8 ロザリー14才
運命のあの日から――五年後。
ここは獅子王国、王都ミストラル。
にぎやかな城下の大通りを、二人の少女が駆けていく。
「早く早く!」
「待ってよ~」
「決勝戦が始まっちゃう!」
「わかってる! ……ねね、どっちが勝つと思う?」
「そりゃロザリー様よ!」
「だよね? だよね?」
「去年、一年生なのに準決勝まで残ったんだから!」
「うん! うん!」
「でも決勝戦の相手も同級生で、すごく大きい人らしいから……」
「ええっ? ロザリー様、勝てるかな」
「でもそんなの関係ない! ロザリー様は無敵よ! 絶対勝つわ!」
「うん!」
少女たちは大きな校門を潜り、その中へ駆け込んで行った。
魔導騎士養成学校ソーサリエ。
獅子王国じゅうから集められた素質ある子供たちが、騎士となるべく訓練を受ける教育機関である。
今日はソーサリエの恒例行事、剣技大会の日。
一年生から三年生までの全生徒が参加し、最も腕っぷしの強い生徒を決める催しだ。
一般観覧も許されていて、多くの市民が闘技場に足を運んでいた。
これから行われるのは決勝戦。
詰めかけた一般市民や敗退した生徒で、観客席はごった返している。
「よう、ミンツ。惜しかったな」
観客席に座る三年生が、隣にやって来た同級生に声をかけた。
ミンツと呼ばれた三年生は、どしりと体重をかけて席に座った。
「ああ、惜しかった。腕があと二本もあれば勝ててたな」
「ククッ。悔しそうだな」
「準決勝に残った三年は俺だけだぞ? 残り三人は全部二年だ。お前だって悔しいだろう?」
「だな」
「二年は化け物揃いだ。どうかしてる」
「あの二人がいるからな。嫌でも刺激を受けて引き上げられるのだろう」
「かもな」
面白くなさそうに返事するミンツを見て、三年生はまた吹き出した。
「あのな? そんなに悔しいなら、決勝なんて見ずに寮へ帰れよ」
「見るさ」
ミンツは鼻に皺を寄せて言った。
「あの二人の戦い以外は、すべて前哨戦みたいなものだ」
審判役の剣技担当教官が、闘技場の中心に向かって歩いてきた。
観客たちは早くも歓声を上げ、祭りのような騒ぎとなる。
審判が手を上げると、徐々に歓声が鎮まっていく。
「これより、決勝戦を始める!」
そう高々と宣言すると、闘技場が拍手に包まれ、指笛が鳴った。
審判はもう一度手を上げ、拍手が鳴りやんだところで決勝に臨む二人を呼び込んだ。
「東! 二年、グレン=タイニィウイング!」
再び歓声が上がる。
長身の少年が入場してきた。
大人と比べても大柄な体格に、まだ少年らしさが残る顔つき。
太い首から背筋までを真っ直ぐに伸ばし、長くて厚い長剣を一振り、腰に差している。
「西! 二年、ロザリー=スノウウルフ!」
続いて入場してきた少女は、まるで美しい人形のようだった。
長い黒髪は星の瞬く夜空のようで、肌は陶器のように白い。
紫水晶のような瞳で相手を見つめ、腰には細身の剣を差している。
「両者、位置へ」
定められた場所で二人が対峙する。
「抜剣!」
それぞれの得物を抜く。
「始めっ!」
ワッ! と今日一番の歓声が上がった。
長身の少年――グレンは長剣を右上段に構える。
対してロザリーは、細剣を持った右腕をだらりと下げている。
それが挑発でないことをグレンは知っていた。構えもしない、あれがロザリーの構えなのだ。
グレンは距離を保ったまま、じりじりと右へ回る。
ロザリーは体の向きを変えることさえしない。
武器を持たない左手を過ぎ、ロザリーの視界から外れた瞬間。
グレンが仕掛けた。
「ハアッ!」
長剣に全体重を乗せ、振り下ろす。
ロザリーは細剣で斜めに受け、剣撃を流しながら体を入れ替える。
「よっ、とっ!」
剣の軽さとリーチの短さを活かした、ロザリーの二連突き。
間合いを取るため飛び退いたグレンへ、さらにもうひと突き。
グレンは最後の突きを見切り、直後に突き返す。
結果、リーチで負けるロザリーが飛び退く番となった。
ロザリーが呟く。
「……やりづらいなぁ」
「観客の目が気になるか?」
「そうじゃなくて。グレンには手の内バレてるから」
「この二年間、ずっと一緒に稽古してきたからな。お互い様だ」
「そうだ――ねッ!」
今度はロザリーから飛び込んだ。
迎え撃つべく体に力を込めるグレン。
