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かもめの支援員さん  作者: 乃土雨
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ケース1(深夜)  江田さんと呼べ

ケース1(深夜)


  江田さんと呼べ


 知的障がい者支援施設、とりわけ入所機能を持った施設では毎夜職員が交代で夜勤につく。


 その日、女性利用者OさんとKさんの間で、夕食時に共用の急須を戻す位置がきっかけでお互いを掴み合うトラブルが起こった。対応に当たった夜勤の職員はその一部始終を記録にまとめる。


 「記録、女性勤務者、江田、か・も・め・っと」

 わざとらしく声に出し、文末にそうタイピングした江田かもめはオフィスチェアの背もたれに思い切りもたれ掛かり、背伸びをした。

 胸あたりまである髪の毛を後ろでひとまとめにしているが、一息ついたついでに髪を束ねていた髪ゴムを右手で取り、2〜3度手櫛でといた。黒いまっすぐな髪がオフィスチェアの背もたれにかかる。

 目の前に広げているノートパソコンの画面でも時間は確認できるが、かもめはあえて壁に掛かった時計で時間を確認すると、深夜3時になりかけていた。

 「ラーメン深夜3時・・・」

 かもめはロックバンド「ギターウルフ」のファンだ。彼らの楽曲のタイトルを呟き、ふうと小さく息を吐いた。

 今日の夜勤明け、昼はラーメンだなと思うやいなや、急に空腹を感じる。その空腹感を凌駕する勢いで、絶対ラーメンマンのこってりとんこつを食べてやると固い誓いを立てた。そして気合を入れ直すように髪の毛を再度後ろでひとまとめにして結んだ。

 「かもめちゃーん、お疲れー。交代するよー」

 職員詰所となっている福祉課室の扉が開き、妙に元気な声で入ってきた女性職員は、

 「松宮泉まつみやいずみ、二十三歳」

 だ。

 「なんでフルネーム?しかも年齢まで」

 と笑顔で泉が聞くと、

 「下の名前で呼ぶ仕返しだよ。江田さんと呼べと言ってるだろ、松宮さん」

 と無表情にかもめが返す。

 「いいじゃん、同い年なんだし」

 泉は仮眠でついたであろう寝癖を手櫛で整えながら、まだ少し眠そうにかもめに返事した。

 「いや、職場風紀の問題だよ」

 「だって呼びたくなるんだよ、かもめって響き可愛いじゃん」

 「だから風紀を重んじるんだよ、私は」

 対照的な表情の二人は今年採用の同期だ。

 「あ、忘れるところだった。ほらほら、かもめちゃん休憩取って」

 と言いながら泉が机を挟んで向かいのオフィスチェアに腰掛けた。その頃には泉の髪型も元のボブに収まっていた。

 「あぁ、今日はこのままケース記録仕上げるつもりだからさ。起きてるよ」

 ケース記録とは、利用者個別の記録のことで、施設職員は分担して利用者を担当し、各々数名の担当利用者の記録を日々書いている。書いていると言ってもこのご時世、ペーパーレスでの仕事が殆どで、先ほどまでかもめが作成していた記録のようにパソコンでタイピングすることが一般的なので、”打ち込む”という方が正しい表現なのかもしれない。

 「えぇ? 疲れるよー。ちゃんと休憩取りなって。勤務明けたら走るんでしょ?」

 かもめは毎日8キロのランニングを欠かさない。

 「もちろん走るよ。そんでラーメン食べに行く」

 「なんで走った後にラーメン食べれんの⁉︎」

 「今、深夜3時だからだよ」

 我ながらクールな返答ができたと満足しているかもめを見て、

 「あぁ、例のバンドの曲だね? ギターゴリラだっけ?」

 と泉は茶化す。

 「ウルフだよ、ギターウルフ。貴様セイジさんに怒られろ」

 泉のわざとらしい間違いを正し、ギターウルフのギターボーカル担当のセイジさんに改めて敬意を表したところで、再び福祉課室の扉が開いた。入ってきたのは本日の男性勤務者、

 「山崎葉(やまざきよう)主任、三十五歳」

 かもめと泉は見事にシンクロしてみせた。

 「ははは、打ち合わせでもしたみたいなタイミングだね。あれ、江田さん休憩の時間じゃないの?」

 葉は二人の間の机に、今しがた洗濯場から取ってきた利用者4人分の洗濯物を広げた。

 「今日はこのままケース記録仕上げるつもりなんで、起きてます」

 ってさっきも泉に話したなこれ、と思いながらかもめは席を立ち、目の前の洗濯物を畳み始めた。と同時に泉も立ち上がり、目の前の洗濯物を畳み始める。3人が立って洗濯物を畳む光景ができあがった。

