70 船長室
「いてて……」
ラナが肩を擦りつつ、身体を起こした。
ロブとロイがぼやくように言う。
「ったく、ラナが仕切るとろくな事ねぇ」「ああ、まったくだ」
「うっさい、ロブロイ! ……あれ? ロザリーは?」
すると下から声が。
「……あなたのお尻の下。早く退いてよぅ」
「わわ、ごめん!」
ラナは慌ててロザリーの腰から降り、双子がロザリーを引っ張り起こす。
「だらしねえな、ロザリー」「お前くらいうまく着地しろよ」
「あなたたちが絡まってたからでしょ。……んっ?」
立ち上がって、ロザリーは周囲の異様に気がついた。
船外にあった突起物が何本も、幽霊船を貫いてここまで入り込んでいる。
目の前には扉があって、その扉に向かって槍を突きつけるような形で静止していた。
まるで、ここに何かがあると教えているように。
「ここだな」「怪我の功名ってやつか」
ラナが得意げに胸を張る。
「ねっ? 私が仕切るとうまくいくでしょ?」
「「黙れ、ラナ」」
「はぁ~い」
ロザリーは突起物の網を潜り、扉に近づいた。
どの突起物も動く気配はなく、扉のわずか手前で穂先を止めていた。
扉には老人の顔を象った彫像が取り付けられていて、それが睨みを利かせて突起物を退けているように見える。
「何だろう、この彫像」
ロザリーが首を捻っていると、ロブとロイがロザリーの背後から扉を覗いた。
「海神の像だな」「夏の男神でもある」
「ああ、これが噂の」
ラナも近づき、扉に手を伸ばす。
「開けていい?」
「待って。魔女術の気配がある」
「えっ」
ラナは手を引っ込め、ロザリーに問うた。
「【鍵掛け】?」
「違う。でも、似たような気配」
ロブが彫像のほこりを袖でそっと拭き取り、ロイがきれいになった彫像に顔を近づける。
「文字が彫られてるな」「でもこれは……古代魔導語だな、読めない」
ロザリーも顔を近づける。
「この――開く者に――災いあれ――言の葉を――。んー、確かに古代魔導語ね」
するとロブとロイは目を丸くし、左右からロザリーの服を引っ張った。
「ロザリー!」「何で読める!」
ロザリーは双子の勢いに面食らって、慌てて二人を押し止める。
「いや、ちょっとだよ? 昔、勉強したから」
「それでもおかしい!」「魔導院が五百年かけて解明できない言語だぞ!」
「えっ、あっ、そうなの?」
その様子を見ていたラナが、脳裏に浮かんだ疑問を口にする。
「ってか、なんでロブロイはその古代魔導語? について詳しいの?」
ロブとロイは少し落ち着き、交互に答えた。
「魔導具のルーツは〝旧時代〟まで遡る」「古代魔導語は別名、旧時代語。〝旧時代〟の言語なんだ」
「ああ、なるほど。魔導具研究の一環なのね」
「魔導具を深く探ろうとすると、必ず古代魔導語が立ち塞がるんだ」「で、俺たちには読めないからあきらめるしかなくなる」
「魔導書図書館で調べたら?」
「もちろん調べたさ」「わかったのは、わからないってことだけ」
「一つの単語が数十の意味を持つなんてザラだ」「同じ文でも書き手によって意味がまるで変わるしな」
ロザリーは三人の会話を聞きながら思い出していた。
(私が少し読めるのは、放浪しているときにヒューゴに教わったから)
(難しかったなー。まるで理解できないこともたびたびだった)
(そんなとき、ヒューゴは「わからなくても暗記しろ」って)
(暗記する理由は――)
ラナが首を傾げる。
「なんかそれ、言語として欠陥がある気がするなぁ」
「わざとそう構築されているんじゃないかって話だ」「理解している相手にだけ、秘密を伝える手段としてな」
「ふ~ん。〝合言葉〟みたいなものね」
すると突然。
メキメキッと海神の像が軋んだ。
像の目が開き、口が古代魔導語を発する。
『年経た大魚は竜となるか』
ラナは驚き、飛び退いた。
「えっ! 何!? なんか喋った!」
「しっ! お前の言葉に反応したぞ!」「もう迂闊に喋るな!」
ロブロイに言われ、ラナは口を両手で押さえてコクコクと頷く。
(――そう。〝合言葉〟として使われるから)
ロザリーは海神の像を正面に見据え、古代魔導語で答えた。
『ならぬ。ただ水底で夢を見るのみ』
答えを聞いた海神の像の目と口が、ゆっくりと閉じていく。
扉と壁の隙間がバスン! と音を立てて、ホコリ混じりの空気が漏れ出てきた。
「開いた――」「――のか?」
「ロザリー、何を言ったの?」
「合・言・葉♪」
ロザリーは片目をつむり、笑って見せた。
(ヒューゴに丸暗記させられた文言の一つだった。有名な文句なのかな?)