と、グレンの間合いに入る直前、ロザリーは急停止した。
思わずたたらを踏みそうになるグレンへ、ロザリーが先程より速く、飛び込む。
グレンは舌打ちした。
(お互い様か。我ながら正しいな)
自分の癖を知った上で、剣も使わず崩された。
いつもなら後ろへ飛び退く場面だ。
だがきっとロザリーは、その癖まで計算に入れている。
雷光のような突きが追ってくるに違いない。
そこまで考えたグレンは、自ら体を後ろへ倒した。
胸を狙ったロザリーの突きが、グレンの鼻先をかすめて通り過ぎる。
グレンは片足を引いて踏ん張り、伸びきったロザリーの腕を下からかち上げた。
「あ、うっ」
腕だけは引いたロザリーだったが、したたかに打たれた細剣が宙を舞った。
闘技場を歓声と悲鳴が入り交じった声が支配する。
グレンはロザリーを見据え、油断なく立ち上がった。
ロザリーの視線が、遠く転がった細剣へ向かう。
戻った視線がグレンと合った瞬間。
二人は同時に細剣へ駆け出した。
グレンはこの競争に負けることはわかっていた。
ロザリーは速い。
現に、ロザリーは自分の二歩も三歩も先を走っている。
だが、それでいい。
彼女にとっては細剣を拾い、柄を握り、腰を伸ばしてこちらに向き直って初めて五分なのだ。
対して自分はそれまでに追いつき、剣を振ればいい。
追いつきそうになければ、間合いを取り直して五分に戻るだけ。
(……追いつく!)
予想したほど差が開かない。
ロザリーは細剣を拾い上げて振り向くまでに、こちらの長剣が彼女の首に届く距離だ。
そう確信したグレンは、屈みこんだロザリーの背中めがけ剣を振り上げ――足を滑らせた。
「うっ!?」
慌てて長剣を構え直すが、すでにロザリーの細剣の切っ先がグレンの首に触れていた。
目の前で、紫の瞳が悪戯っぽく笑っている。
「それまでッ!」
審判が試合の終了を告げる。
「勝者! グレン=タイニィウィング!」
「えっ?」「はっ?」
驚いた二人が顔を見合わせる。
確かにグレンの構えた長剣の刃先も、ロザリーの胸元近くにある。
パッと見れば相討ちのような格好だ。
だがどちらが死に体かは、審判から見れば一目瞭然のはずだった。
「教官殿! 私のほうが――」
異論を唱えるロザリーの耳を、審判が掴んで引き寄せた。
「痛っ、耳がちぎれます教官殿!」
「黙れ。黙って聞くんだ、スノウウルフ」
審判は静かに、しかし怒気をはらませた声で話した。
「お前、まじないを使ったな? グレンが踏ん張るであろう位置を読み、地面を滑りやすくした。違うか?」
「えっと、その……」
「黙れ、答えなくていい。剣技会において魔術は禁止。明快なルールだ。例外はない。でなければ、魔術を学んでいない一、二年など、三年の相手にならん。お前がわずかばかりまじないを使えたところでそれは変わらない。違うか? スノウウルフ」
「その通りです……」
「即刻、お前の失格を宣言してもいい。だが市民や生徒だけでなく大貴族も見ている剣技会――それも決勝で、反則で勝敗が決することになったらソーサリエ全体の恥なのだ」
「すいません……」
「負けを認め、グレンを勝者として称えろ。でなければ二位も取り上げ、最下位とする」
「称えます」
「よろしい」
ロザリーはグレンへ手を差し伸べた。
グレンがその手を掴むと、グイッと引き起こす。
ロザリーはグレンの腕を高々と掲げた。
勝敗が判然とせず戸惑っていた観客が、明らかとなった勝者へ拍手と歓声を送る。
「もっと嬉しそうな顔したら?」
ロザリーが満面の作り笑顔を浮かべてそう言うと、グレンはムスッとした顔のまま言った。
「まじないが反則だって、知らなかったのか?」
「そんなわけない。わかってるでしょ?」
「ああ。勝つために使った」
「そ。……汚い奴だって罵っていいんだよ?」
「反則だろうが、見抜けなかった俺が悪い」
「はー。相変わらずお固いね、グレン。でも――」
「……でも?」
「そういうとこ、好きだよ」
「っ! 冗談はやめろ!」
「ん? なんか勘違いしてない? 友人としてだよ?」
「~~ッ!」
グレンは耳を真っ赤にしてそっぽを向いた。
ロザリーはおかしそうに笑った。
聡明なのに愚かしいほど真っ直ぐな、親友のそんなところが好ましかった。