第6話:黒鉄の牙
傭兵組織、“黒鉄の牙”には幹部を含む一握りの者しか知らぬ、地下拠点が存在する。そこで彼らは月に数度集まり、仕事の報告や今後の作戦についての会議を行う。
会議室は既に集まっていた幹部たちによって静かな緊張感が漂っている。テーブルには一番奥の豪勢な椅子を除いて、全員が揃っている状態である。
数人は資料に目を通し、他の幹部たちは無言で会議の開始を、組織のリーダーの到着を待っている。そんな中、ドアが突如開かれ、茶髪で細身の男が颯爽と姿を現す。
男はにっこりと笑いながら、まるでこの場が彼のショーであるかのように、豪快に言い放つ。
「ご機嫌麗しゅう!今日もこのガラド・モルドレイが絶好調で参上したよ、みんな!どうだい、待たせたかな?」
その言葉とともにガラドが足を一歩踏み出すと、幹部たちの目線が一斉に彼に向けられる。会議の厳粛な雰囲気は一瞬で崩れ、幹部たちは彼の存在に慣れているものの、思わず苦笑いや困惑の表情を浮かべる。
「さてさて、君たち、暇してたんだろ?まあ、僕が来たからには、超がつく程の面白い会議になること間違いなしさ。そうだろう?」
ガラドはニコニコと笑顔でその豪勢な椅子に腰掛けながら言った。
座席に腰を下ろし、ガラドは周囲の幹部たちをチラッと見回すと、少しだけ困った顔をしている者もいれば、苦笑いを抑えきれない者もいる。
「ほら、そこのザーギルくん、顔が固いぞ。あんまりシリアスな顔してると、会議が無味乾燥になっちゃうぞ?ほら笑顔一発、いってみようか?」
「そのムカつくジョークとやらも、2度と喋れねぇようにしてやろうか?」
ザーギルと呼ばれた男が腰に吊られたナイフに手を掛けながら、低い声で威圧する。
そんな威圧を彼は微塵も気にする様子はなく、ザーギルにウィンクで返事をしながら、明らかに会議の進行を後回しにするような口調で続ける。
「というわけで、会議もいいけど、まずは皆の心の準備を整えてもらわないと。心の準備ができたら、ついでに僕のジョークを聞いて笑ってくれると、もっと素晴らしいことになるんだ。なんせ、僕のジョークがないと、会議が退屈になっちゃうからな!」
幹部たちはその言葉を聞いて、ガラドが本気なのか冗談なのか判断しかねた表情を浮かべている。
「でも、まあ、会議の内容も大事だろうから、後で本気出すけどね。たぶんね。」
その言葉を最後に、ガラドは席に深く座り直し、会議の始まりを待つ。周りの幹部たちは、もう何度もこうしたガラドの登場に慣れつつも、やはりその独特の空気感には少しの驚きや苛立ちを覚えつつ、ついに会議が始まる。
その時、部屋の一隅に座っていた、オドオドとした1人の女が口を開く。少し躊躇しながら、報告を始める。
「……すみません、ガラド様、報告があります。私が強襲任務に派遣した魔獣の一体が、どうも昨夜の任務の帰還する途中でやられたようで....」
会議の空気が一瞬凍りつく。ガラドがすぐにその方向に目を向けると、女は肩を落としている。
「おお、リリスの魔獣がやられたのかい?それはまた大変だねぇ……でも、あれだな、魔獣も、ちょっと運が悪かったんだろうな。だって、誰でも一度は“チャンスタイム”を逃しちゃうことがあるからね!時間に追われてると、だいたい失敗するんだよ。」
その不可解なジョークに周りの幹部たちは、またもや苛立ちを堪える。しかし、女の表情は相変わらず真剣だ。
「で、その魔獣って、もしかしてストームウルフだったりする?」
唐突に心の中を見透かされたかの様な発言に、魔獣使いの女は驚いたように頷く。
「はい、その通りです。私の育てたストームウルフが、まさか敗れるとは思いませんでした。あと私の名前はリシアです。いい加減覚えてください。」
それを聞いて、ガラドは目を見開きながら大げさに驚き、両手を空に向かって広げる。
「おおっ!ストームウルフがやられるだなんて、信じられない!あれだけの力を持つ魔獣が、やられたなんて!風をピュピュッと吹かせるだけで、敵を切り刻むあの狼が…あっさり倒されるなんて…!」
部屋の空気は完全に目立ちたがりな男に支配され、幹部たちはガラドのテンションに完全に置いていかれている。
