マルセルの秘密
婚約破棄させようと意気込んでいると馬車はリリの屋敷の近くまで来ていた。少し離れたところに止めてもらい、馬車の中から様子を伺う。ちょうどリリがマルセルに挨拶をして屋敷へと入るところだ。リリの姿が完全に見えなくなるとマルセルは馬車へ戻る。そしてゆっくりとバラージュ領とは違う方向へ動き出す。
「どこへ行くのかしら」
「さあな。買い物でもするんじゃないか」
「伯爵家の人間が一人で買い物なんてするわけないじゃない」
「男なら買い物くらい一人でするだろう」
そうなのかも知れない。ジノが頻繁に一人で街へ出たり、仲間と一緒に出掛けるところを見たことはある。しかしそれは第二騎士団副隊長という肩書きのとおり、強さがあるからではないだろうか。イザベラの家も伯爵家だが騎士の家系だ。みんな護衛など付けずに自由に歩きまわっている。一般的な伯爵家の人間が出掛ける時はどのようにするのかよく分からない。
「とりあえず、追ってみましょう」
「しょうがねぇな。行くか」
なんだかんだ言いつつジノは御者に馬車を追うように伝えてくれる。マルセルの乗った馬車は近くの大通りで止まる。馬車からマルセルが降りると、あたりを見渡しそのまま路地裏へと入って行った。
「なんでこんなところで止まったんだ」
「すごく怪しいわ。もしかしたらこの先に恋人がいるのかも」
「こんな近くにか? リリの屋敷の近くだろ」
「灯台下暗しってやつかも。ほら追いかけるわよ」
イザベラは馬車から降りてマルセルの消えた路地へと走る。
「一人で突っ走るなよ」
遅れてジノも渋々後をついて来る。イザベラが細い道をまっすぐに突き進むと開けた場所に出る。そこには一軒のこぢんまりとした家がある。庭はあまり手入れされておらず柵などボロボロに朽ちている。それに比べ、家は改修したのか綺麗な状態だ。もしかしたら、ここがマルセルの恋人の家なのかも知れない。イザベラは家の前まで進み扉に手を掛けようとすると、中から扉が開く。そこにはマルセル・バラージュが立っていた。
「ああ、俺のあとをつけていたのはイザベラだったのか」
リリといた時とは違う冷たい目で見られ、イザベラは一瞬怯む。
「……こんにちは。先ほどぶりね。ところで此処はなんなの?」
「それより、なぜあとをついてきた? 返答次第では容赦しない」
殺気立ったマルセルに圧倒される。それでもリリのために浮気の証拠を突き止めなければと中に入ろうとする。
「勝手に入るなっ」
マルセルがイザベラの腕を掴み、壁に押し付ける。咄嗟のことに反応しそこなったイザベラはしたたかに背中を打ちつける。
「なぜあとをつけたと聞いているんだ」
「ちょっ、痛い……」
「答えろ」
マルセルの手に力がはいる。イザベラは掴まれた腕が悲鳴を上げるのを聞く。腕の一本くらいどうにかなるが、せめて利き手はやめて欲しい。
「そこまでにしろ。手を離せ」
ジノがマルセルに切先を向けている。武が悪いと思ったのか、乱暴に手を離される。
「大丈夫か?」
視線はマルセルを捉えたまま聞いてくる。
「大丈夫。ありがとう」
「そうか。で、なんでこんな事をした?返答によっては暴行の罪で連れて行くぞ」
ジノの口許は綺麗に弧を描いていて余裕そうに見えるが、目は全く笑っていない。もしかしたら結構怒っているのかも知れない。
「……」
「答えないのもなしだ」
口を割らないマルセルに痺れを切らしたのか、首元に剣の狙いを定めなおす。
「ジノ、まだリリの婚約者なんだから手荒なことはしないでよ」
「何言ってんだ。こいつ庇うのかよ? さっさと牢屋にぶち込めば、望み通り婚約破棄出来るし良いんじゃねぇか?」
「そうだけど、そうするとリリの評判も悪くなるじゃない」
「んなこた知るか。女性に暴行する奴は嫌いなんだよ」
このままじゃリリにも迷惑がかかると思い、ジノを止めようと説得を試みる。が機嫌の悪いジノには聞いてもらえない。
「……したいって……たのか……」
今まで黙っていたマルセルが何か呟く。
「あ? 聞こえねーよ」
「だから! リリは俺と婚約破棄したいって言ったのかと聞いてるんだ!」
「え?」
「どうしよう……心当たりがありすぎて……つらい」
マルセルはその場に崩れ落ち、両手両足を付いて打ちひしがれている。美しい顔が翳りを帯びて苦悩している姿はとても絵になる。
「えっと……もしかして、リリのことを好きなの?」
そう聞くとマルセルはガバリと起き上がり、イザベラの手を取る。
「当たり前だろう! でなければ婚約なんてしない。リリの可憐な姿に目を奪われないハズがないだろう! それに領民を思う優しさ。あの華奢な体で民のために畑を弄る姿は慈愛に満ちていて……」
「とりあえず離れろ」
イザベラの手を握り、滔々と語るマルセルをジノが引き離す。
「……リリのことを好きなのはわかったけど、ならなんでお店では無言で座っていたのよ」
「それは……」
マルセルはフラフラと椅子に座り頭を抱え、顔を赤くして話しだす。
「……好きすぎて言葉が出なくなるんだ」
「え?」
「は?」
「下手なことを言って嫌われたらどうしようとか、俺なんかが話しかけて良いんだろうかとか、隣にいるだけで幸せなのに話をするだなんて高度なこと出来るわけないじゃないか」
なんだか拳を握りしめて、熱く語りだすマルセル。
「とりあえず、帰っていいかしら?」
「待て、イザベラに怪我させたんだから一発殴らせろ」
殴る気満々のジノを慌てて止める。
「そう言えばこの家は何? 私が入ろうとしたら凄く怒るから、てっきり愛人か恋人でも連れ込んでるのかと思ったんだけど。」
イザベラの言葉にマルセルは床に這いつくばり両手をついて頭を下げる。
「申し訳ない。よく女性にあとをつけられて、既成事実を作られそうになるから、てっきりイザベラもそうなのかと勘違いをした」
「……そうなの。それは大変ね」
綺麗な土下座をするマルセルに若干引く。それに女性を力でねじ伏せるのはやり過ぎだと思う。
「本当に悪かった。何でもやるから許してほしい。だからリリには言わないでくれっ」
リリには言うつもりはないが、婚約者がマルセルで良いのかは疑問だ。しかも悪いと思っているのに、自分の保身を考えているあたりが気に食わない。
「ジノ、好きにしていいわ」
「よーし、じゃあ歯ぁ食いしばれ」
イザベラの言葉で、今まで黙って耐えていたジノが拳を握る。マルセルは大人しくジノの拳を受け入れ、鈍い音とともに倒れたのだった。