72 港の宴
大喰らい脱出から三日後。
夜のポートオルカは、入り江を縁取るようにたくさんの灯りが輝いていた。
そのうちの一つ、酒場〝ベルエキップ〟
弦楽器や打楽器が踊りだしたくなるような音色を奏で、店内は賑やかさに溢れている。
酒場の扉には〝貸切〟の札。
中ではロザリーたち一行による生還祝いの宴が催されていた。
飲み食いはすべてカテリーナの父、町長のおごり。
こういう時に金を出さない船長は、船員に支持されないのだそうだ。
中央のテーブル付近を埋め尽くすのは、酔っぱらった生き残りの船員たち。
「死霊騎士ってのはすげえもんだ。まさか、幽霊船を大喰らいに牽引させて帰るなんてな!」
「おかげで、これほど早く帰港できたんだ。文句は言いっこなしだ」
「文句はねえよ。ただ、大喰らいの引き波で沈みかけたときは、死んだと思ったがな!」
「ハハ! あれは危なかったな!」
酒場の隅にある窓際のテーブルを囲むのは、ヒューゴとロブロイの三人。
ヒューゴは死霊であるが、酒を好んだ。
ロブとロイが交互に注ぐ葡萄酒を、次々に飲み干している。
「――ソレは【符丁】のまじないだネ。【鍵掛け】は術者の技量や魔導量に大きく影響を受けるが、【符丁】にはそれらが必要なイ。合言葉を知っているか、知らないか。それだけ」
「そういう仕組みか……」「こっちのほうが鍵をかけるって感じだな」
「今どき珍しいんじゃないかナ? だいぶ前に廃れてしまったカラ」
「初めて聞きましたね」「何で廃れたんでしょう?」
「使い勝手が微妙に悪いんだヨ。答えを忘れると、まじないをかけた本人にも開けられないし。逆に答えさえ知っていれば、魔女騎士でなくとも開けられるカラ」
「俺たちでも開けられるってことか……」「でも、幽霊船の【符丁】は誰が仕掛けたんだろう?」
「そりゃあ、あの船長室の死霊だろう?」「死霊がまじないを使うかあ?」
「じゃあ、あれだ。生きてるときに掛けたんだ」「それで部屋の中で死んだってことか」
グラスをくいっと飲み干して、ヒューゴが言った。
「魔導具だろうヨ」
「「魔導具!?」」
「魔導具とは基本的に、実際の術を再現するようデザインされるものダ。ソノ海神の像は【符丁】を再現した魔導具で、元々船長室に備え付けられていたものではないのかナ」
「……ラナが〝合言葉〟って言ったら動いたよな」「きっとそれが起動の合図なんだ」
「起動させて古代魔導語の合言葉を答えると開く仕組みか」「言われてみればたしかに魔導具だ」
「まだまだ知らない魔導具あるんだなあ」「迂闊だった、あのとき回収しておけば……」
「待て、ロイ。幽霊船は――」「――っ、まだ港だ!」
ロブロイが二人揃って目を見開き、しばし見つめ合う。
「「回収~!!」」
ロブとロイは勢いよく酒場を飛び出していった。
一人になったヒューゴがまた杯を空け、呟く。
「若いって良いねェ……」
カウンター席では、ラナとカテリーナが肩を並べて飲んでいた。
カテリーナは船乗りらしく酒豪で、ラナもいける口だった。
「――そうですか。ラナさんって複雑な事情がおありなのですね」
「やだなあ、暗くならないでよ。そんなつもりで話したんじゃないからさ」
「でも、誰かに話したかったんでしょう?」
「そうなのかも。……ロザリーやロブロイには言わないでね。同情や憐れみはごめんだからさ」
「お約束します。でも、打ち明けたっていいのでは?」
「ううん、ダメ」
「私はお話を聞いて、ラナさんの力になりたいって思いました。ロザリーさんたちもきっと、そう思うと思いますけど」
「三人には、もう十分頼ってるから。これ以上は頼りたくないの」
「でも、無色が騎士になるのは困難です。この町にも無色の魔導者は大勢いますが、ほぼすべてが肉体労働者です。立場も決して高くなく……一人では限界があるのでは?」
「だから、私はもっと頑張らなきゃいけないの」
ラナはグイッと酒は飲み干し、杯をカウンターに叩きつけた。
「……私は騎士になる。そう決めたんだから」
ロザリーは酒場の二階、バルコニーにいた。
波間に滲む町の灯りを眺めながら、慣れない酒をグラスの中で遊ばせている。
隣にはもう一人。
カテリーナの父、町長の姿があった。
「――実習か。変わった実習もあったもんだな」
「無理を通すためにいろいろありまして」
「ま、その無理のお陰で俺は命を拾ったわけだ」
「ですね。大切になさってください」
「フフ、そうさせてもらおう」
町長はグラスを傾け、それから酒臭い息を吐いた。
「礼がしたい。欲しいものはないか?」
「礼なんて。それこそ実習の許可っていう一番欲しかったものを、コクトー様からいただいてますし」
「それはコクトー様の支払いだ。俺のとは違う」
「うーん。欲しいものといっても……」
ロザリーは夜の入り江を眺めた。
町の灯りを反射する水面が綺麗で、滑る船の航跡に滲んでいる。
「あ、船」
ロザリーがそう口走ると、町長が怪訝そうに彼女の顔を覗いた。
「船が欲しいのか?」
「もう一度、船に乗りたいなって。南ランスローに近い港まで送ってください。そのほうが陸路より早いですよね?」
「そりゃ早いが……南ランスローに向かうのか、ううむ」
町長は腕を組み、考え込んでしまった。
「えと、ダメでしたか?」
「いや、送るぶんには構わんのだが」
町長は少し言いにくそうにしながら言葉を次いだ。
「ポートオルカには商人が多く集まり、自然と情報も集まる。――ここ数年、南ランスローはあまり評判がよくない」
「……と、言うと?」
「人の出入りにとにかく厳しいんだ。先代領主が不慮の死を遂げてから、とりわけ厳しくなった。北ランスローとの間がずっときな臭いから、そのせいだろう」
「新しい領主って、双子の姉妹なんですよね」
「よく知ってるな。死んだ領主の娘姉妹だ。お互いしか信用せず、よそ者の前には決して姿を現さないのだそうだ」
「そう、なのですか」
ロザリーは目を伏せて考え込んだ。
(出入りに厳しいことはロブとロイからも聞いていたけど)
(人間不信の領主姉妹、か)
(でも、その姉妹がラナの指導騎士候補なのよね)
(ロブとロイが旅に同行する理由も、南ランスローに行きたいからだし)
ロザリーは視線を上げた。
「それでも行きます。送ってもらえますか?」
すると町長は、日焼けした顔から白い歯をニカッと覗かせた。
「もちろんだ。この町で一番早い船で送らせよう」