞味期限が切れかけてるものが疎らに入っている。
彼女自身は、どこから見つけてきたのかカップ麺をいそいそと準備している。
俺は台所を一通り検分して、肉野菜炒めを作り、米を炊いた。
「へぇ、お前、調理はできるんだね」
とその人は笑った。
いつもみたいに紙皿を使おうとしたら、
当たり前のように食器を貸してくれた。
びっくりした。
そして、翌日から冷蔵庫の食材が増えたのにもびっくりした。
勝手に作って勝手に食う内、いつしか彼女の分も作らされ、気づけば一緒に食卓を囲むようになっていた。
茶色っぽい肉野菜炒めに白飯、粉末出汁と乾燥わかめだけの味噌汁。
そんな飯でも
「旨い」と食ってくれる。
色々無頓着というか、無関心。
食事も身の回りのことも。
でも、その彼女が
「献立リクエストをしてお前を困らせるのが新たな生きがいだ」
と笑ったのはいつだったか。
懐かしい。
【食卓】
一日、長くて一週間預かるならともかく。
ため息をつかれるのも日常茶飯事。
家人とは食事内容も食う時間も 別々。
独りで白飯と缶詰。
家人の食事の間、自分は台所の床に座って、カップ麺。
寝床もないから、持参の寝袋で、玄関の廊下で眠る。
別に珍しくない。
だから。
食卓について、自分の皿で、家人と同じ飯を食えるなんて。
部屋に布団を敷いて眠っていいなんて。
幸せだ。
この家で改めて思う。
【じつは彼女はできる人】
ある日、中学校から帰ってきたら、良い匂いがした。
なんと、〇〇さんが台所にいる。
鍋がコンロにかけられていて、テーブルにはすでにサラダが並んでいる。
「カレー?作ったんですか」と驚く俺に、
「久々だ、料理など。
私も昔はちゃんと生きていたんだがね」
と笑う。
サラダも具沢山で、彩りもきれいで。
「そのうち、料理を色々教えよう。お前は私より、筋がよさそうだ」
そう言ってその人は、
たくさんのレシピを教えてくれた。
簡単なもの、丼もの。名もなき家庭料理。
一汁三菜を組み立てられるような細々した惣菜。
レシピだけじゃない。買い物のコツも。
「献立は食材を買って考えるんじゃない、
考えて買え。……まぁ、なるべくな。お買い得品は、釣られすぎず、でも有効活用だ」
そして、なにより。
俺の料理を食う人がいる嬉しさと。
人との暮らしを教えてくれた。
【〇〇さんの料理】
「あ。今日、煮付け?」
玄関を入るなり、俺は訊いた。
魚の煮付けの、甘い汁のいい匂いがしたのだ。
いつも魚の煮付けにはごぼうが添えられていて、それがまた美味しい。
ちょっとワクワクしたのだが。
「ごぼうを味醂と出汁で煮ただけだ。今日は残念ながら、鶏カツだ」
〇〇さんがそう言って笑った。
【彼女の何周年】
「いつ、私の誕生日を知ったんだ」
〇〇さんは顔を赤らめている。
照れ半分と、少し怒っているな、この感じ。
あまり甘いものを好まないらしい彼女に、コーヒークリームのブッセを焼いて夕食後に出したらこれだ。
「先週来てた、ハガキに書いてありました」
俺がしれっと言うと、彼女はむっと押し黙った。やや間をおいて、言った。
「でもな、私はお前の誕生日を聞いてない」
いや、もちろん手続き等で知っているはずだが、敢えて俺は自分の誕生日を〇〇さんに言っていない。
変に気を使ってほしくなくて。
俺の誕生日なんて、誰も覚えてなくていい。
あれはただの、“生年月日”にすぎない。
「……忘れました」
俺がそう言うと、彼女はじっと俺を見た。
そして、ブッセをむしゃりと食った。
「旨い」
それは良かった。
俺はいつまでここにいて良いんだろう。
……〇〇さんに誕生日のスイーツを、あと幾度、作れるだろう。
【ある日の会話】
○○ さんが、食後にソファに座って言う。
「お前は幾つまでここに居るつもりだ?高校を出たあと、どうしたい」
俺は台所で食器を洗いながら答える。
「は?出ていけって?○○さんが、 居て良いって言ってくれる内は居座る」
○○さんはテレビのニュースを見ながら言う。
「出て行きたくなったら、 お前は 勝手に出て行くんだろう」
俺は答える。
「そうッスね」
○○さんが食卓に戻って、俺を見つめて言う。
「いつまで、私と暮らしてくれるだ
ろうね、お前は」
俺は、食後の番茶を淹れて持っていきながら答える。
「○○さんこそ。いつまで俺と暮らしてくれますかね」
【いつか来る日と判っていたけど】
飯だけは、ちゃんと作って食えよ。
貴女がそう言い遺したから。
作っています。
でも。
独り分は、まだ作りにくいです。
でも。
いつか、慣れてしまうのでしょう。
そして。
いつか、二人分作る日が来たら。
二人分は作りにくいと、
独りが楽だと、
そう思うのでしょう。
つくづく勝手だなと思います。




