恋人の振りをお願いする
リリに婚約の話を聞いた翌日。イザベラは騎士団の寄宿舎裏にこっそりと幼馴染のジノを呼び出していた。騎士団の訓練が終わる頃に待ち合わせをしているので、何事もなければそろそろ来るはずだ。ジノは若いながらも剣の腕と実績で副隊長を務めている。面倒見も良いので騎士たちに慕われているらしい。訓練後にジノが新米騎士や後輩の騎士に付き合って遅くまで特訓をしているところを見かけたことがある。なので時間よりも来るのが遅くなるかも知れない。今日もすぐには終わらずに遅くなることを覚悟して待っていたのだか、思っていたより早くジノは待ち合わせの場所にやって来た。
「で? 話ってなんだよ」
顔を合わせるなり本題に入る。今日は訓練終わりにしてはさっぱりした格好をしている気がする。いつもは訓練で汗だくになり、泥汚れと混じってドロドロになっているのだが、なんだか今日は違う。いつもはボカボサで好き勝手に跳ねている金色の髪もなんとなく大人しい気がする。何か特別な日だったかなと疑問に思いつつ、訓練が終わってボロボロの格好のままで来てしまったイザベラは自分の頭に手を乗せてひとつ結びにした長い髪を整える。
「お願いがあって。私と恋人のふりをして欲しい」
単刀直入に言うとジノはよほど驚いたのか、吹き出してしまった。
「は? なんで俺がお前なんかと」
「私と恋人になるのが嫌なのは分かるけど、緊急事態だから仕方ないの」
「こっ、こここここ……」
なぜか顔を真っ赤にして、「こ」しか言わなくなってしまった。
「なんで鶏のマネなんかしてるの? 真剣にお願いしてるんだけど?」
「してねぇよ! そうじゃなくて俺とお前が、あれだ! その、なんだ……」
なんだかはっきりしないジノにイザベラは苛立つ。今は遊んでいる場合ではない。リリの婚約破棄のためにバラージュ伯爵の弱みを握らなくてはいけないのだから。
「なに? 言いたいことがあるならはっきり言って」
「だから、俺とお前じゃ、その振りは無理があるだろ」
すごく濁しているが、要はイザベラとジノでは恋人同士に見せるには無理があると言いたいのだろう。そんなことはイザベラだって分かっている。いくら幼馴染と言っても、顔を合わせればしょっちゅう喧嘩をしている。その二人がいきなり恋人になりましたと言ったところで、友達や同僚を騙すことは無理だろう。そんなことを言った日には、何か悪い物でも拾い食いしたか、頭を強く打ったのかと心配されてしまう。しかし、今回騙す相手はバラージュ伯爵だ。普段のイザベラとジノのことは知らない。全く知らない相手にイザベラ達が恋人だと嘘をつくメリットはないわけだから、恋人だと言ったところでまさか嘘だとは思わないだろう。だからジノに頼んでいるのだ。というかこんな事は幼馴染のジノにしか頼めない。普段は喧嘩ばかりだが、腐っても幼馴染。相手の考えていることはなぜかよく分かるのだ。他の人に恋人役を頼むとすると、お互いのことを良く知るところから始めないといけない。それだとリリの婚約破棄をするのが遅くなってしまう可能性がある。もたもたしている間に結婚してしまったり、何かあってからでは遅い。事は一刻の猶予もないと言っても過言ではない。
「他の人には頼めないから、ジノに頼んでるんだけど」
「そもそも、俺にも頼むなよ、こんなこと」
「じゃあいいわよ。他の人に頼むから」
煮え切らないジノに痺れを切らしたイザベラは、軽く鎌をかける。
「やらないとは言ってないだろ! つか、お前は良いのか?」
「ん? 良いって何が?」
「振りをするってことは、俺とお前が、つ、付き合ってることになるんだぞ。お前、第一騎士団長が好きなんだろ」
「なっ!!! なんで!!???」
「なんでって何がだ?」
イザベラは自分の顔が熱くなるのが分かるほど動揺する。なんでイザベラが第一騎士団長に好意を寄せていることをジノは知っているのか。誰にも話したことないはずなのに。
「なんであんたが知ってんのよ」
「はあ? お前の行動見てりゃ嫌でも分かるだろ」
「嘘。うそうそうそ。誰にもバレてないと思ってたのに」
「あれでか? 団長が通るたびにキャーキャー言って、声を掛けられると顔を赤くしてただろ。多分みんな知ってんじゃねーの」
「みんな……。え、みんな知ってるの? もしかしてヴィクトル様も?」
「気付かれてないと思ってたのか? 残念だったな」
ジノは意地の悪い笑みを浮かべている。ずっと隠せていると思っていたのにまさかバレバレだったなんて。恥ずかしさと相手に気持ちが知られていたショックで視界がぐらぐらする。ジノがまだ何か言っているがイザベラの耳には届かないどころか、急に世界が終わってしまったかのように視界が暗転した。