好きな人がいるのなら
「とても良かった」
観劇を終えたイザベラは涙ぐむ目をハンカチで抑えながら、何度目になるか分からない言葉を呟く。
「そうか?」
感動するイザベラとは反対にジノの反応はいまいちだった。
「良かったじゃない」
「あー俺にはよく分からねぇ。大体最後はなんで二人して自害するんだ? 駆け落ちでも逃亡でもすれば良いだろ?」
「分かってないわね。それだからモテないのよ」
「なっ⁉︎ 関係ないだろ! てか恋人よりも身分に拘るなら、そこまで好きじゃなかったんだろ」
「そうじゃないのよ。好きだからこそ身分に拘るのよ」
「全然分かんねー。俺だったら身分なんかどうでもいいけどな」
ジノがそんな風に言うとは思わなかった。貴族で、ましてや嫡男なら身分を気にするものなのだが、もしかしたらジノには身分を捨てでも一緒になりたい相手でもいるのだろうか。
「俺は身分って必要だと思うな」
声のした方を見るとリリとマルセルが仲良く腕を組んでこちらに来たところだった。今まで手を繋いでるところすら見たことなかったが、少しは仲良くなれたのだろうか。
「そうよね! マルセルも感動したでしょ」
「感動はしなかったかな。あまりに自分たちは可哀想なんですっていう雰囲気が漂っていて二人だけの世界って感じだった」
「なにそれ。リリは?」
「私もあまり。愛だけでは生活は出来ません」
イザベラの期待していたような答えではなく、二人の冷めた感想に涙が引っこむ。
「みんな夢がないわ」
「イザベラは夢見すぎたろ」
「私は感動出来るイザベラが羨ましいですよ」
絶対泣けると話題になっている恋愛劇なのに、四人でいるとイザベラの感覚が人とは違うかのようで納得いかない。
「それとジノはモテるよ」
「え?」
「なんだよ急に」
「この間ジノが騎士団の先輩に告白されているところ見ちゃったんだ」
それは初耳だ。
「なに覗き見してんだよ」
「たまたまだよ。なるべく女性に見つからないようにしてると、そういう場面に遭遇しやすいんだ」
「なんで教えてくれなかったの?」
「イザベラに言う必要ないだろ」
まあ、ジノの言う通りなんだけど。でも仮に恋人のふりをしているのだから教えてくれても良いんじゃないか。それにもし、告白してきた人と付き合うことになったら今の関係を見なおさないといけない。気軽に話しかけるのだって控えたりとか……。そこまで考えて胸が苦しくなる。
「ジノさんはその人とお付き合いするんですか?」
リリの言葉にドキリとする。付き合うと言われたらどうしよう。
「付き合わねえよ」
その言葉になんとなく安心する。
「断ったの?」
「当たり前だろ。……イザベラがいるんだし」
照れたように俯きがちに呟くジノの答えに驚くとともに顔が熱くなる。それはどういう意味だろう。
「そうだよね。ジノには恋人がいるのにね」
にっこりと穏やかに笑うマルセルに、はっとする。これは今ここでして良い話ではない。危うくぼろを出すところだった。まさかジノに救われるとは思わなかった。それに危うく勘違いするところだった。ジノがイザベラを好きなはずないのに。
二人と別れたあと、イザベラとジノは同じ馬車に乗って帰路につく。すでに日は落ち、雲が出ているため馬車の中は暗く、お互いの表情を見分けることは難しい。
「あのさ、さっきの話だけど」
「ん?」
「私あんまりジノの気持ちとか考えずにお願いしちゃったからさ」
「なんのことだ?」
「もしジノに好きな人とか、付き合いたい人とかいるなら言ってね」
なんとなくだがジノに好きな人がいるとは思っていなかった。小さい頃から良く知っていて、会えば口論になりやすいが嫌いなわけじゃない。ただ他の人より何でも言えてしまうぶん、遠慮がなくなってしまう。それにしょっちゅう会うのでお互いのことを良く知っている気になっていた。
「恋人のふりしたままだと好きな人に勘違いさせちゃうし、その、邪魔はしたくないから」
なるべく明るく普段通りになるように、ドレスを握りしめながら言う。なんてことない会話のはずなのに訓練の時より緊張している。
「なんだそれ?」
冷めた一言に、一気に緊張が緩む。
「え? だって告白されたんでしょ?」
「伝わんねぇのな」
「え? なに? どういうこと?」
「なんでもねぇよ」
「ちょっとなによ。はっきり言いなさいよ」
「やだ」
そっぽを向かれてしまう。イザベラは心配したのにその態度はないんじゃないかと怒りが湧いてくる。
「なによ! 心配したのに」
「心配する必要ないから安心しろ」
「それって……これからも恋人のふりをしてくれるってこと?」
窓の外を見ているジノに問いかけると、大きなため息を吐かれる。
「そうだよ」
不機嫌そうな声ではあったが、嫌ではなさそうだ。嫌ならとっくに断っているはずだ。こちらを向いたジノの顔に一瞬月明かりが差し込む。その顔はほんのりと朱に染まっている気がした。