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彼との彩食  作者: 日戸 暁
第2章 合鍵と家と二人の飯
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ここは“地元の”商店街

合鍵をもらった翌週、土曜の午後。

家事を終えた彼が、リュックを背負ってふらっと出掛けてしまった。

「どこ行くの」と訊いても、「適当に」とだけ言って、さっさと行ってしまった。


取り残されて暇な俺は、近くの商店街を散歩することにした。

近いのに、来るのは初めてだ。

通勤時にこの道を通るが、その時間に店は開いていないのだ。



朝晩しか通らない俺は、この商店街をシャッター通りだと思っていた。

シャッターの下りた店は実際多いが、思っていた以上に色々と店は営業していた。個人営業らしいカフェもある。


と、突然、知らない人に声をかけられた。

それも、彼と住んでるお兄さん的な呼び方をされた。

誰だ、このお婆ちゃん。

俺が困り果てていると、お婆ちゃんは、笑いながら向こうへ行き、どこかへ電話し始めた。


ほどなくして、彼が通りの向こうから駆けてきた。

お婆ちゃんに頭を下げ、何か言っている。

お婆ちゃんがけたたましく笑い、俺にまで手を振って去っていった。


「お前、買い物してたの?あのお婆ちゃん、誰?」

と訊く俺に、彼はため息をついた。

「お前なぁ……」

と呆れられる。聞けば、彼の住むマンションの、管理人さんの奥さんだそうで。


管理人さんなら、俺らのすぐ上の居室だ。

一度、彼と一緒に管理人さんの家に行って、玄関先でご夫妻に挨拶はしたけど、あんな気さくな人だったっけ……?


「ミスミさんにはお世話になってるんだ。お前も、あの家にいるつもりなら、覚えとけよ」と彼は言った。


あの家。

少し引っかかる言い方だが、突っ込まないほうがよさそうだ。

「俺はもう少し店回る」と言い残し、彼は行ってしまう。


その後を、俺は少し距離を開けて追う。

彼は時折、俺を嫌そうに振り返っていたが、俺を追い払いはしなかった。


安いスーパーで、牛乳だのラップだのを買い、今度は小さい肉屋に向かった。

さっき通った時にはこの肉屋に気づかなかった。

向かいの八百屋、その隣の“学校指定用品あります”の張り紙が目立つ文房具屋にも、俺は気づいていなかった。


「おとーさん、〇〇さんちの僕、来たよー」


肉屋のかみさんが店の奥に叫ぶのが聞こえる。

彼が少し顔を赤くして、咳払いなんてしている。

「いい加減、その呼び方やめたげな」

肉屋のおじさんがおかみさんを窘める。

彼が気まずげに俺を振り返る。そして、

「あー。あの、……遠縁の親戚です」

と投げやりに俺を紹介してくれた。俺も名乗って、軽く頭を下げる。


「〇〇さんとは関係ないんで」と彼が付け加える。

納得したように、肉屋の夫婦が頷いた。

「最近よく買うと思ったら、同居人か」

肉屋のおじさんが笑う。彼は黙って肯く。

「はい、豚こま切り落とし、500g」

いつもの豚こまはこの店のだったのか。なかなか旨いやつ。


彼が、印伝の革財布から代金を支払う。

肉屋を出て、家の方へ向かって商店街を進む。

行く先々で、○○さんちの僕、と彼を呼ぶ店の人がいて、彼がその度に俺を紹介した。

食料品や日用品を買い、一緒に家へ帰った。



「町の人に、すげぇ知られてるんだな、お前」

「だからお前と買い物行きたくねぇんだよ」

かなり不快そうだ。

買ったものを冷蔵庫や物置にてきぱきとしまい、彼は自室に引きこもった。


彼の名乗っている苗字は、〇〇ではない。それでも、彼は○○さんちの僕らしい。



それが、彼にとって、良いことなのか、悪いことなのか、俺には判らない。


肉屋のおじさんは、その呼び方はいい加減やめろと奥さんに言っていたけど。


○○さんについて、俺は彼から教えてもらえていない。

この家の、前の住人。彼と同居していた人。

彼がちらりと口にしたことや、商店街の人の話から分かるのはその程度だ。




○○さんについて、俺が知るべきか否かも判らない。


そもそも彼自身が何者なのかも、実はよく知らない。


彼について、俺は自分の従兄の七緒ななおから、

七緒の従弟にあたる者と聞いている。


それだけだ。



俺にとっては、彼は。

旨い飯を食わせてくれる、年下の同居人。


たぶん、今はそれで充分だろう。


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