秋、そして冬
【秋の夜】
「あー・・・そっか」
今夜は彼が居ない。仕事から帰った部屋は静かで、少し寒かった。
カップ麺のために湯を沸かすのも面倒で、夕飯を諦めて寝室に直行する。
「マジかよ」
黄色っぽい握り飯が2つ、机に置いてあった。
ラップに包んだ握り飯は、ドライカレーの混ぜご飯。冷えきっていても旨かった。
【それは定期的に】
「あ、かなり久しぶりのパングラタン」
俺が言うと、彼は少し考えて
「ん?10週間ごとぐらいに作ってるけど。あぁ、お前が留守の日を狙ってたな」
初めて“これ”にお目にかかったのは同居を始めて2ヶ月が経った頃だった。
「なんだ、これ」
彼が言うにはグラタンらしいのだが。
底からはマカロニでもライスでもない、
ふにょふにょぐにゃぐにゃした変なものが出てくる。味は、何つーか、離乳食。
「乾パンだよ。豆乳でふやかした乾パンに、具載せてソースかけて焼くだけでいいから楽なんだよなこれ」
ちなみにその時のはツナ缶が具で、おろした長芋とチーズがソースだった。
「非常食の入れ替えになるから、数カ月おきに作るんだ。覚悟しておけよ」
って言われたっけな。
でも俺の反応を見て、俺が食わなくていいように気を使ってくれてたのか。
俺にとっては半年ぶりの乾パングラタンを前にして、俺は少し申し訳ない気持ちになった。
「嫌いではないので大丈夫です、はい」
と言いつつ、チーズをすくって食べる。
あ、今日は立派なチキンが乗ってる。旨い。
「最初のインパクトが強すぎて警戒しちまったけど、旨い旨い、なんだ、乾パンもソース吸ってうまいじゃん」
と俺が喜んで食べていたら
「わかった。長芋のソースが苦手でツナじゃ物足りないんだな?
ちゃんと作ったホワイトソースとグリルチキンならお前の口に合うんだな」
彼は静かに言った。
……何か、その。すんません。
【自作冷食】
彼が不在の夜。“一食分冷凍してあるから”と言われた。
自作冷食があるって凄い。
冷凍庫を開けるとジップロックがずらっと並んでいて、ラベルに日付が几帳面に書いてある。
一番手前に、今日の日付の馬鹿でかい袋。
取り出してみると、 小分けにした焼き魚定食一汁三菜。
楽だし旨い。
有り難い。
【ひとりなのでー弥也人の呟きー】
今晩は飲み会で奴が居ない。冷蔵庫の食材掃除料理にする。作り置きの蓮根のきんぴらはもう食おう。大根の切れ端は昆布で炊いて、その鍋で続けて、中途半端に残っている野菜と青ネギ、余りの豚肉で汁物を作るか。春巻きの皮は、揚げ油を出すのは面倒だ、油を多目に塗って焼こう。具はツナなら何とかなる。調理開始だ。
【定番の好物】
がりっと衣は固めなのに肉はしっとり柔らかい。匂いは鶏と判るが、臭みは全くない。
彼の作る唐揚げは絶妙に臭い消しがしてあり、食べやすい。
もっと食べたい。
でも、我慢だ。余らせるのだ。
食べたいのを我慢する俺に
「そんなに明日弁当欲しいのかよ」と彼が少し笑った。
よし、明日は唐揚げ弁当だ!やったー!!
【手間】
俺がリクエストしたせいで彼はちょっと機嫌が悪い。
胡瓜と人参の輪切りを4つに小さく切る。じゃが芋の皮をむく。
玉葱の薄切りをざくざくと短く切る。じゃが芋をチンする間に胡瓜を塩もみ。じゃが芋を潰す間に人参と玉葱をチン。混ぜる。ポテトサラダ。彼曰く、食うのはいいが作るのは嫌だそうだ。
【俺の過去の飯】
我が家の定番夕飯。
専業主婦の母が作る飯。
カット野菜と、値引きシールのついた外国産の激安豚を、胡麻油で炒めた奴に白飯。
たまに、市販のスープか、コーンスープの素を湯で溶いた奴も一緒に出てくる。
牛乳で割ってあったら超ラッキーだ。
そんな飯に慣れすぎて、自炊でもその程度で済ませていた。
彼と暮らしてから、俺の食生活は本当に、彩り豊かだ。
【創作料理】
「今日の晩飯なにー?」
俺が訊いたら彼は首を傾げた。
やや間があって、
「鯖缶と玉ねぎに料理酒とヒハツぶっかけて炒めた奴をのせた丼」
と言って、彼は“それ”を出してきた。
白菜とワカメの味噌汁にだし巻き玉子、青菜のお浸し、柿と大根のなます。
そして、“それ”。
時々、こういう不思議なものが出てくる。
鯖のそぼろの丼とでもいおうか、無名の創作料理。見た目の割に旨い。
オニ鯖丼と俺が命名した。
【料理が好きとは】
例の同僚の彼女の口癖は
「私、お料理するの好きだから!」らしい。
「もっと色んな人に食べてもらいたいな!」だそうで。
同僚の彼女の友人女性と、俺。
そして同僚に頼み込まれた彼が、
ある日、同僚の家にお呼ばれした。
同僚の彼女が、自信たっぷりに手料理をふるまってくれた。
「どうぞ」
出てきたのは、星やらハートやらに切った薄いハムとプロセスチーズを、フランスパンに載せた“カナッペ”。
ソーセージとキャベツをコンソメの素で煮た“ポトフ”。
“ポトフ”は仰々しく、一人一人に卓上ミニコンロで温めて出してくれる。
ちなみにメニューは、その2品だった。
「演出が凄いな」と彼が呟いていた。
そんなポトフを食った帰り。
無言でスーパーに寄って買い物をして帰宅するなり、彼が猛然と調理を始めた。
鍋で、セロリとベーコン、玉ねぎにラム酒をかけて炒める。
その間に、一口大に切ったじゃがいもを予めチンする。そして、酒と胡椒で下味をつけた豚肉をリンゴに巻き付けていく。それらを合わせて鍋に水を足し、ローリエの葉を入れて煮込む。
自作の時短ポトフに、満足げにしている彼。
【俺の社員旅行】
秋の社員旅行は温泉宿。食事も豪華だ。
今までなら、旨い旨いとバクバク食うだけだったが、今年は逐一写真に撮って彼に送ってみた。
“ウニョっとしたモミジ!”
