97 帰還
南ランスローを出て、三日目の朝。
朝晩問わず走り通しだったグリムが、ようやく止まる。
「……着いた」
視界に映るは、懐かしき王都ミストラル。
久しぶりに帰った街を前にして喜んでいいはずなのに、ロザリーの顔にそんな感情は見当たらない。
まるで親に怒られるのを待っている子供のような表情だ。
後ろに乗るヒューゴが言う。
「早く着いたネ」
「……うん」
「休みなしで来たもんねェ」
「うん……あぁ、どうしよう! 着いちゃったよぅ!」
「ご愁傷様。サ、観念して彼らを出してみよう」
ロザリーは口をへの字に曲げてヒューゴを見たが、彼は笑顔を張りつかせて見つめ返すだけ。
ロザリーはついに諦めた。
「グリム、戻りなさい」
グリムはまだ走り足りない様子だったが、短く嘶いてロザリーの影へと飛び込んだ。
地面に着地したロザリーは、自分の影に手を置いた。
「お願い。お願いっ……!」
「生きてるといいねェ」
影が広がる。
前回の草原を覆いつくすような面積ではなく、ちょっとした庭程度の広さだ。
「吐き出しなさい、大喰らい!」
すると広がった影から、大喰らいの口先だけがにゅっと突き出した。
しばらく口先を震わせていたかと思うと、ふいにペッ、ペッペッ、と三つの塊を吐き出した。
吐き出された塊――ラナとロブとロイが、地面を転がり、横たわる。
「ん、んん……」
「うっ……」「眩し……」
三人は横たわったまま蠢いている。
「やった、動いてる! 生きてるよ、ヒューゴ!」
「まだわからないヨ。死霊だって動くし、ボクみたいに喋るのもいるから」
「そ、そっか。そうよね」
「ラナの顔が骸骨になってないといいねェ」
「あうぅ、怖いこと言わないでよぅ……」
ロザリーが凝視する中、三人がゆっくりとこちらを振り向く。
「……ロザリー」
ぽかんとした肉付きのラナの顔。
それがみるみる怒りの形相へと変わる。
「あんたねえ! いきなり私たちを大喰らいに食べさせるなんて、頭おかしいんじゃないの!?」
「あ、いや」
「あと、水と食料用意してくれてるのはいいんだけどさあ! 明かりも入れといてよ! ロブロイったらあれだけ荷物あるくせに魔導ランプ無かったんだよ!? ずーっと真っ暗だったんだから!」
「ごめん、ごめんね。ところで、こっちも大事な話があるんだけど……」
「大事な話? 何よ」
「あー、えっと……元気?」
「……はあ!?」
「えーと、健康上の問題はないかってことで」
「おかげさまで! 腹が立つくらい元気ですけど!」
ヒューゴがロザリーに近寄り、耳打ちした。
「生きているようダ」
「ほんと!?」
「アァ」
「よかった。本当によかった……」
気が抜けたロザリーは、地面にへたり込んでしまった。
それを訝しげに見下ろすラナ。
と、そこへロブとロイが叫ぶ。
「見ろよ、ラナ!」「ミストラルだ!」
「えっ?」
「何年ぶりかって気分だぜ!」「懐かしきミストラル!」
ラナが双子の元へ駆け出し、王都を視界に収める。
「本当に着いてる……!」
ラナの顔から怒りが消え去り、喜びがあふれ出す。
今度は座り込むロザリーの元へ走ってきて、彼女の背中を何度も叩いた。
「ロザリー! でかしたっ!」
ロザリーは微妙な表情で、ラナを見上げた。
「ほんとごめんね」
「ん? なんで謝ってんの?」
「なんでってほら、いきなり大喰らいに呑ませたから」
「それは私が怒って、ロザリーが謝って終わったじゃない。今はミストラルに着いたことを褒めてるの! ロザリー、褒めてつかわす!」
「あ、あはは……」
ミストラルに入ってロブロイと別れ、ソーサリエに入ってラナと別れて。
ロザリーは寮の自分の部屋へと向かった。
ドアノブに手をかけたとき、室内の懐かしい気配に気づく。
ロザリーは扉を勢いよく、開け放った。
「ロロ!」
猫背のルームメイトは驚いて振り返り、次の瞬間には満面の笑みを浮かべた。
「ロザリーさん!」
ロロはぴょんぴょん跳ねるような足取りで歩み寄ってきた。
