ケース2 推理
ケース2
推理
「あのぉ、かもめさん」
21時、ロビーで過ごしている利用者の見守り支援をしているかもめのもとに、福祉課室から男性利用者Yさんを連れて泉がやってきた。
「どうしました、松宮さん」
「Yさんが頭が痛いっていうんです。看護師に連絡とった方がいいですか?」
困った表情で泉はかもめを見ている。泉から少し離れてYさんもかもめのことを伺っていた。
「いや、Yさんなら同じ症状で日中通院してます。医務室に頭痛薬があるから、それを服用してみてください」
かもめの説明を聞いてYさんは少し不服そうな顔をした。そして泉を待たずに医務室の方へ歩き出した。
泉はかもめに礼を言おうとしたが、Yさんが先に歩き出したため、小走りに医務室に向かいながら
「ありがとう、かもめちゃん」
と簡単に礼を済ませた。
Yさんと泉の背中を見ながらかもめは、江田さんと呼べと心の中で呟いた。
22時、消灯時間になりかもめは誰もいなくなったロビーの明かりを消し、福祉課室へ移動した。
「あ、かもめさん、さっきは助かったよぉ。ありがとう」
泉がYさんへの対応の件について改めて礼を伝えた。
福祉課室には一足先に夜勤日誌を書きにきていた本日の男性勤務者、吉村新三十歳がパソコンに向かっている。
かもめは福祉課室の机に置いてある申し送り簿の今日のページを開いて泉に見せながら
「松宮さん、Yさんの件は今日の申し送りに書いてあったよ」
と伝えた。
「あ、ごめん。読んでなかったや」
申し送り簿に目を通しながら謝ってはみたが、あまり反省していない様子の泉に
「困りますよ、松宮さん」
とパソコンから目を離し、泉に向かって新が厳しい口調で話し出した。
「あれからYさん、機嫌が悪くなってしまって居室でも他の利用者に八つ当たりしていたんですよ。クールダウンしてもらうの大変だったんですからね。僕がYさんの対応に当たっている間、ロビーは江田さん一人。もし何かあったら僕は責任取れませんよ。松宮さんは責任取れるんですか?取れませんよね。今後は申し送りをきちんと読んで、速やかに対応に当たるようにしてください」
そう淡々と話すと、再びパソコンの目を戻した。
淡々と話してはいるが、明らかに苛立ちが感じられる口調に
「はい・・・あの、すみませんでした」
と流石の泉も反省した様子で謝罪した。
かもめは新に話しかけようとしたがやめた。そして、
「ま、次からちゃんと申し送りに目を通しなよ。でも、対応に困って他の勤務者に相談に来たのは偉いよ」
すっかり肩を落としてしまった泉をフォローした。
「うぅ、かもめさぁん・・・優しさが逆に辛いよ・・・」
泉は泣き出しそうな表情でかもめを見た。
「江田さん、そうやって松宮さんを甘やかしたらダメですよ。松宮さんの」
ためになりません、と新が話してしまうのを
「吉村さん、私この時間まで休憩取れなかったんで、今から休憩取っていいですか?」
とかもめが遮った。
「あ、ああ、そうでしたね。どうぞ、休憩取ってください」
「よし、松宮さん。この前非番の日、雨降るって言ってたけど結局降らなかったぞ。だからジュース奢ってよ」
「理由がめちゃくちゃだよぉ」
半泣きになっている泉を連れて、かもめは玄関横、屋外にある自販機に向かった。
「泉はコーヒー飲めたっけ?炭酸系がいい?」
かもめが自販機の前で泉に聞く。
「え?私が奢るんじゃないの?」
「あれは口実だよ。あのまま福祉課室にいたら間違いなく泣かされてただろ」
かもめの配慮に気づいた泉は安心した表情になり、
「ありがとうかもめちゃん。ていうか今泣きそうだよ」
と続けた。
ガコン
かもめは自販機からペットボトルの無糖紅茶を取り出した。
「ありがとう、レモンティー飲むとホッとするんだよね」
と自販機横のベンチに座りペットボトル入りのレモンティーを飲みながら泉が話す。
かもめもベンチに座り、どういたしましてと泉に伝え、無糖紅茶のペットボトルの蓋を開けた。
「泉は休憩時間じゃないから手短に話すけど、Yさんが不機嫌になったのは私のせいだよ。
Yさんが頭痛を訴えたのは、多分泉と話したかったからだし、あわよくば大事にしてほしかったんだと思う」
「そうだったの?てっきり私が申し送り知らなくて、対応もたついたからだと思ってたよ」