と送ったら、
“紅葉麩だろ”と返ってきた。
"義経鍋の合鴨肉、焼き飽きてなんか肉ばっか余った。もう皆鍋は食い終わったんだけど、もったいないなー"と送ると、"野菜の出汁で鍋にすれば?焼肉じゃなくて"と返ってくる。
確かに、その手があったか。
「え、何やってんの!?これ義経鍋だよ!?」
驚く同僚たちをよそに、〆の合鴨鍋を一人堪能した。美味しかった。
【宴会】
彼の家での宴会。
面子は年配の先輩と後輩と、俺。
飲み会には行きたいがあまり酒が強くない二人で、会社の宴会の、飲み放題に飽き飽きしているのだという。
「乾杯のビールもハイボールも、コップに1杯ずつで良いんだよ、料理も量がなかなかね」
「オレ、むしろもっと食いたいッス!酒より飯!」
というワガママに、
彼が渋い顔で
「一人5,000円、お前1万円で」
と宅飲みを了承してくれた。
グラスビールで慎ましく乾杯して、銘々にじゃが芋の冷製スープ。
あとは大皿料理を各自好きに取る。
グリーンサラダ、大根のなます、高野豆腐の七味餡掛け、ほうれん草のお浸し。
鰯の梅煮、白身魚のフライ、炒り鶏、豚とトマトソースの重ね焼き。
牛肉ともやしの柚子胡椒炒め。
和洋折衷に次々出てくる。
後輩がフライや豚の焼きものを特に喜んでばくばく食べ、先輩はどれも数口ずつ取って楽しんでいる。
コンロもレンジもグリルもフル稼働だ。
うちの常備菜の蓮根のきんぴらも大人気だった。
〆の炊き込みご飯を浚えても、後輩がまだ食い足りない顔をするのを窘め、先輩が言う。
「色々と手間をかけたね。お陰様で久々に美味しく食べられたよ。有難う」
先輩の言葉に彼も嬉しそうだ。
そして後輩に牛肉巻の焼きおにぎりを作ってくれた。
片付けながら、
「あの、先輩さんと後輩くんはまた呼んでいいぞ」と彼は言った。
【宴のあと】
例の後輩が、帰省土産を持って彼を訪ねてきた。
彼がいつも通り、淡々と料理を並べ始める。
いや、絶対これは張り切っている。
一応、客人だし、少しはもてなそうかと。
と嘯くが、少しじゃない。かなり喜んでいるし張り切って作っている。
後輩は、料理を食い入るように見ている。お預けされた仔犬みたいだ。
豆とトマトの温サラダと、ルッコラとワサビ菜のグリーンサラダ。スモークサーモンも載っている。
さっと湯通ししたタコの酢漬けにはにんにくとオリーブの微塵切り、バジルをオリーブオイルでまとめたソースがかかっている。
蕪と青菜の入ったコンソメスープは驚愕の旨さだ。
白身魚の白ワイン蒸しには、少量のバターと粒マスタードのソース。付け合わせはホワイトアスパラガスとブロッコリー。焼きパプリカとロマネスコ、セロリを付け合わせに立派な牛カツ。
ちょっと待て、やりすぎじゃないかこのフルコース。一皿の量は少なめだけれどもこの凝りよう。
でも、よく見たら、彼の皿の魚は小さい切れ端が2切れ、アスパラは半分。牛カツもかなり小さい。
気持ち多めの2人前で全品作って、3人に配分したのか。自分だけ少なめで。
後輩は幸いそれに気づかず、彼のもてなしを目いっぱい味わっている。ソースのひと滴までパンで拭って頬張る姿は、こちらまで幸せな心持がする。
何度も礼を言って、後輩が辞去する。
あいつのために有難うな。と俺が言うと、
久々に作ってみたけど、何とかなったかな。と彼。
お前の分、少し減らしてた?と訊くと、
あぁ、魚はもとから2切れしかなかったし、肉と野菜はコンソメ仕込むのに使ったからな。とのことだった。
後輩が持ってきた帰省土産は、クリームたっぷりのご当地蒸しパン。
半分冷凍庫にしまい込んでいる。
濃いコーヒーを淹れ、常温の蒸しパンを1つ開封している。
味は普通の蒸しパンだ。それでも彼は、とても美味しそうにかぶりつく。
自分に買ってきてくれたというだけで、嬉しいもんだろ
とコーヒーを啜って彼は言った。




