69 ゴーストシップ
その船は、通路の中央に黙座していた。
壁や地面と同化することなく、完全に形を留めている。
一方で帆はズタズタに破れ、船体は極めて古びてもいた。
通路の壁や天井から鍾乳石のような突起物が船に向かって無数に伸びていて、船は蜘蛛の巣にかかったかのようにがんじがらめになっている。
「ヒューゴの言ってたご希望のものって、これのことね」
ロザリーがそう呟くと、隣のラナが聞き返した。
「ご希望のもの?」
「幽霊船よ、これ」
ラナはハッとして、船を見つめた。
「どうりで……不気味な佇まいのはずよね」
二人が幽霊船を呆然と見上げているうちに、カテリーナたちが追いついてきた。
「こ、これは」
「まさか……」
船乗りを生業とする者たちは、ロザリーに言われずとも船の素性に察しがついたようだった。
ヒューゴがロザリーの横に並び立ち、口を開く。
「大喰らいがまだクジラだった頃、誤って船を呑んでしまったンだろう。運の悪いことに、それが幽霊船だった。脱出できなくなった幽霊船は身中からクジラを侵し、憑り殺し、死霊とした……ってとこかナ?」
カテリーナが口を挟む。
「幽霊船は音もなく進むといいます。気づかず飲み込んだのでしょう」
「大喰らいが船を襲うのは、〝船を襲い〟〝群れを大きくする〟という幽霊船の本能が影響していると思うネ。船を喰らい、取り込んで、身体を大きくし続ける。――でも、大喰らいのほうも抵抗しているようダ」
そう言ってヒューゴが指差したのは、洞窟の四方から伸びる無数の突起物。
ロザリーが問う。
「あれが、大喰らいの抵抗の跡だと?」
「跡ではなく現在進行形。おそらく、幽霊船が使役するには大喰らいは強すぎるのダロウ」
「支配権の奪い合い、か……」
「でも、キミなら不足はない。今、幽霊船を僕に迎えれば大喰らいも付いてくる。ボクたちを吐き出させることもできるはずだ」
「わかった、やってみる」
ロザリーは幽霊船へと歩み寄り、その船体に触れて、心の中で語りかけた。
皆が固唾を飲んで見守る中。
幼い頃、〝旧時代〟遺跡でそうしていたように――
――しばらくしてロザリーは首を傾げ、ヒューゴのほうを振り向いた。
「なんか、全然反応がないんだけど?」
するとヒューゴは鼻で笑った。
「バカだねぇ、キミは。船に語りかけてどうするのサ。船内に核となる死霊がいるから、それを僕にするんだヨ」
「あっ、そういう……早く言ってよね!」
「いやァ、この子なにしてるんだろうと思ってサ。しかしまさか……ククッ」
「もう、バカっ!」
ロザリーは赤面して、幽霊船の船体をよじ登り始めた。
ラナが声をかける。
「待ってロザリー、私も行く! ロブ! ロイ! 付いてきて!」
「仕切んじゃねーよ、ラナ!」「俺たちゃお前の僕じゃねーぞ!」
双子は文句を言いながらもラナについていく。
ロザリーが甲板に飛び乗ると、板がミシリと悲鳴を上げた。
ラナが上がってくるのを待ち、彼女に声をかける。
「気をつけて。相当ガタがきてる」
「うわわ、ほんとだ」
ラナが双子を引っ張り上げ、甲板に四人が揃う。
「なんだ、海賊のオバケが襲ってきたりとかしないのな」「たしかに。ただボロボロで静かでがらんとしてる」
「核となる死霊、だっけ? ロザリー、気配とかでわかんないの?」
「う~ん。死霊の体内にいるせいか、感覚がおかしくなってるのよね」
「そっかぁ。じゃあ地道に捜すしかないね」
「船の核ってんなら船長じゃないか?」「じゃあ船長室を探そう。この規模の船ならあるはずだ」
四人は古びた甲板をそろそろと歩き回り、ほどなく船室へ下る階段を見つけた。
しかしそれは正確に言えば、階段であったものだった。
ラナが恐る恐る、下を覗きこむ。
「あちゃー。途中から崩落してるね……」
「一人ずつ跳ぶか?」「ん~、ちょっと距離あるな」
「私が先に跳ぶよ。みんなはここで待っててくれれば――」
「――待ちなさいロザリー。またそうやって私たちを置いてけぼりにする気ね?」
「別にそんなつもりは……ってかラナ、なんでそんなに自分でやりたがるの」
「だって私、ここに来て何にもしてないもん。ロブロイだって何かやりたいでしょ?」
「いや俺たちは別に」「仕方なくついて来てるだけだし」
「根性無し! いいわ、私が最初に跳ぶ!」
「なんでそうなるの! まず私が行って、足場を確かめるから!」
「い~え! ロザリー、また一人で先に行くに決まってるもん!」
「言い出したら聞かねえなコイツ」「じゃあ、せーので跳ぶか?」
「名案ね。じゃあ、一、二の三で飛び移ろう!」
「だからラナが仕切んなって」「せーのでいいだろ、微妙に変えんな」
「待って待って、三人とも。皆で跳んだら、それこそ着地の衝撃で足場が崩壊しちゃうかも」
「へーきへーき。じゃあいくよ? い~ち、に~の」
「待てよ。跳ぶのは三のときか?」「それとも三の次のタイミング?」
「三の次に決まってるじゃん。……あれ、三のときだっけ?」
「どっちでもいいから決めろって話だよ」「じゃあ三の次な?」
「あのさ! ラナもロブロイも、ジリジリ前に出てこないでくれる? さっきから押されてるんだけど!」
「仕方ねーだろ」「少しでも前から跳ばなきゃ届かねー」
「もう! さっさと行くよ? い~ち」
「押さないで! 狭いっ!」
「結局、三の次なのか?」「え、三のときだろ?」
「に~の」
「ひゃっ!? お尻触ったの誰!」
「ロイだ」「てめぇ、ロブ! 俺じゃないからな、ロザリー!」
「さん! って――」
「「うああああぁぁ!!」」
四人は絡み合いながら、階下へと落ちていった。