「吉村さんはそう思ってるな。でも違う。あれは私だよ。私が指示を出した時、Yさん不服そうな顔してたんだよね」
かもめはさっきのYさんの表情を思い出した。
「それで、私の推理はこう。
日中の頭痛は多分本当。偏頭痛だっだんだと思うよ。看護師が一応ってことで通院対応したんだと思うけど、それでYさんは頭痛を訴えれば通院できるんだって思い込んだんじゃないかな。
プラス今日の勤務者は泉で、まだそんなに関係性出来上がってないから単純に話したかったのと、体調不良を訴えることで泉に労ってほしかったんだと思う。
あわよくばそのまま病院に行くって話になればラッキーって思ってたのかも。入所施設利用者って生活がワンパターンになりがちだから、通院ってすごいイベント感あるしな。
なのに私が頭痛薬飲むようにってあっさり伝えたことで、Yさんの思惑通りにいかなくなっちゃったから、周りに八つ当たりしてしまった、ってところだと思う」
とかもめは持論を展開した。
「へぇ、Yさんの一瞬の表情の変化でそこまで推理できるの?」
「多分だよ。申し送りと、今日の通院時の記録、Yさんの様子から推測したんだよ。
支援員ってその日の利用者の生活に部分的に関わっていく仕事だからさ。情報と状況をもとに事象の本筋を推理するのもスキルの一部なんだよ。本当のところはYさんだけが知ってることだけどね」
「さてはお主、シャーロック」
「ホームズの孫とかくだらんこと言うなよ」
「むぅぅ。あ、」
「名探偵かもめもなしな」
「うぐぐ」
思ったほど探偵ネタでかもめをいじれず、泉は言葉に詰まった。
かもめは無糖紅茶の残りを一気に飲み干し、
「少しは気が楽になった?」
と泉に聞く。泉はレモンティーを一口飲み、
「うん、ありがとう。Yさんがあからさまに不機嫌になって、私責任感じてて。それに吉村さんってあんなにきつい言い方する人って知らなくて免疫なかったのもあると思う。ちょっと元気なくなってたけど、もう大丈夫、元気出たよ」
泉が普段通りの表情になったのを見て、かもめは安心した。
「泉は山崎主任みたいなタイプの指導じゃないとへこんじゃうだろ」
「うん、山崎主任好きぃ」
にっこり笑って泉が答えた。
可愛らしい笑顔で好きとはっきり言う泉の言動に
「あんまりそういうこと人前で言うなよ」
とかもめはアドバイスして
「それに吉村さんの言ってることは正しいんだからさ。あれも勤務者を守るために言ったんだろうし」
と続けた。
「そうだね、以後気をつけるよ」
そう言うと、泉は残りのレモンティーを飲み干した。
「さて、休憩は終わりだ。松宮さん。夜はこれからだから、気を引き締めていこう」
「はい、ボス。あ、ちょっと待ってて」
泉は自販機でレモンティーをもう一本買った。
かもめ、泉は福祉課室に戻った。新は相変わらずパソコンに向かっていた。
「吉村さん、さっきはすみませんでした」
そう言って、泉が新にペットボトル入りのレモンティーを差し出す。
「あ、僕の分まで。ありがとうございます。いただきます。
それと、あの・・・さっきは少し言い過ぎました。記録を書いていて、松宮さんのYさんへの対応は問題なかったと思いました。すみません」
いえいえ、以後気をつけますと泉が答えた。
「あ、そうだ。あの・・・もし良かったら、これ・・・」
と言いながら、新はカバンから小さなセロハン袋を2つ取り出し、かもめ、泉に渡した。二人が渡されたものを確認すると、
「わあ、可愛い」
思わず泉が声に出した。
セロハン袋の中にはクマ、星、ハート等様々な形のクッキーが詰められていた。袋の口は丁寧にリボンで結ばれている。
「吉村さん、これ、手作りですか?」
かもめが新に聞く。
「え・・・ええ、まあ。形が崩れてしまいましたが・・・」
「へぇ。吉村さんお菓子作りが趣味なんですか?」
泉が目を輝かせて新を見つめた。
新は泉の視線に気付いているが、恥ずかしくて見返すことができない。
「しゅ・・・趣味というか、暇だったので作ってみたんです。夜食にどうぞ」
「ありがとうございます」
かもめ、泉は同時に新にお礼を言った。
「さ・・・さあさあ、休憩も終わったことですし、夜はこれからですよ。気を引き締めていきましょう」
新は照れ隠しにそう言った。
どこかで聞いたことのある言葉に、かもめと泉は顔を見合わせて笑った。