第5話:吐露と真実
激しい戦いを終えたアルバとリューゼスは近くの森で野営をしていた。周囲の景色は静かで、風が木々を鳴らし、パチパチと音を立てながら焚き火が揺れる。
アルバはリューゼスに語った。自分がなぜ旅をしているのか、黒鉄の牙によって自身の片腕と故郷を失った事、そして恩人であり師でもある人の元で修練を積んでいることも。
「そうか....お前も大変だったな」
リューゼスはアルバの話を聞き終えると、静かに口を開いた。
「俺は今、探し物をしていてな。」
「探し物?」
アルバの返答に頷きながらリューゼスは続ける。
「俺がレーヴ騎士団に所属していた頃に愛用していた剣だ。」
アルバは思わず、彼の傍に置いてある剣に目をやる。それに気づいたリューゼスは剣を手に取って言った。
「これはただの剣だ。なんの変哲もない。」
「それで....レーヴ騎士団では騎士の称号を受領する時に、その騎士の名が刻まれた特別な剣を与えられるんだ。」
「それは騎士にとって最大の名誉であり、王への忠誠を誓う印でもある。」
リューゼスはどこか懐かしそうな表情を浮かべながら話を続けた。しかし、その表情は険しいものへと変わる。
「....数年前、レーヴはダモン帝国との戦争に敗北し、滅びた。俺も祖国の為に、必死に戦った。だが、俺は打ちのめされ、捕虜としてダモン帝国にその身柄を拘束される事になった。」
自嘲混じりの声色でリューゼスは言葉を紡ぐ。
「捕虜になった時、当然だが俺の剣は押収された。だが、どっかのゴミクズがわずかな金欲しさにその剣を売り捌いた。」
「そして、俺がその事実に気づいたのは、レーヴが滅びるまでの数年後だった。」
「俺は捕虜として臭い飯を食いながら、のうのうと時間を浪費している時も、祖国の人間が今も犠牲になっている事を考えると、無力な自分がどうしても許せなかった。」
「あの剣だけは必ず取り戻す。何があろうとも。」
アルバは相槌を忘れてしまう程、その話を思わず聞き入っていた。彼も少しだけ、自分と似た境遇なのであると。
話し終えたリューゼスは、足元を見つめ、無言で俯いていた。その顔には、まるで何かを内に抱えたような深い思索が漂っていた。
アルバはその様子に気づき、リューゼスに声をかけた。
「リューゼス、何か考え事か?」
リューゼスは少し驚いたように顔を上げたが、すぐにその表情を押し殺し、淡々と答えた。
「…いや。なんでもない。」
アルバはリューゼスの目を見て、察した。彼が自分の過去を語りたくないことは薄々分かっていた。だが、何か心に重くのしかかるものがあることは、感じ取れる。
「過去に何かあったんだろう?」
アルバは慎重に言葉を選びながら続けた。
「無理に話す必要はないけど…気になるんだ。」
リューゼスは目を閉じ、しばらく沈黙が続いた。アルバはその沈黙に耐えることができず、もう一度リューゼスに声をかけた。
「俺も…似たようなものなんだ。今も振り返ったりしたくないことがあった。でも、こうして誰かと関わっているうちに、少しずつ向き合わなくちゃいけないって思うようになった。」
その言葉に、リューゼスは微かに顔をしかめ、アルバを見た。アルバはしばらく黙ったまま考え、そして言った。
「俺は…腕を、大切な人を失った。それだけでも十分に過去を背負っている。でも、他にもいろんなことがあった。色々な偶然が重なって、今こうして生きている。」
リューゼスは少しだけ視線を外し、再び足元に目を落とした。その表情に、何かを考え込んでいるような、深い思索の色が浮かんだ。アルバの言葉が彼の胸に何かを引き起こしたのだろう。
「…俺は、騎士の家系に生まれた。」
リューゼスは静かに話し始めた。
「厳格な父の期待に応えたかったんだ。長男として。姉のリディアと共に騎士を目指して。だが、幼い俺にはそれが重すぎた。父親はリディアの才能を欲し、俺にはただの責任を押し付けた。」
「死に物狂いで努力をした。才能のあった姉とは違って、姉に追いつく為に俺は人一倍の努力をしなくてはならなかったんだ。」
「騎士の称号を与えられた後も、父からの変わりない重圧に、俺は苦しんだ。何もかもが、俺にできる限りのものだった。でも、リディアは…俺の唯一の味方だった。そんな彼女に劣等感を抱いて、酷い事をした時も、姉は何も言わなかった。」
アルバはその言葉に耳を傾けながら、少し胸が苦しくなった。彼が話しているのは、ただの戦争や名誉の話ではなく、家族、そして彼自身がどれだけ苦しんでいたのかが伝わってきた。
「だが、リディアは…」
リューゼスは、言葉を続けることなくそのまま口を止め、遠くを見つめた。そしてため息と共に言葉を絞り出す。
「先の戦争で姉は戦死した。彼女が死んだ時、俺は何もできなかった。騎士でありながら、俺はその死をただ見守るだけだった。」
アルバはその言葉に言葉を失った。リューゼスの痛み、そしてリディアの死がどれほど彼に深く影響を与えているのかが痛いほど伝わってきた。アルバの心の奥に仕舞い込んだ、あの時の記憶、体験が脳裏を走る。
