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かもめの支援員さん  作者: 乃土雨
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ケース1(翌朝)  水兵さんごっこ

ケース1(翌朝)


  水兵さんごっこ

 

「OさんとKさんは朝食前に職員が仲介に入り、仲直りしてます。その他の利用者は穏やかに過ごしていました。報告は以上です」

 


 夜勤がもうすぐ終わろうとしている。

 朝礼での昨夜の報告も今終わった。

 あとは明け方の洗濯物の乾燥を待つのみとなった。時間にしておよそ30分。さっきまで睡眠不足で鉛のように重かった体が、不思議と軽くなるのを感じる。

 夜間は職員詰め所になっていた福祉課室は翌朝8時には朝礼の会場になる。本日通常出勤の職員たちと共に福祉課室を出たかもめは食堂へ向かった。

 「報告、終わりました」

 食堂で利用者の朝食の対応をしている葉、泉に声を掛けた。

 「報告お疲れ様、江田さん」

 「お疲れ、かもめさん」

 「ああ、昨日は例のトラブルがあったから報告にもボリュームがあって・・・

  かもめさん⁈」

 泉からそう呼ばれ、かもめは面食らった。

 おそらく人生で初めて、下の名前をさんづけで呼ばれた。

 ”江田さん”と苗字にさん付けが当たり前だったし、学生の時は皆から江田とか、江田ちゃんと呼ばれていた。ごく親しい友人からはかもめと呼び捨てだった。

 「主任から聞いたよ。江田さんと呼べって伝言。いやですって即答したよ」

 泉は利用者が食べ終わった後のテーブルを布巾で拭きながらかもめに言った。

 かもめは困ったように

 「いや、だから風紀だよ風紀」

 と泉に言ってはみたが、半ば諦めの気持ちもあった。

 「ははは、あれから松宮さんと二人で考えたんだ。江田さんの呼び方。苗字だとどうしても他

人行儀になるからって言って松宮さん聞かなくて。でも、ちゃんづけは好ましくないかもって伝えたんだ」

 葉は勤務終了に向けて、食堂に運んでおいた利用者のバイタルチェック用の機材等を片付けながらかもめに説明した。

 「じゃあ、さんにしますってことで、かもめさん。うん、可愛い」

 と泉が葉に続いて、自身のワードセンスを自賛した。

 葉と泉のやりとりを聞いて、かもめはふっと眠気が襲ってくるのを感じた。

 「まあ、さん付けなら良しとしよう。ギリギリだけどな」

 普段なら絶対許さないのだろうが、これも勤務明けの心理状態が影響しているのか、とかもめは考える。

 「やったー。かもめさんって、なんだか“かもめの水兵さん”みたいだね」

 泉がニコニコしながら話していると、

 「ははは、水兵じゃなくて支援員だね、かもめの支援員さん」

 葉もニコニコと泉の話の乗った。

 「主任まで一緒になって私を童謡のフォーマットに落とし込まないでください」

 ははは、ごめんごめんと葉が笑いながらツーブロックが無造作に伸びただらしない髪型をした頭の後ろに手を持っていく。


 葉と泉の笑い声。

 利用者同士の会話。

 申し送りをする通常勤務の職員達。

 障がい者支援施設の朝は賑やかだ。


 ピー・ピー・ピー

 遠くで微かに乾燥機の乾燥完了の通知音が聞こえた気がした。

 「すみません、乾燥機見てきますね」

 葉にそう告げると、かもめは洗濯場に向かって食堂を出た。


 思った通り、乾燥は全て完了していた。

 「エスパーみたいだな、いよいよ能力が覚醒したかもな」

 独り言を言いながら、乾燥機から利用者3人分の洗濯物を取り出し、運搬用のカゴに入れ込んでいく。洗濯場は福祉課室の南隣で隣の棟との間にあり、簡単な屋根こそ付いているが屋外にある。カゴを持ち上げ顔を上げると、快晴の青空が屋根と屋根の間からわずかに見えた。

 「かもめさん・・・か。慣れるの時間かかりそうだな」

 自分で声に出してみて、改めてその恥ずかしさを噛み締める。

 と同時に、不思議と嫌じゃないと感じている自分に気付く。

 夜勤ってやっぱり不思議だな、とかもめは思う。

 勤務中は永遠のように長く感じる夜も、明けてしまえばまたいつもの日常が始まる。

 ただ朝を迎えただけなのに、ただならぬ達成感に包まれる。

 普段は頑なになっている気持ちも、どこか穏やかになっているように感じる。


 かもめはこの瞬間がたまらなく好きだ。


 「かもめちゃん、手伝うよ」

 声を掛けられて空から正面に目を移すと、そこには笑顔の泉が立っていた。

 「なんだ、もう水兵さんごっこは終わりなのか」

 今しがた、かもめさんだ水兵さんだとはしゃいでいた泉から、また普段のように名前を呼ばれ、かもめは少し気が抜けた。

 「ふふふ、時間確認して」

 と泉が左手に持っていたスマートフォンをかもめに向ける。

 「あ、8時32分・・・」

 勤務は2分前に終了していた。

 「夜勤、終わったよ。かもめちゃん」

 「あぁ、終わったな。泉」

 かもめは勤務が終わった安心感からか、泉に微笑んだ。

 「ははは、勤務が終わればお互い友達同士。二人のその距離感。僕は好きだな」

 泉の後ろから葉が顔を出した。

 「さあさ、3人で畳んだらすぐだよ。ささっと終わらせてしまおう」

 ようやく主任のような場の仕切り方をした葉に、すかさず泉が

 「あは、主任っぽい」

 と茶化す。

 茶化すのは泉と相場が決まっている。

 と言うことは、

 「いや、主任なんだよ、山崎主任は。だいたい泉はそう言う物の言い方がだな・・・」

 「説教じみた小言を言うのはかもめと相場が決まっている」

  えっへん顔をして泉が物語進行の役割を担う。

 「なんの相場だよ、説教ってなんだ」

 「まあまあ二人とも、洗濯物畳もうよ」

 「あ、かもめちゃん、今日これから雨だって。走れないねぇ」

 「私、台風でも走ったことあるし」

 「私はこれから寝るんだぁ。明日は公休だから起きるの明後日だね」

 「逆に拷問だな、それ」

 「私、3日起きなかったことあるよ」

 「そもそもライフワークバランスというものはだな・・・」

 「まあまあ二人とも・・・」

 3人は洗濯場から福祉課室へ入っていく。

 3人の夜勤明けは始まったばかりだ。

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