98 意外性の男
ロザリーが王都に着いてから、十日後。
今日は二か月以上にわたる実習期間が終わり、授業が再開される日だ。
赤の教室に生徒たちが集まって、それぞれに思い出話に花を咲かせている。
そこへ担当教官のヴィルマが入ってきた。
生徒たちは慌てて自分の席に戻る。
ヴィルマは教壇に立ち、教え子たちに語りかける。
「今日から最後の必修授業期間に入る。それが終われば卒業試験よ。今日から卒業の日まで、息つく暇もなく過ぎていくわ。そのどこかで躓けば、騎士の道は閉ざされる。心して臨んで。でもまずは――」
ヴィルマは間を取り、感情を込めて言った。
「お帰りなさい」
そして朗らかに笑う。
「みんな、見違えたわ。辛い実習を乗り越え、一回りも二回りも大きくなった。あなたたちの担任として、これほど嬉しいことはないわ」
生徒たちは誇らしげに胸を張ったり、俯き加減にニンマリしたりしている。
「特に……オズ!」
「はいっ!」
オズが立ち上がる。
「あなたの実習先が黒獅子騎士団に決まったとき、なんてついてない子なのかしらと思ったわ。何か、悪い星の下に生まれてきたんじゃないかと」
ドッ、と笑うクラスメイト。
しかしオズは、そんな周囲の反応の中でも堂々としている。
それを見て、ヴィルマが微笑む。
「でも、あなたは帰ってきた。毎年、ほぼ全ての者がその過酷さから逃げ出す、レオニードの門から。見事やり遂げて、大きく成長して帰ってきた。……みんな、〝意外性の男〟オズに拍手!」
教室に大きな拍手が巻き起こる。
「さあ、オズ! みんなに一言!」
オズはぐるっとクラスメイトを見回して、一言。
「どうってことなかったぜ」
すると教室のあちこちから非難の声が上がった。
「嘘つけ!」
「どうせ泣きわめいてたんだろ!」
「きっとオズのあまりの出来の悪さに、ニド殿下も匙を投げたんだわ」
これにはオズもムッとする。
「ふざけんなよ、お前ら! 俺がどんだけ――」
「――はいはい、そこまで。では授業を始めるわ。もちろんここも試験範囲だからね?」
ヴィルマの言葉に、生徒たちの顔が引き締まった。
授業を終えて、ロザリーとロロはいつものように二人で渡り廊下を歩いていた。
そこへ、オズが後ろから走ってくる。
「よう、兄弟!」
オズはロザリーとロロの間に割り込み、二人と肩を組んだ。
「オーズ。急に馴れ馴れしくない?」
「それは違います、ロザリーさん。彼は元から馴れ馴れしいです」
「それもそうね」
ロザリーとロロは嫌味っぽくそう言ったのに、当のオズはニヤニヤと笑ったまま。
気味が悪くなり、ロザリーが尋ねる。
「で、どうしたの。〝意外性の男〟さん?」
するとオズは、笑いながらも真剣な表情で言った。
「俺はお前に付くぜ」
「うん?」
首を捻るロザリーに気づかず、オズが続ける。
「グレンもジュノーも狙うつもりだ。俺は実習で一緒だったからな、奴らの本気度はよく知ってる。二人とも手強いぜ」
「へー、そうなんだ」
「例年はクラスごとに派閥が分かれて、クラス対抗戦みたくなるもんだが……今年はそうならないと俺は見てる」
「へえ」
「グレンはあの性格だ、人が寄りつかない。鳥籠出身なのも大きなマイナスだ。グレンの立候補を無視して他に騎士団長を立てるか、あるいは他のクラスへ流れるか……どっちにしろ青のクラスは割れるだろう。そしてロザリー、お前だ」
「私?」
「死霊騎士はどうしてもイメージが悪い。気味悪がったり、怖がったりされる。その上、お前も皇国の出らしいじゃないか。そうなるとグレン以上に人を呼べないのは、もはや確定事項だ。うちのクラスの大半も、お前を支持しない」
「はあ」
「黄のクラスはウィニィを立てるだろう。割れることなく王子様に付くはず。だが、肝心のウィニィには、あまり狙う気がないみたいだ。となると、ウィニィはジュノーと合流する可能性が出てくる。なにせ許嫁だからな。ウィニィがジュノーの下につくのか、逆にジュノーがウィニィを担ぐのかはわからないが……まあとにかく、黄のクラスと緑のクラスの合流は誰でも想像がつくことだ。合流が実現すれば、四クラス中の二クラス――つまり三年生の半分がジュノー派ってことになる。おそらく、赤と青からもジュノー派に人が流れるだろう。勝ち馬に乗ろう、ってな。そうなったらもう、勢力的にジュノー派一強だ」
「ふーん」
「だが、俺は――」
オズがロロの肩から手を放し、ロザリーの正面に回る。
「――お前が勝つと思う。何人が束になろうが、ロザリーが負ける姿は想像つかねえ」
オズのまっすぐな眼差しに、ロザリーの視線が泳ぐ。
「う、ん」
「とはいえ作戦は必要だ。ベルムは純粋な力比べじゃないからな。……ロロはどうだ? ロザリーに付くんだよな?」
ロロは眼鏡を直しながら答えた。
「そうですねぇ……まず、ロザリーさんに狙う気があるかどうかですが」
「なにっ!? 狙わないのか、ロザリー!? ド本命なのに狙わないなんて正気か!?」
オズに肩を揺すられ、目を白黒させるロザリー。
そこへロロが口を挟む。
「ところでロザリーさん。オズ君がなんの話をしてるか分かってます?」
ロザリーは揺すられながら、困惑した様子で言った。
「わっかんないよ! オズは何を言ってるの?」
するとオズは揺するのを止めた。
「おまっ、それでボケーッと反応悪かったのか? ほんとにわかんねえ? それこそ正気とは思えねえが」
「だってわかんないんだもん」