ロザリーも近づいて、がっしと抱き合う。
「久しぶりー!」
「ロザリーさん! 会いたかったですー!」
しばし抱き合い、ロザリーがふと気づく。
部屋は片付いていて、ロロの持ち物はよく整理されている。
「ロロって、ずいぶん前に実習終わったんだね」
「いえ? まだですが」
「ん? まだ?」
「まだ実習中です、はい」
「じゃあどうして今ここに?」
「実習先が黄金城の魔導院なのですよ。だからここから通っているというわけです」
「えっ、そうなの? でも、必死に荷作りしてたじゃん」
「あのときは遠く辺境の弱小騎士団へ向かうはずだったのですが……ヴィルマ教官からの【手紙鳥】で呼び戻されたんです。魔導院に空きが出たから変更だと。思うに、ヴィルマ教官は私が仕事を紹介しろと言ったことを覚えていてくれたんです」
「仕事……ああ、クラスの代表決めのときに!」
「そう、それです! 実習で顔を覚えてもらうと就職するのにすごく有利なようですし、魔導院職員ほど安定した仕事はありませんし。飛んで引き返してきた次第です」
「なるほどね。で、魔導院の実習はどう?」
途端にロロの顔色が、疲れ果てたものへと変わった。
「毎日、ひたすら書類整理です。ノルマが尋常ではなく。よくここまでやり通せたものだと自分でも思います、はい」
「書類整理……魔導院っぽいなあ」
「ノイローゼになって脱落した方もいるほどです。彼女は紙を見ただけでひきつけ起こすほどで……もう見ていられませんでした」
「うわあ……」
「でも、でもですね! やりがいもあるのです! 私の指導騎士も魔女騎士で、書類整理もやるのですが……指導騎士殿、手抜きしてたんです!」
「んん? それのどこがやりがいなの?」
「魔女術による手抜きです。ロザリーさん、知ってます? 【踊りペン】のまじない」
「知らない! なにそれ!?」
「自動筆記のまじないです。ある程度仕事を覚えれば、あとはこのまじないで格段に楽になります。きっと指導教官は私に盗ませるために、わざと手抜きの様子を見せていたんだと思います」
「へえ! いい指導騎士に当たったみたいだね」
「そうだと思います。たまに王立魔導書図書館の中へ入る用事も頼まれますし。本当は魔導院職員でないと王族でも簡単には立ち入れない場所なんですよ?」
「すごい。入ってみたい」
「あー、ダメですよ? 不法侵入は重罪ですから」
ロロに真面目な顔で注意され、ロザリーが笑う。
「やらないよ」
「ならいいですが。ロザリーさんは実習どうでした? というか、結局どこへ実習へ行ったんです?」
「ポートオルカと南ランスロー。船に乗って一週間くらい航海したんだよ」
「へえ、いいですねえ!」
「でもロロみたいに、先輩騎士との関わり合いみたいなのはまったくなかったから。コネ作りみたいなことはできなかったな」
「ロザリーさんは心配ありませんよ。引く手あまたですから」
「そう?」
「私の指導騎士は魔導院中核魔女騎士なのですが……ロザリーさんについて聞かれました」
「へ? なんで?」
「アトルシャンの一件です。ロザリーさんはあの洞窟に【鍵掛け】しましたよね? それを【鍵開け】するために私の指導騎士も派遣されたんです。とても難儀したのだとか」
「あー……。開けるときのこと考えてなかったな」
「どれほどの魔女術を使うのか。どの騎士団に入るつもりなのか。根掘り葉掘り聞かれました。魔導院だけではありません、多くの騎士団が注目しています。きっと新騎士指名会議にかかりますよ」
「どらふと? よくわからないけど、そのためにはまず卒業しないとね」
「ええ。だから私はまず実習を――おおっと! 遅刻しそうなのでこれで失礼します!」
ロロは慌てて鞄を脇に抱え、部屋の外へと駆け出した。
「ロロ!」
「はい?」
呼ばれて振り返ったロロに、ロザリーが胸の前でこぶしを作る。
「がんばって!」
「はいっ!」
ロロは元気よく返事をして、部屋を飛び出していった。