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彼との彩食  作者: 日戸 暁
第2章 合鍵と家と二人の飯
19/28

八月に寄せて

【真夏の歪みと揺れ】


夏の、ある金曜の真昼間。

突然の強い揺れ。


たまたま社外のビルにいた俺は、慌てて1階に逃げた。

ビルのエントランスは既に人で溢れていた。

繰り返す地震に、びりり、びりりとビルの自動ドアが不気味に鳴っている。


俺は今日は直帰しても構わないスケジュールだったので、会社にメールと留守電を残し、早々に帰宅した。


目指すは彼の家。

混雑する人波にもまれながら進む。

いや、思うように進めない。

暑さに喉が渇く。


外回りの俺のために、凍らせたスポドリのペットボトルを数本、彼はいつも持たせてくれる。


正直、重いけど、今日はあって助かった。


貰いものだといって、今朝、ひょいと渡された栄養食品的なスナック菓子もまだ残っている。


よし。歩こう。


道中の数少ないスーパーやコンビニからは、軽食や飲み物が悉く消えていて、何も買えなかった。


溶けたスポドリをちまちま飲む。この飲みさしのボトルのほかにあと1本、丸々残っている。

小腹がすいたが、スナック菓子はまだ残しておこう。


スマホの地図でみると、最初のビルから彼の家まで、歩いて1時間半の筈だった。

今地図を調べ直したら、ここからまだ1時間かかるとか。

もう、1時間以上、とっくに歩いているのに。



途中、何度も彼のスマホに電話したりアプリにメッセージを送ったりしてみたが、つながらない。

キャリアメールの、メッセージ問い合わせとやらも何度もしてみたが、彼が俺に連絡を寄越した形跡もない。

心配だ。

家にいるのだろうか。バイト中だろうか。

今彼がどこにいるのかも分からない。


結局3時間かかって、彼のマンションについた。

動かない自動ドアの横に、見覚えのある少年。俺を見て、ぱっと笑顔になった。

「あ、良かった、しし兄!」

血のつながりはないけれど、俺の一応弟だ。

部活帰りらしい、ジャージ姿。

「県のグラウンドから自分の家に歩いて帰ろうとしたけど、さすがに疲れて」

と、力のない声で言う。


いつの間にか、この子は、俺の苗字、獅々倉から、俺のことをししにいと呼ぶようになっている。


近所のおにーさん的な感覚のようだ。


俺は、こいつ、鵜野森 星也を、ほし と呼んでいる。

一応、戸籍上、俺とこいつは同じ苗字の筈だが、まぁ、いい。




自動ドアを手で押し開けて、ほしと共に、彼の家に急ぐ。


5階まで、何とか階段を上がる。


家に彼はいなかった。


でも、幸い、居室の電気ガス水道は無事で、エントランスの自動ドアはただの不具合だった。良かった。


「グラウンドと家の途中に、やと兄の家があってよかった」

と疲れた顔でほしは笑った。


彼の名前がみやとだから、やと兄だそうだ。ほしは彼のことも慕っている。

あの春以来、何かとほしもうちの父も、ここへ遊びに来る。



父に連絡がつき、ほしと俺とみやとの安否を気にする父に、「ほしは家で預かる」と伝えた。

他県に出張中の父は、今日帰ってくるはずだったが、地震の影響でしばらく帰れないかもしれないとのことだった。

ほしの実母は持病のため、入院加療中で、ほしは今自分の家に帰っても一人になってしまうのだ。

流石に、発災時に子ども一人にはできない。


「まだ、やと兄に連絡つかないの」

不安そうにほしが言う。

そう。ずっと連絡がとれずにいる。

頼む。無事でいてくれ。


夜。

冷凍庫の美味しい作り置き惣菜を、ほしと二人で食う。無言でただ食べる。

結局その日、彼は帰ってこなかった。


翌日。

発災2日目。

知っている限りの、彼のバイト先に電話をかけたが、彼の行方は判らなかった。

朝と昼で、封のあいていた食パンを食べきる。

冷蔵庫の常備菜も食った。

野菜炒めも作って食った。


夜は冷凍庫の美味しいやつを食べた。


地震の被害は大きく、ニュースは死傷者の報道ばかりだ。



発災3日目の朝。

ほしが妙に早く起きて、テレビのニュースを睨んでいる。


“72時間”がどうのと煩いニュースだ。


ほしは、卵かけごはんを作って食べ始めた。

玉子の賞味期限は明日だ。

「冷凍庫の、好きなの食えよ」

というと。


「冷凍庫のは、やと兄の作ったやつだから、大事に取っとく」

とほしは難しい顔をして言った。


その日、ほしはもう何も食べようとしなかった。

「やと兄が作ったやつは、置いておく」

の一点張り。

水分はしっかり取らせたが、この真夏に心配だ。

どいつもこいつも、心配ばかりかけやがる。


彼からは全く連絡がない。




4日目の夕方。


俺の父から連絡があった。

夜にここへ来るという連絡のついでに、「病院の妻は無事で、元気にしていたよ」と報告してくれた。

震源地から離れているので、この辺りはもう、電車も通信も復旧している。

ほしも、実母の無事を知り、少しは安心したようだった。


夜。父が持ってきてくれた缶詰の焼き鳥とツナ缶に、白飯を炊いて食べる。質素な食事。

家の冷蔵庫にはもうほとんど何もない。冷凍庫の惣菜が頼みの綱だ。

商店街に行ってみたが、店の大半が閉まったままで、スーパーにも品物はなかった。


塀や壁が少し崩れた建物はあるが、この近辺では死傷者はでなかった。