きょとんとする三人を後目に、ロザリーは扉に手をかけた。
ギィィッと酷い音を立てて扉が開く。
船室にしては広い部屋だった。
物が散乱し、ホコリに塗れている。
部屋の中央に安楽椅子が置かれていた。
そして、亡骸も。
安楽椅子に力なく干からびた身体をもたれ、骨と皮だけの頭は天井を仰ぎ見ている。
「あれがヒューゴの言ってた」「飼い主の死霊?」
亡骸は微動だにしない。
「間違いないわ」
ロザリーは部屋に入ろうとして一歩踏み出し、その一歩を下ろせずに固まった。
ラナが後ろから問う。
「ロザリー、何してんの?」
「いや……何か嫌な予感がして」
「まさか、罠とか?」
「いや。そういうんじゃないんだけどさ」
「じゃ、入ろうよ」
ラナがロザリーの脇を抜けて部屋に入る。
ロブとロイも続き、三人は安楽椅子へと恐る恐る近寄る。
すると天井を見上げていた亡骸の頭蓋骨が突然、ガクンと落ちるようにこちらを向いた。
「わっ!」
「うおー!」「ビビった!」
三人はそれぞれ感想を漏らし、ロザリーを振り返る。
ロザリーが言った。
「危険はないわ、もうほとんど力が残ってない。きっと大喰らいを支配するために力を使い果たしたのね」
「じゃあ、さっさと入ってきて使役しなさいよ」
そう言って、ラナが手招きする。
しかしロザリーは、未だに片足をあげて固まったままだ。
「でも……嫌な予感が……」
「まだそんなこと言ってるの?」
すると、そのとき。
亡骸が干からびた手を、ロザリーのほうへ伸ばした。
頼りなく、微かに震えている。
「……ほら、本人も使役されたがってるみたいだよ?」
「そうじゃないよ。こいつが手を伸ばしてるのは、何かを怖がって――っ、しまった!」
ロザリーが振り返る。
瞬間、彼女の頬をかすめて、無数の突起物が部屋へ飛び込んでいく。
「きゃああっ!」
「うおっ!」「うわあっ!」
三人の悲鳴が響き、ロザリーが室内に目を戻す。
三人は腰を抜かして床に座り込んでいて、その眼前を無数の突起物が伸びている。
飼い主である亡骸は、無数の穂先に貫かれていた。
亡骸の眼窩に宿っていた暗い光が、ゆっくりと消え失せていく。
ロザリーは頭を抱えた。
「……そうよ、現在進行形。弱りきった飼い主が大喰らいを押さえ込めていたのは、あの海神の像がギリギリで退けていたからだったんだ」
ロブとロイが突起物を避けて、亡骸を覗きこむ。
「こいつ、死んだのか」「いや、元々死んでるだろ」
「死んだ、でいいよ。死霊の彼にとって二度目の死ね」
ロザリーがそう答えると、今度はラナが彼に尋ねた。
「じゃあ、もう使役できない?」
「そりゃそうだよ。彼はもう、死霊じゃなくてただの骸だから」
「なら、私たちはどうなるの?」
「どうって……幽霊船の支配から大喰らいは自由になって――」
そのとき、幽霊船が大きく揺れた。
「きゃっ! 地震!?」
「んなわけあるか!」「ここは奴の腹の中だぞ!」
揺れは続いている。
突起物が触手のように蠢いて、部屋の外へと逃れていった。
四人はしゃがみ込んで推移を見守るが、揺れは収まるどころか激しくなっていく。
ロザリーはハッとした。
「まさか……今、異物を吐き出そうとしてる?」