71 脱出
ロザリーたち四人が、幽霊船の通路を駆ける。
床板が酷い音を立てるが、気にしてなどいられない。
揺れは酷くなる一方。
「ねえ、どうするの! 落ちてきたとこ、よじ登る!?」
「それじゃ間に合わないよ、ラナ!」
「この大きさの船だ!」「階段があれひとつってことはねぇ!」
よろめいて壁にぶつかりながら、甲板へ上るルートを探す。
下りて来たのとは別の階段を見つけた。
ところどころ壊れているが、先の階段よりはマシだ。
一気に駆け上がり、甲板へ出る。
「ロザリーさん!」
甲板にカテリーナがいた。
他にも大勢が幽霊船の上にいて、今でも続々と登ってきている最中だった。
ロザリーは、駆け寄ってきたカテリーナに尋ねた。
「なぜみんな幽霊船に?」
「揺れのせいです! 大喰らいが私たちを吐き出そうとしていると、ヒューゴさんがおっしゃって!」
「私もそう思います」
「生身でバラバラに海に放り出されたら、みんな溺れ死んでしまいます! ボロボロの幽霊船でもないよりはマシです!」
ロザリーは大海原に投げ出されるのを思い浮かべて、ブルッと身震いした。
「やっぱり泳ぐ練習しとくんだった……」
「御主人様」
ヒューゴもやって来た。
表情がどこか冷たく、責めるような目をしている。
「幽霊船の使役、失敗したんだネ?」
「っ……言い訳はしない」
「ホウ、ご立派! ダガ、言い訳しないではなく、言い訳できないの間違いじゃないかイ?」
「むぐっ……ヒューゴ、ほんとムカつく!」
「怒ってる暇はないヨ。大喰らいのほうは?」
「あっ、そうか! もう飼い犬じゃないんだから、大喰らいを直接
使役してしまえば……」
ロザリーは幽霊船からひらりと飛び降り、揺れる地面に手をついた。
しばらくそうしていて、船上のヒューゴに叫ぶ。
「ダメ! 上手くいかない!」
「反応がない?」
「無視されてる感じ! なんか怒ってるみたいな!」
「フム。実際、怒っているのかもしれないネ。意に反してアンデッドにされ、無理やり働かされてきたわけだから……」
「どうすればいい!? って、わあっ!」
ロザリーの立つ地面が脈打つように動き出した。
もはや立ってもいられない。
地面も壁も天井も、波打ちながら一定の方向――船を呑んだ口のほうへと、逆流を始めた。
「御主人様、早く船へ!」
「ええ!」
ロザリーは地面を蹴り、幽霊船へと飛び乗った。
直後、船が地面ごと動き始める。
逆流する蠕動運動が、嵐の海のように船を激しく上下させる。
加速は一瞬。
身体が後ろへ持っていかれるような重力がかかる。
「うわああ!」
「きゃああっ!」
「ひぃぃっ!」
幽霊船は数多の悲鳴を残しながら、腸をグネグネと逆行していく。
「うええ、吐きそう……」
「何言ってんだラナ!」「大鯨から吐き出されるのは俺たちのほうだ!」
「だって……おぶっ!」
「吐くんじゃねーぞ!」「って、こっち向くな!」
「ロブロイ、ラナも掴まって! 胃に出るよ!」
幽霊船が跳ね上がり、大空洞へ飛び出す。
速度は緩むことなく、むしろ勢いを増して進んでいく。
「あの集落ともお別れか」
ともしびの集落を横目に、町長が呟く。
「寂しいですか?」
カテリーナがそう問うと、町長が吐き捨てた。
「いいや! 清々する!」
幽霊船は大空洞を凄まじいスピードで通過し、また狭い通路へと入った。
こちらは曲がりくねっておらず、まっすぐ。
次第に光が見えてきた。
生き残りの船員たちから歓声が上がる。
「外だ!」
「出られるぞ!」
「ああ、夢じゃない!」
沸き立つ船員を町長が一喝する。
「船が跳ねるぞ! 衝撃に備えろ!」
光が大きくなり、幽霊船が吸い込まれていく。
そして視界が真っ白になった瞬間。
幽霊船は飛んだ。
勢いそのままに宙を滑空し、下には大海原。
しばらくして浮遊感が終わり、落下する感覚へと変わる。
「うあああ!」
「落ちるぞ!」
「きゃああ!」
激しい衝撃が下から伝わり、遅れて大波が甲板を襲う。