なのに、彼からは一向に連絡がない。


父も心配してくれたが、家の様子を見に一度帰るという。

ほしは頑として「ここに残る」と言い張った。そして、彼の部屋で早々に休んでしまった。すすり泣く声が聞こえるが、俺はどうしていいか分からなかった。


その真夜中。

がちゃがちゃ、と家の鍵が鳴った。

彼のベッドを占領していたほしが飛び起きる。


「あれ。ほし、なんで」

呑気に帰ってきたのはもちろん彼で。


「やと兄、やと兄!!」

しがみついてくる少年に辟易しながら、彼はてけてけと洗面所に向かい、何事もない顔をしてのんびり手など洗っている。


「お前、居たのか。家は大丈夫か」

彼の、俺への第一声がそれで、俺は思わずかっとなった。


「お前な!何日も連絡しないで、どれだけ心配したと思ってる」

怒鳴ってしまい、ほしが怯えたように、俺と彼を交互に見ている。


「あぁ、そういえば。電池ないわ」

俺の怒りもどこ吹く風で、彼はスマホを充電する。


「せめて、家に電話しろよ。公衆電話もなかったのか」

苛々と言い続ける俺に、彼が首を傾げた。


「この家に、どうしてわざわざ電話するよ。誰もいない家にさ。

お前がまだここに居ることに俺は驚いてるってのに」

彼がそんなことをいうものだから、俺はますます怒ってしまった。

彼の胸倉をつかみ、廊下の壁にたたきつける。

「お前の身に何かあったんじゃないかって、どれだけ俺もほしも心配で、不安でっ!」

言い募る俺の手を払い、彼は冷めた目で言った。

「ほしの前ではやめろよ、怯えてる。

お前は仕事中だったろ。出先で何とかするか、家に帰るか……少なくとも俺がここに居ないと判った時点で、自分の家に帰ればいいだけの話だ。

地震のあと、俺もいないこの家にいたって、お前に何のメリットがある」

あんまりな言葉に、俺は何も言えない。


「やと兄は、しし兄のこと、嫌い?」

ほしの声が震えている。


彼は、ほしを見つめ、しばらく黙って考え込んだ。

やがて、ゆっくり言葉を探しながら答えた。


「嫌いじゃ、ない。嫌いだったら、そもそも家におかない。

……あと、誰かが俺を、こんな風に、…心配してくれることなんて、ずっと無かったから。

そういうことに、全然俺は気が付かなかった」

ぽつぽつと彼が静かに言う。ほしは、それを賢そうな顔で聞いている。


「オレも、心配したよ。やと兄が帰ってこないから」

ほしが、彼にぽつりと言った。


「ごめん。……ありがとう」

彼がほしの頭をぽんと撫でた。


「お前も無事で、良かった。……お前も」

ほしに言うついでに、彼は俺にもそう言ってくれた。




翌朝。

家の物置の引き出しと、彼の部屋に、備蓄食料がたくさんあるのを教えてもらった。

彼は手軽に混ぜご飯やパスタを作ってくれた。




物流が戻るまで、これで何とかするさ。


と彼は別に困った風もなく言う。


ほしはその日父が改めて迎えに来て、家へ帰っていった。


父の家のあたりも物流が途絶えているとぼやいていた。


彼が水や缶詰、冷凍庫の惣菜なども保冷バッグにきっちり詰めて父に持たせてくれた。


後日。

やっとスーパーに野菜や肉が戻ってきた。

久しぶりのまともな食事を食いながら、俺は彼に伝えた。


ほしがどれだけ彼を案じていたかを。

迎えに来た父と一緒には帰らず、彼を待っていたことを。

やと兄のご飯をもう食べられないかもしれないと思い、食事を摂ろうとしなかったこと。


彼は何も言わず、じっと聴いていた。


何も答えず、食後の水仕事を終えて、再び居間へ戻ってくる。


そして。

「正直、おまえやほしが、あの状況で、俺のことを考えてくれるとは思ってなかったんだ。……本当に、悪かったと思ってる。あと、ありがとうな」

彼はそう言った。

「〇〇さんしか、俺にはそういう人はいなかったんだ。心配しあえるというか、お互い頼れるというか。

いざって時は、結局一人で何とかしなきゃならないものだろ。

だから相手も、自分で何とかしてるだろうって思っちまうんだ」

凄くそれは寂しい考えな気がした。

でも、彼の生い立ちも何も知らない俺が、彼のその考え方に何か意見するのは違う気がして。

「何かあったら、もっと俺のこと頼れよ」

俺はそう言うのが精いっぱいだった。


「そうだなぁ。お前に頼られてるとは思ってるよ」

と彼は笑った。




【◯◯さんに会う】


八月も半ば。俺は夏季休暇中だ。


「今日は、○○さんに会いに行く」と彼が言った。

弁当箱にせっせと詰める惣菜は、普段は作りたがらない、手間のかかるものばかり。

お手製弁当持って会いに行くほどの相手とは、いったい誰なんだ。

「それも、その ○○さん用なわけ?」

俺が訊くと、

「…… 気になるならお前も来い。紹介するよ」と誘われた。

途中で綺麗な花束まで買って向かった先は。



何と恥ずかしい勘違い。

帰りに寄った公園で弁当を広げ、彼はぽつりぽつりと話してくれた。




【夏の告白 料理番の呟き】


今ね、人と暮らしてるんです。

貴女のあの家で。

貴女が教えてくれた飯とか、色々作ってます。

朝晩、一緒に飯食ってくれるんですよ。


今朝ね、貴女の好物弁当作ってたら、

妬くんですよ。


仕方ないので連れてきました。

此奴ね。

もう暫くは一緒にいるかと思います。


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