ロロがコホンと咳払いをした。
「ロザリーさん。前にもこういうことがあったの、思い出しませんか? 私とオズ君が二人がかりでロザリーさんに説明したこと、ありましたよね?」
ロザリーが宙を見上げる。
「あー……あった。いつだっけ」
「実習の前。課外授業でハイランドへ向かっているときです」
「そうだそうだ。たしか、最終試練の話だったよね」
「それだよ!」「それです!」
二人に同時に指をさされ、ロザリーが思わず仰け反る。
「そ、そっか、最終試練の話ね。卒業近いんだし当たり前か」
「ちゃんと思い出したのか?」
オズに問われ、ロザリーは必死に記憶を辿る。
「おっ、覚えてるよ。何だっけ、リルリル剣? みたいな……」
オズが大きなため息をつく。
ロロがロザリーの言葉を訂正する。
「リル=リディル英雄剣。優勝チームの騎士団長に与えられる主席卒業の証です」
「そうそう。うん、覚えてる。覚えてるよ?」
オズが「マジかよ、こいつ……」と首を横に振る。
ロロがロザリーに問う。
「で。狙うのですか?」
「その狙うってのが意味わかんないんだけど」
「最終試練は、チームを騎士団に見立てた団体戦です。そして優勝チームのリーダー――つまり騎士団長だけがリル=リディル英雄剣を手にする。狙うとは、自分が騎士団長となり、リル=リディルを狙うということです」
「はー、なるほど。じゃあみんな騎士団長になりたがるんじゃないの?」
「そんなことはありません。みんな、この三年間で同級生の力関係は把握していますから。自分は一番にはなれない、でも優勝チームにいたいと思う人はたくさんいます。そういう人たちは、自分たちが推す人物に従うのです」
オズが言う。
「たくさんどころかほとんどがそうさ。俺だってそう。みんな勝ち馬に乗ろうとするし、騎士団長も勝つために人を集めようとする」
「そっか、それでさっきの話に……はっ!? たしかジュノーは、課外授業のときから根回しがどうとかって!」
「そう。奴はあのときからチームの人集めを始めてる。ロザリーの実力を見たあとでも、実習先に黒獅子騎士団を選び、お前との差を詰めようとしている」
ロザリーは感心したように何度も頷いた。
「すごいね、ジュノーは本気だ」
ロロが言う。
「狙うかどうかは個人の自由。しかし例年は、オズ君が言ったようにクラス対抗戦の側面が強いんです。魔導性ごとにライバル意識がありますからね。クラスをそのままチームにして、みんなで騎士団長を選ぶのがお決まりです」
「でも今年は違うと、オズは言うのね?」
オズが声を潜ませる。
「うちのクラスな? 今、俺たち以外みーんな教室に残ってる。何してると思う?」
ロザリーは目を見開いた。
「クラスの騎士団長を選んでる?」
「その通り!」
オズがビシッとロザリーの顔を指差す。
ロロがしょんぼりと言った。
「そうなんですね……。ちょっとだけ、寂しいです。短い間ですけど一緒に魔女術を学んできた仲間だと思っていたのに。のけ者にするなんて……」
「ま、そこは言っても仕方ねえよ。奴らにとってはそうするだけの理由があるんだろうから」
「そうかもしれませんけど……誰が騎士団長になるんでしょう?」
オズが宙を見上げる。
「推されるのはウィリアスだな。でもすんなり決まるとは思えねえ」
「なぜです?」
「だって、ロザリー抜きでジュノーに勝てるわけねーもん。負け確定のチームの団長なんて、ウィリアスだっていい迷惑さ」
ロロが小さく頷く。
「たしかに……今頃、青のクラスでも同じようなことが起きてるんでしょうかね」
「だろうな」
ロザリーは、ぼやくように言った。
「どっちにしても、私たちは三人ぽっちなんだよね」
すかさずオズが言う。
「なら、狙うのやめるか?」
ロザリーは即答した。
「狙う。ハブられてそのままって気分悪いし」
「よし」
オズがニヤリと笑う。
ロロがふと、オズに聞いた。
「オズ君は狙わないのですか?」
するとオズは近くにあった段に片足をかけ、なにやらかっこよさげなポーズをとった。
「同じ実習をこなした身だ。俺だってジュノーにもグレンにだって負ける気はない」
「お~」
「でも、ロザリーには勝てない。強くなって改めて思う。いや、強くなったからわかるのかも」
オズはポーズを解き、ロザリーに微笑みかけた。
「だから俺はお前に付く。勝ち馬に乗る」
ロザリーは戸惑った様子で腕を抱いた。
「あんまり信用されても困るんだけど。それに、その勝ち馬に乗るってのもよくわかんない」
するとロロが説明した。
「言い忘れてました。優勝チームには特典があるのですよ」
「特典?」
「筆記テストから始まる卒業試験。その合計点数が、優勝チームは五割増しになります」
「五割増しって……えっ、大きすぎない?」
「とても大きいです。なので成績優秀者として卒業するには、優勝チームにいるのが絶対条件になります」
「はー。知らないことばっかりだ」
するとオズとロロが同時に突っ込む。
「お前はな」「ロザリーさんだけです」
ロザリーは口を尖らせ、最後の質問をした。
「じゃあ優勝チームの騎士団長は二倍? 三倍? それともリル=リディルだけ?」
「いえいえ。リル=リディル英雄剣は主席卒業の証だと言ったでしょう?」
「うん。……あ、ってことはもしかして」
「優勝チームの騎士団長は主席卒業。他の試験がどんなに悪かろうが、問答無用で卒業生ナンバーワンです」