何度か大きく揺れ、そしてようやく船は止まった。
ずぶ濡れになったロザリーが立ち上がる。
この海域を覆っていた雲は一片もなく、空は晴れ渡っている。
「大喰らい……!」
大喰らいが海面に浮かんでいた。
幽霊船と距離はあるが、それでも視界の端から端を占める巨大さだ。
こちらを襲う様子もなく、ただ波間に巨体を漂わせている。
「もう、怒ってないの?」
巨大すぎてその瞳を覗くことすら敵わないが、その佇まいから怒りは感じ取れない。
「……私と来る?」
ロザリーは何気なくそう言ったのだが、大喰らいは頷いた気がした。
瞬間、大喰らいの巨体が陽炎のように揺らめいた。
竜巻のように渦巻いて、海面から宙へズズッ……と吸い上げられる。
そして凄まじい勢いで、幽霊船へ飛び込んできた。
「きゃああっ!!」
ラナが悲鳴を上げ、目を閉じる。
しかし、衝撃はこない。
ラナが恐る恐る目を開けると、ロザリーの影が水たまりのように揺れていた。
「どう……なったの?」
ロブとロイが答える。
「ロザリーの影に吸い込まれた」「いや、自分から飛び込んだのか」
「ロザリー」
ラナはロザリーの影を避けつつ、彼女に近づいた。
「――大喰らい、使役したの?」
ロザリーが頷く。
「ん。もう船を呑むことはないわ」
ラナの表情に安堵が浮かび、それが次第に不機嫌なものへと変わっていく。
「使役するの遅くない? もっと早くやってよ」
ロブとロイも続く。
「確かにな」「脱出してからじゃありがたみがねえ」
「できなかったの! 見てたでしょ?」
「それにしたっで! ……う゛~、叫びすぎて喉が潰れちゃった」
「ま、とにかくこれで万事解決だ」「さっさと帰ろうぜ」
するとカテリーナが言った。
「それが、そうも言ってられないかも」
「何で?」
ラナが聞くと、カテリーナは船体を指し示した。
「喫水線がすぐそこまで来てます。このままでは沈むかも……」
「ええ! 何で!」
「船がオンボロなのと、あと乗りすぎです」
改めてみれば、甲板には七十名以上がいる。
古びた幽霊船には、この人数は重荷だった。
「どうするの!?」
「船底に浸水箇所がないか確かめます。もし浸水もなく喫水線がこの位置だと……ポートオルカにはたどり着けないかも」
「ええ、そんな……」
「とにかく、確かめて来ます」
そう言って、カテリーナが動き出そうとしたとき。
「心配はいらないよ!」
ナスターシャの声だ。
彼女は船の舳先に立ち、こちらを見ている。
そしてナスターシャの背後には、二艘の海賊船が近づいてきていた。
「お前たち! 引き上げだ!」
「「アイ! 姐御!」」
海賊たちは慣れた様子で、幽霊船から海賊船へと飛び移っていく。
「待ちなさい、ナスターシャ!」
カテリーナが追おうとするが、町長が止めた。
「行かせろ、カテリーナ。おかげで喫水線が下がった」
「えっ?」
カテリーナが身を乗り出して船体を覗く。
「ひー、ふー、みー……たった十七人でなぜこんなに?」
「あれのせいだろう」
町長が指差したのは、離れゆく海賊船の上で踊る海賊たち。
彼らの身体のあちこちが、日光を反射してギラギラと輝いている。
「おそらく船の墓場を漁って、貴金属を大量に得たのだろう」
「そんなのっ、墓泥棒じゃないですかっ!」
「俺に言わんでくれ、カテリーナ」
カテリーナはナスターシャがそうしていたように舳先に立ち、大声で言った。
「ナスターシャ! 必ず吊るしてやるから!」
ナスターシャは小さくなる海賊船の舳先で、恭しくお辞儀した。
疲れた様子のラナが、町長に言う。
「ねえ、町長さん。解決したなら、早く帰らない?」
「もちろん帰るさ。だが、早くは無理だな」
「え、何で?」
町長はマストを見上げた。
「こんなズタズタの帆じゃあ、風は捕まらん。漕いで進むにも櫂がないしな。楽観的に見積もって……二週間ってとこか。まあ無事帰れれば御の字だ」
「えー……」
ラナはガックリと肩を落とした。