90 遺跡の中へ
扉を開けるとすぐ、下り階段になっていた。
「暗いぞ、気をつけろ」
サベルがそう声をかけた瞬間。
「「きゃっ!」」
アデルとアルマはつんのめり、階段を転げ落ちそうになった。
踏みとどまった姉妹を見て、サベルが安堵のため息を吐く。
「やはり、俺が先に行こう」
「いいえ、私たちが」「でも、側にいてほしい」
「わかった」
そうして姉妹を先頭に、そろりと階段を下りていく。
階段の行方は闇に閉ざされていて、どこまで続くのかと誰もが不安を覚えていた矢先。
アデルが言った。
「階段が終わったわ」
「えっ? もう?」
そうラナが問うと、アルマが言った。
「でも、何も見えない」
サベルも階段を下り、ロブロイ、ラナ、ロザリーと続く。
「しまった。魔導ランプ持ってくるんだったな」「誰か、聖騎士の人~?」
「いるわけないでしょ、ロブロイ」
「待て。松明がある」
サベルは荷物から松明を取り出した。
しかし、なかなか明かりが灯らない。
屈みこんで松明に火を灯そうとして、苦戦している。
ロザリーが問う。
「濡れちゃった?」
「油紙で包んでおいたんだがな。……っ、よし。点いた」
松明の灯りが周囲を照らす。
そこは石造りの通路だった。
上下左右の幅が均等な、正方形の通路が続いている。
ロザリーが奥を見通す。
「突き当りが見える。そこまで一本道ね」
サベルが松明を掲げて目を凝らすが、彼には見えない。
「よく見えるな」
「夜目が利くので」
ラナが軽い調子で言う。
「迷路とかじゃなさそうでホッとしたわ」
「甘いぜラナ」
「ここは〝旧時代〟の遺跡だぞ?」
「見たことない仕掛けがわんさかあってもおかしくない」
「ついでに見たことない魔導具がわんさかあってもおかしくない!」
「はいはい。あんたらって、そればっかねぇ」
サベルが松明の炎の揺らぎを見て言った。
「空気が流れていない。長居しないほうがいい。行くぞ」
しばらく行くと、ロザリー以外にも突き当りが見えてきた。
突き当りから左右に通路が伸びるでもなく、袋小路になっている。
「えー、行き止まりなの? ここって何のための遺跡なのぉ?」
「ほんっとバカだな、ラナ」「仕掛けがあるに決まってる」
「そ~かなぁ?」
姉妹のすぐ後ろを歩くサベルが、首だけで後ろを振り向いた。
「……ロザリー」
「ええ。臭いますね」
そのとき。
先頭を行くアデルとアルマが足を止めた。
「まさか……」「ああ……」
短くそう漏らしたかと思うと、姉妹は駆けだした。
「待てっ! アデル! アルマ!」
サベルの制止も聞かず姉妹は走り、突き当りの隅で膝をついた。
「ああっ、お父様だ」「あああ……お父様ぁ……」
ロザリーたちが追いつくと、そこには古い遺体があった。衣服は茶色に汚れ、身体は骨と皮だけになっている。
ロザリーが静かに聞いた。
「間違いない?」
泣き崩れる姉妹は同時に頷き、絞り出すように答えた。
「っく、あの眼鏡ぇ」「お母様がっ、誕生日に贈った、特注品なのぉ」
遺体の顔からずり落ちた眼鏡は、たしかに大量生産のものとは違う品質の良いものだった。
「大丈夫。大丈夫だから」
ラナが姉妹を覆いかぶさるように抱きしめる。
サベルがノアの遺体の側に膝をついた。
ふと何かに気づき、ミイラ化した遺体の髪をかき上げる。一部が乾いた血で赤黒く変色していた。
「側頭部に打撃痕」
サベルの言葉に、ロブとロイの顔色が変わる。
「打撃痕?」「転倒したとかじゃなくて?」
「他殺だ。致命傷はこれだな」
サベルは遺体の胸元を指差した。
汚れと暗さで判然としなかったが、言われてみるとここにも血の跡がある。
それも、胸からベルトを越えてズボンまでべったりと。
「頭を殴り、昏倒した相手の心臓をひと突き。手慣れている」
サベルの所感に、ロブとロイが疑問を呈す。
「いや、でもよ」「いったい誰が?」
「ノアは魔導騎士。それをひと突きにできるのだから、言うまでもなく犯人も魔導騎士だ」
「だからどこの魔導騎……まさか」「北ランスローか!?」
「あり得るな。ロザリーはどう思う」
サベルがロザリーを見上げると、彼女は入り口のほうを向いていた。
「ロザリー、どこ見て……」「まさか、誰か来るのか!?」
ロブとロイに言われ、ロザリーは慌てて否定した。
「ううん、そうじゃないんだ。ただ――」
そこまで言って、ロザリーも遺体の横に膝をついた。
「――殺されたってことは、入り口の【鍵掛け】はノアさんじゃないんだな、って」
サベルがハッと顔色を変える。
「犯人か。発覚を恐れて……」
「犯人の仕業でしょうが、発覚を恐れたからかはわかりません」
「他に理由があるか?」
「普通、戸締りするのって、また戻るつもりがあるときじゃないですか?」
「!」
「とにかく。その辺のことも、手っ取り早く本人に聞きます」
そしてロザリーはアデルとアルマを見た。
覚悟はできてるはずの姉妹だが、父の遺体を目の前にして、今も泣きじゃくっている。
「アデル。アルマ。今からノアさんに話を聞こうと思うんだけど……いいかな?」
姉妹は上目でロザリーを見た。
「……それって」「……お父様を死霊にするの?」
「しないよ。話を聞くだけ」
姉妹はぐすんと鼻を鳴らし、揃って頷いた。
ロザリーは遺体に視線を移し、意識を集中した。
言葉はかけない。
ただ、聞き耳を立てて注意深く見つめる。
いつもなら、これで死者のほうから話しかけてきた。
しかし、ノアは話しかけてこない。
(ノアさん?)
こちらから名を呼んでも返事はない。
しかし、ふとロザリーは違和感を覚えた。
ノアがこちらを見つめている気がする。
瞼をグッと閉じてから目を開いて、もう一度見つめる。
遺体は遺体のまま。
だが気づけば、ノアは確かにこちらを見ている。
(やば……これは)
気のせいではない。
ノアの眼球のない暗い眼窩と、目が合っている。
(間違いない。この奇妙な感覚……)
底の見えない深い淵を覗いているような。
月も星もない夜空を見上げているような。
(葬魔灯……!)
いつしかロザリーの意識は、ノアの眼窩へ吸い込まれていった。
まるで、魅入られるように。