 「主任からも言ってくださいよぉ。かもめちゃんったら徹夜するわ、夜勤明けで走るわ、ラーメン食べるわ、もう好き放題なんですよ」

 「ははは、別にどれも止めないけど、その体力は羨ましいよ。僕は徹夜も、ランニングも、夜勤明けのラーメンも、もう自信ないよ」

 三十代半ばとはそんなに体力落ちるものなのかとかもめは思う。

 「そういえば、江田さんはなんで毎日走るの? 体力作りの一環かな?」

 三十代半ば、体力下り坂の葉がかもめに聞く。

 かもめは男性物のタンクトップを畳みながら、

 「はい、走り出した頃はそうでした。夜勤に耐えうる体を作ろうと。それがなんとなく習慣になってしまった感じです」

 「意識高すぎ! プロじゃん、アスリートじゃん」

 茶化すのは泉と相場が決まっている。

 「あのな松宮さん、君もこの仕事して給料もらってんだろ。だったらプロなんだよ君も。その給料に恥じないだけの自己研鑽をする責務があるんだよ君には」

 泉に説教じみた話をするのはかもめだと相場が決まっている。本来その相場は上司である葉でなければならないのだが、当の葉はマイペースに、

 「ははは、二人は同い年なんでしょ? 話している言葉に二十歳くらい歳の差を感じるよ」

 そう的確に二人の会話を形容した。

「僕は江田さんのこと頼もしく思うよ。普通嫌がるじゃない、夜勤がある仕事って。その上、障がい者支援施設なんて馴染みがない職種は特になり手が少ないからさ」

 最後の靴下を畳み終わり、葉はオフィスチェアに腰掛けた。

「そうそう、私も尊敬してるんだよ、かもめちゃんのこと」

泉も洗濯物を畳み終えて、オフィスチェアに腰掛ける。かもめも同様に洗濯物を畳み終えた。

 3人で机を囲んで座る光景ができあがった。

「松宮さんの取ってつけた感はさておき、主任の言うこの仕事のマイナー感、私はあんまり感じないんですよね。私、この仕事したくてしょうがなかったんで」

 かもめはこの仕事、障がい者支援施設の職員、特に支援員になりたくてたまらなかった。

「うん、私も」

 軽く同調する泉に、本当かよとかもめは疑念を抱く。

「でも、正直こんな仕事があるって私、あの時まで知らなかったなー」

 遠い目をした泉にかもめが聞く。

「そういえば、この仕事を志したきっかけって何だったの?」

聞いた後、きっかけを聞くように仕向けられた感じがして少し悔しくなった。

「私、前職コンビニの店員だったんだけど、たまに保護者と一緒にお菓子を買いに来る人がいてさ。いつもはその保護者が支払いするんだけど、ある日、その人一人で来店したことがあったのね。で、たまたまいつも買うお菓子がなくてさ、その人パニックを起こしちゃったんだよ。うーって唸ってて、私怖くて。他のお客さんもいるし、何かしなきゃと思ったんだけど、体が動かなくて。そしたらお客さんの一人が、パニック起こしてる人に近づいて、何かを囁いたんだよね。その途端、パニックがすぐ治まって。代わりのお菓子を手に取って、支払いまでそのお客さんがサポートして、二人ともそのまま帰ったんだけど、私、そのお客さんに見惚れちゃってさ。かっこいいなーって思ったよ。で、支払いしてる時に思わずその人に職業を聞いたのがこの仕事を知るきっかけだったんだよ」

泉はえっへんと言いたげにドヤ顔を決めた。

かもめは驚いた。そしてこう続けた。

「主任、松宮さんがまともです」

「ははは、松宮さんはいつもまともだよ」

支援員になりたかったと言った泉に対して、疑念を抱いた自分が恥ずかしいとかもめは思った。

「かもめちゃんは? この仕事したいと思ったきっかけあるんでしょ?」

「あぁ、あるよ、きっかけ」

話しだそうと口を開こうとした瞬間、かもめは福祉課室の入り口に利用者のOさんがいることに気づいた。

かもめの様子を見て、葉、泉もOさんの存在に気付く。

「Oさん、どうしました?」

葉がやさしくOさんに問いかけた。

「あのぉ・・・晩ご飯の・・・ときのこと・・・Kさんに・・・あ・・・謝りたいです」

俯いたまま、もじもじとOさんは話した。泉がすかさず

「Oさん、眠れなかったんですね。お話聞きましょうか?」

と言いながらOさんに近づいていった。そしてOさんとともに利用者の居室方面に姿を消した。

 泉は人懐っこい。職員に対しても利用者に対しても、相手の懐に飛び込むのが上手いとかもめは感じていた。性格なのかと思っていた部分もあるが、先程泉の前職を聞いて、少し納得した感じを受けた。たまにどことなく馴れ馴れしい応対なのだが、不思議と嫌ではないタイプの接客をするコンビニの店員に出くわすが、泉はあのタイプなのだろうと思い至った。

 福祉課室にはかもめと葉二人が残された。

「ははは、話しそびれちゃったね。江田さんのきっかけ」

そう話す葉にかもめは

「取り沙汰して話すことでもないですから。また機会があったらその時にでも話します」

と泉が向かった利用者の居室方面を見たまま葉に答えた。


 話すべきことなのか、黙っておくものなのか。


 かもめは少し考えた。

 が、今のかもめに答えはわからなかった。


かもめは目の前のノートパソコンを閉じ

「ふう。主任、やっぱり休憩とります」

 と葉に伝えた。

「うん、ゆっくり休んでね」

「はい。

 あ、松宮さん戻ってきたら伝えてください。

 江田さんと呼べって」

 そう葉に伝言し、かもめは休憩室に向かった。

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