mission 40人魚姫
この辺りの海域は、特に魔力が溢れているのか、普通の海とは見た目からして違う。
虹色にも見える光を放つ海岸を見ながら、マリウスはシアやセオとは反対側に向かって歩いていた。
天気も良くて雲もほとんどない。
海は穏やかに輝いていて、ミッションがなければこの中で争いが起こっているなど夢にも思わないだろう。
入り江は波に削られて作られていて、皆と分かれた場所は砂浜だったが離れるにつれてゴツゴツした岩が増えていった。
マリウスはその岩から岩へと、危なげなく飛び移りながら移動した。
シアが見ていればきっと、攻略対象は運動神経まで恵まれているのかと思った事だろう。
「・・・・・―――。」
海辺の散歩を意外と楽しんでしまい始めていた時、マリウスは何かが聞こえた気がして動きを止めて耳を澄ませた。
ほんの小さな何か。
声と言えるほどのものではないけれど、何か生き物の気配か息遣いか。
「・・・こっちか?」
気配を感じた方へと向かってみるが、何もない。
いや、でも確かに感じる。
マリウスは感覚を研ぎ澄ませて周囲の様子を探った。
セオの探索魔法の真似事だ。
得意でない種類の魔法を練習しても習得効率が悪いのでいつもは自然と役割分担になるが、シールドと回復以外できないというのでは、一人の時に何もできないので困る。
便利な魔法は基本だけは練習していた。
「ここか。」
思いのほか近く、すぐそこの足元にその気配はあった。
きっとマリウスに気が付いて、とっさに魔力を使って隠れたのだろう。
高度な気配遮断のシールドが張ってある。
一瞬感じた気配はとても弱っているようだった。
このような強いシールドを張り続けていては増々弱ってしまうだろう。
セイレーンか、人魚か。――――それとも別の何かか。
分からないが、マリウスは岩と岩の隙間に出来たほんの小さなスペースに降り立った。
手の平を突き出すと、何もない空間で止まる。シールドだ。
無理やり解除させることもできそうだが、気が進まない。
何故だかこの弱弱しいシールドを張っている者は敵ではない気がした。
「・・・警戒するのは当然ですよね。私はマリウス・オーレンドルフと申します。お話を聞かせていただけませんか。」
あなたの味方だとは・・・言えない。
このシールドの中にいる者が何かすら分からない。
敵になる可能性だってあるだろう。
適当に無責任な事は言えないマリウスらしかった。
「あなたが誰なのか分かりません。ですが私は水魔法の使い手で、回復魔法が使えます。あなたの味方かどうかは分かりませんが、あなたの回復のお手伝いをすることをお約束します。」
1、2、3、4、5。
ゆっくりと数えて5秒ほど経った時、シールドが解かれた。
そこにいたのは魔力を使い果たした上に傷を負った、息も絶え絶えの人魚の女性だった。
*****
「・・・・ありがとう。助かったわ。」
マリウスが慌てて回復魔法をかけると、人魚はニコリと微笑んだ。
しかし緊張は解いていない様子だ。
それはマリウスの方も同様だった。
人魚が解いたシールドを、今度はマリウスがかけ直すと、人魚の女性は目を見張って驚いた。
緑色のような青色のような、不思議な色の魚の下半身。
水色の長い髪はマリウスと少し似ている。
「いえ。回復魔法は一時的なものに過ぎません。失った魔力を戻すには、時間をかけてゆっくり休まれなくては。」
闇魔法の使い手であれば魔力を回復させることも可能だろうが、今日はレンは不在だ。
「何があったのかお聞きしてもよろしいですか。」
「お話するのは良いけれど。」
その人魚の女性は、特に何かを期待する様子もなく、その美しい顔を諦めたようにかすかに歪ませて語り始めた。
何千年と同じ海域に共存するうちに、セイレーンと人魚は仲良くとは言わないまでも、時折喧嘩をしたり軽口を交わし合ったり、同じ海域に住むものとして問題なく過ごすようになっていた。
しかしセイレーンの中に、ある日特別に強い男の個体が現れた。
その個体はとても凶暴で、共存していた人魚たちを次々に襲って喰うようになった。
そして喰えば喰うほど日に日に力を増していく。
そのセイレーンの命令で他のセイレーン達まで人魚を襲うようになってしまった。
なすすべなく蹂躙されていく人魚たち。
なんとか入り江から逃げ出せた人魚もいたが、今でも隠れて息を潜めている人魚たちがいる。
逃げるのが間に合わず、散らばって息を潜めている。
「あとどれぐらいの人魚がいるのか。もう狩りつくされてしまったのか。ばらばらになってしまって分からないの。」
「あなたも逃げ遅れてしまったのですね。」
マリウスが訪ねると、その人魚はすぐに返事をせずに下を向いてしまった。
「私は・・・・人魚の王女です。父王と弟王子は逃がしたけど、残っている民がいる限り、王族が全て逃げ出すわけにはいかない。・・・・・母はセイレーンに喰われたわ。」
「・・・そうだったのですか。」
「・・・・回復してくれてありがとう。助かったわ。いつまでもここにいるわけにはいかないわね。地上にいるところを見つかったら格好の餌食になってしまうもの。・・・・・それじゃあね、坊や。」
人魚はマリウスに助けを求めはしなかった。
きっと人間がセイレーンに敵うはずがないと思っているのだろう。
海へと向かう人魚の動きが止まる。
マリウスのシールドが邪魔でそれ以上進めないのだ。
「あの、このシールドを解いていただけないかしら。坊や。」
「ご自分で解いて行かれては?」
マリウスがニコリと笑う。
女生徒がコロッと騙される、悪気など一切なさそうな微笑みだ。
「そうさせていただくわ。」
人魚はそう言うと、シールドに手をかざす。
人間の魔力など大したことはないと思っているのだろう。
しかしどうしたことだろう。
シールドに手をかざしたまま、一向にシールドはなくならない。
揺らぐことすらない。
徐々に人魚の表情が変わっていった。
「・・・・・坊や?」
「先ほども言いましたが、私はマリウスと申します。」
今度はしっかりとイジワルな顔でニヤリと笑う。
「そんなに弱った状態で戻ったら、すぐにセイレーンに掴まってしまいますよ。せっかく回復してさしあげたのに魔力がもったいないじゃないですか。」
「でも・・・・。」
「ご覧の通り、このシールドの中にいれば安全です。実は私は今日何人か仲間と来ていまして。お役に立てるかもしれませんよ?」
その言葉に、人魚の顔に一瞬希望の光が浮かぶ。しかしすぐに自分を戒めるように俯いて暗くなってしまった。
「人間が何人いたところで・・・人魚の王にだって敵わなかったのに。」
「とりあえず、もう少し魔力が快復するまで休みましょう?そのうち私の仲間が集まってきます。」
そう言うと、マリウスは水の球を打ち上げた。
球は空高く飛んでから弾けて、太陽の光を受けてキラキラと輝いた。
精霊獣のいないマリウスには直接的な連絡手段はない。
しかし、この球を打ち上げ続けていたら、すぐに誰かが気が付いて来てくれることだろう。