「冗談はやめてください、ガラド様。その魔獣は私の大切な仲間でした。」
その言葉を聞いて、ガラドは少し黙り込み、眉をひそめた。だが、すぐに表情を元に戻し、笑う。
「まあ、そんなこともあるさ。だが、今はその魔獣を労ってやろうじゃないか。だって、彼は今まで立派に戦ってくれたんだ。だからこそ、あえて言うけど……戦いの中で死ぬ、魔獣らしい最期だったってことだよ。」
「でも、君が次に派遣する魔獣には、ちゃんと引き際を見極める“安全第一”を教えておいた方がいいぞ?いざとなったら“魔獣使いリベラちゃんのもふもふ魔獣マニュアル”を作らないといけないかもな!」
その言葉を皮切りに、ガラドは唐突に笑みを消し、机に肘をつく。
「とはいえ、アレを倒す奴がいるともなると少し興味があるな。後で部下に調べさせておく。」
リシアはそれを聞いて少しだけ表情を崩し、やっと苦笑いを浮かべる。しかし、それでも彼女はガラドに名前を覚えられる気配が無い事を除いて、感謝しているのが伝わる。
「……ありがとうございます、ガラド様。少し、気が楽になりました。」
ガラドはうんうんと満足げにうなずくと、再び軽やかな口調で続ける。
「さあて、さて、魔獣の話も済んだところで、次は僕のジョークをもうちょっとリハーサルしてみようかな?……おっと、会議の内容だったな、すっかり忘れてたよ!」
ガラドがいざ会議を進めようとした瞬間、部屋の隅から1人のメイド服の女が静かにコーヒーを運んできた。その香りは、あまりにも心地よく鼻腔をくすぐり、ガラドの目を一瞬で釘付けにした。
ガラドの視線は、会議の進行から完全にそれ、彼女が運んできたコーヒーに向けられる。
「おお、こ、これは…!メレちゃん、これは神の飲み物か!?」
彼女が近づくと同時に、感嘆の声を上げる。
メレと呼ばれた女性が微笑みながら、ガラドの前にコーヒーカップを置く。
「はい、ガラド様。今日は少し強めに淹れてみました。お口に合いますように。」
ガラドは会議の話題から完全に意識はそっちのけで、コーヒーを一口飲んだ瞬間、その美味しさに握り拳を作ったまま、しばらく言葉を失う。
「うううっ…こ、これは…!最高の一杯だ…!まるで天使たちが舌の上で踊るかのような味わいだ!」
周りの幹部たちは、ガラドが真剣に会議に参加していないことに気づき、軽く溜息をつきながらも、彼のリアクションにうんざりとする。その中で1人、口を開く男がいた。
「ガラド、またコーヒーか。関係の無い話でまた会議潰すのは勘弁してくれよ。」
「え?ああ、会議ね…。うん、まあ、今日はメレちゃんのコーヒーに完全に心奪われちゃってさ、ちょっと聞いてなかったかな。でもさ、君の”黒炎“みたいな色のコーヒーを見てると、世界のどんな戦争も、どんな悩み事もどうでもよくなってくるよ!そう思わないかい、アレス!」
「あ、でもなんか黒炎コーヒーだと不味そうだから、やっぱナシで。」
こちらの話を微塵も聞き入れることのない、その自由すぎる発言に、アレスと呼ばれた男はただため息をつき、椅子から立ち上がりながら吐き捨てた。
「はあ、もう知らん。勝手にやってろ。」
アレスはその背中を黒く燃やしながら部屋を出ていった。
ガラドは何も気にする様子もなく、もう一口コーヒーをすすりながら、ふとメレに微笑みかける。
「メレちゃん、僕がこれまで飲んだ中で一番美味しいコーヒーだよ。君はまるでコーヒーの女王だな。」
メレはその言葉に少し照れながらも、うれしそうに微笑む。
「ありがとうございます、ガラド様。お言葉は嬉しいですが、あまり私ばかり褒めても仕方がありませんよ。今は会議に集中してください。」
「うんうん、もちろん!でも、次の会議はコーヒーの話にしよう。これをもっと多くの人に広めたら、きっと戦争のない平和な世界になると思うんだよね!」
こうして、ガラドの気まぐれなボスぶりは、会議が進行する度に部下たちを振り回すのだった。幹部たちにとって、会議のうち3回に1回は、ガラドが全く関係のない話をし、ジョークや飲み物、恋バナの話に終始する「ガラドタイム」として消化される。
ガラドはニヤリと笑い、またもや会議の空気を明るくしようとするが、実際の会議が始まったのはここから2時間後の出来事だった。