「リディアがいなかったら、俺は…どうなっていたんだろう。」
リューゼスの声は少し震えていた。
アルバはゆっくりと彼に歩み寄り、リューゼスの肩に手を置いた。
「リューゼス、あんたがその痛みを背負うことを誰かが求めているんじゃない。あんたは自分の戦いをするべきだ。でも、それを一人で背負う必要はない。俺も、少なくとも今はお前と一緒にいる。過去を振り返ることは辛いだろうけど、前を向いて進んでいくしかない。」
リューゼスはその言葉にしばらく黙っていたが、やがて小さくうなずいた。
「フフ....お前は変わってるな。だが、そうだな。過去を乗り越えなければ、俺は前に進めない。」
その時、リューゼスの目の奥に少しの希望が灯ったように感じた。彼は過去を背負いながらも、少しずつその鎖を解こうとしている。アルバの言葉が、彼にとっての新たな一歩を踏み出す手助けになったのだろう。
夜も更け、二人は眠りについた。ヴェール王国までの道のりはまだ遠いが、少なくとも今は互いに支え合って進んでいけることを感じていた。
***
目を閉じると、不思議な空間に足を踏み入れる感覚があった。
次に目を開けると、彼は”彼女“の場所に立っていた。無限の闇に包まれたその空間に、ただ一筋の光が差し込んでいる。
「また来たのね、アルバ。」
エルはその瞳を机上の本へ向けたまま、彼を迎え入れた。アルバは実に半年ぶりの再会であったにも関わらず、ついさっき別れたばかりの様な実感を覚える。
「久しぶりだな、エル。」
エルはちらりと一瞥すると話した。
「なんだか、貴方も見ない間に少し雰囲気が変わったみたいね。」
「私もやる事が無くて退屈だったの、良ければ起こった事を聞かせてくれる?」
アルバは今までに起こった事、旅を始めた事、リューゼスとの出会い、ストームウルフとの死闘を彼女に話した。
エルはそのアルバの話を黙って聞く、しかし、彼女はその冷たい瞳をこちらへ向けながらも、どこか話を楽しんでいるようにも見えた。
「それで....今に至るって感じだ。」
「ふふ、久々に外の話が聞けて楽しかった。ありがとう。」
仄かに笑みを見せると、エルは机の本をぱたりと閉じ、感謝を告げる。アルバは少し間を置き、続けた。
「そういえばエル、以前君は神によってこの空間に閉じ込められたと言っていたが、その神って奴は一体何者なんだ?」
エルは僅かな沈黙と共に、口を開く。
「その話をするにはまず、貴方がまず“正しい”神話について知る必要がある。」
「貴方は創世神話の内容は知ってる?」
「もちろん、俺の村でも信者が沢山いたからな」
アルバの故郷、ムスイ村はセグハト王国の辺境に位置する村の一つだった。その為、セグハトから度々王国からの伝令や宣教師が訪れる事も珍しくはなかった。そしてアルバの父、エレンドはよく幼い彼に神話を教えていた。
「確か....最初は何もなかった世界に、一つの光が舞い落ち、それが実体を持ち、光の神、エルゼウスになった。エルゼウスは世界を照らし、万物を作り、今の世界を作った...だっけか」
「なるほどね。エルゼウスが他の神々や神の都を作り、繁栄した所まで進めて。」
「ええっと....数千年の間、栄えた神の都が突如として”雷龍“率いる古の龍たちによって危機に陥いる事となり、三日三晩続いた戦いの果てにエルゼウスと雷龍の両者が相打ちとなる形で決着がついた....えっと...エルゼウスは世界を創り、龍達の魔の手からその身を犠牲にして、世界を守った全能神として今も崇められている....」
アルバは記憶の底からなんとか暗唱しきり、ひと息つく。
「....今は”そう“伝わっているのね。」
彼女はどこか悲しげとも取れる表情で呟いた。そしてエルはこちらを真剣な眼差しで見つめて言った。
「貴方は雷龍とエルゼウスが親友だったと言ったら、信じる?」
「え....?」
アルバは耳を疑った。実際、宗教にさほど興味がある訳でもなかったが、今まで聞いた神話は多少の違いはあれど、雷龍はいずれも明確な悪として描かれており、親友であるという事は聞いた事がない。
「確かに古の龍たちとの戦いはあった。けれど雷龍はむしろエルゼウスと共に戦い、勝利を収めた。」
「だとしても雷龍が敵として伝わっていたんだ?」
「私は改変前の歴史しか知らないけれど、恐らく貴方たちの時代で語るには、あまりにも不都合な存在を隠し、抹消する為。」
エルは確実に何かを知っている。アルバはそれを聞かずにはいられなかった。
「不都合な....存在とは?」
「雷龍とエルゼウスを殺し、神の都を滅ぼした怪物、“不死の銀獣”。彼は未だに生き続けている。」
不死の銀獣、彼女が口にしたその名を聞いた時、アルバの身体が急激に重くなり、意識が遠ざかっていく。
「時間のようね。今度会ったら続きを聞かせてあげる。」
「また来て。」
薄れゆく意識の中で確かに彼女の声を聞きながら、アルバは目を閉じた。