65 海賊襲撃―2
密着する部分から、海賊が次々に乗り移ってくる。
「行けッ、行けッ!」
「イヤッハァァー!」
「お宝だ! 食い物もだ!」
「女がいるぞォ! 若けぇぇ!」
「奪えェ!! 殺せェ!」
甲板はたちまち海賊で溢れた戦場となった。
ラナがすらりと剣を抜く。
「やるよロブロイ!」
「仕切んじゃねえよ、ラナ!」「ちくしょう、なんで海賊狩りなんてやるハメに……」
ロブとロイも渋々ながら剣を抜き、三人はまとまって海賊の群れへ突っ込んだ。
カテリーナはナスターシャを睨みながら、向かってくる者だけを相手にしている。
(さて、私はどうする?)
考えてるうちに、手斧を持った海賊がロザリーに近寄ってきた。
「へへ、暴れんなよ? 優しくしてやるからよ」
黄色い歯を剥き、ロザリーの細い腰へ手を伸ばす。
瞬間、ロザリーは海賊の顔面を鷲掴みにした。
力を込めると、頭蓋骨がミシミシッと軋む。
「あが、あがが!」
海賊は手斧を取り落とし、空いた手でロザリーの手を払わんとする。
が、ロザリーの指は食い込んで離れない。
そうしているうちに、ロザリーは甲板を見渡した。
(――半数は船室や下層に雪崩れ込んだみたい。そっちは〝野郎共〟に任せればいい。……っていうか、呼びに行ったヒューゴは何してるの?)
「離せちきしょう! 頭が、頭が割れちまう!」
「ああ、そうだったね」
ロザリーは鷲掴みにしたまま腕を振り、海賊を大海原へ投げ飛ばした。
海賊は幾度か海面を水切りし、水柱と共に沈んだ。
その音に驚いた海賊とラナたちが、一斉に水柱を見る。
「……ふーん」
一人だけ、水柱を見ていない者がいた。
ナスターシャである。
視線を感じたロザリーが振り向くと、ナスターシャと目が合った。
「よっ、と!」
ナスターシャが舳先から跳び上がった。
軽々と海を越え、カテリーナの頭上を越え、猫のように甲板に着地する。
そして顔を上げ、ロザリーに挑発的な笑みを向けた。
カテリーナが叫ぶ。
「気をつけてロザリーさん! ナスターシャは魔導持ちです!」
「ええ、今の動きでわかります!」
ナスターシャが駆け出す。
ロザリーも剣を抜き、それを迎え撃つ。
ナスターシャの曲刀とロザリーの剣の間で火花が散った。
鍔迫り合いの状態で、ナスターシャ笑う。
「強いねえ、あんた!」
そう言って、ナスターシャが曲刀の柄を絞り込む。
が、ロザリーの剣はビクともしない。
「余裕なのかい? こりゃ参った、底が見えないね!」
「弱気な台詞のわりに、口元が緩んでるけど?」
「そりゃそうさ! スリルを楽しんでこそ海賊ってもんだろう?」
「なるほどね」
ロザリーのほうも、押し合うことでナスターシャの魔導を計っていた。
並の騎士よりずっと強い。が、黒犬よりは見劣りする。
力では負けないと踏んだロザリーは、右手に持った剣を押し込みながら、左手をそっとナスターシャの首に伸ばした。
気配を隠して狙ったが、ナスターシャは察して飛び退いた。
彼女の顎から、冷や汗が滴る。
「……今の、捕まってたら死んでたね?」
「どうかな。逃がしはしないけど」
ナスターシャの顔が喜悦に歪む。
「ああ、こんなに興奮するのは久々だ。もっと楽しませておくれよ」
「ううん、時間はかけない。格付けは済んだでしょ?」
「あんた、内心は刃物みたいに冷たい女だね。惚れちまいそうだ」
「そりゃどうも。でも……あー、もう終わりみたい」
ロザリーの白い指が、船尾のほうを指し示す。
ナスターシャは、ロザリーを警戒してそちらを見ない。
が、その方向から聞こえる音が、彼女の耳に異変を報せる。
ナスターシャの部下の悲鳴がこだましていたのだ。
「いったい何だってんだい!」
耐えかねて、振り向いたナスターシャ。
彼女の目に飛び込んできたのは船室から、下層への階段から、雪崩出てくる部下たちだった。
顔面蒼白で、怪我まで負って、慌てふためきながら逃げてくる。
それぞれが勝手に、自分たちの船へ逃げていく。
「何してんだい、お前たち!」
ナスターシャは逃げる一人を捕まえ、問い質した。
その海賊は震えながら言った。
「姐御……もうダメだ……」
「何が!?」
「幽霊船だ!」
「あん?」
「この船は幽霊船だ! 俺たち、幽霊船を襲っちまったぁぁ!」
「何をバカなこと言って――」
「あぁ、来たぁ!」
ナスターシャの手を振り払い、海賊が逃げていく。
そこで初めて、ナスターシャは気づいた。
船室から、階段から上ってくる無数の骸骨兵に。
彼らは一言も発さず、感情の揺らぎも見せず、ただ冷たい足音を響かせて迫ってくる。
「なっ! 死霊!?」
ナスターシャが思考停止している間に、二艘の海賊船が動き出した。
「切れっ! 鎖を切れっ!」
固定していた鎖が斧で断ち切られる。
「勝手なことを!」
ナスターシャは怒りを滲ませるが、戦慄する海賊たちには届かない。
乗り遅れた海賊たちを振り落としながら、二艘は五段櫂船から離れていく。
甲板に残されたのは、ナスターシャと数人の海賊のみ。
「ったく、どいつもこいつも!」
カテリーナが剣先を向けて言った。
「降参しますか、ナスターシャ?」
「ふざけんじゃないよカテリーナ! ……そうだよ、これが幽霊船なわけないんだ! あんたが乗ってるんだからね!」
「どうでしょう。私も死霊かもしれませんよ?」
「カテ公っ、舐めた口を……!」
ナスターシャがギリッと歯ぎしりした。
「姐御!」
最後の一艘――ナスターシャの乗っていた船から声が飛んだ。
「早く! 逃げ遅れる!」
「あたいは逃げないよ! カテ公なんぞから逃げてたまるかってんだ!」
「違う! 海だ、姐御ッ!」
「海?」
「奴が出たッ!」
ナスターシャはロザリーの立つ船首の先の、大海原を見つめた。
彼女の顔が、みるみる青ざめていく。
「大喰らい……」
ロザリーはゆっくりと後ろを振り返った。
海が、割れていた。
氷河のクレバスのように、船に対して横一直線に割れ目が走っている。
その長さは五段櫂船の全長よりも遥かに長く、端が見えない。
「……吸い寄せられてる?」
ロザリーは船の周囲の海水が、割れ目へと落ちていっていることに気づいた。
甲板の〝野郎共〟に叫ぶ。
「下へ戻れ! 全速後退!」
〝野郎共〟は忠実に従い、階段を下りていく。
しばらくして、全ての櫂が逆向きに動き始めた。
――しかし。
「……ダメです! 吸い寄せられています!」
カテリーナの言う通り、まだ船は割れ目へと進んでいる。
割れ目の引き寄せる力が、〝野郎共〟の推進力を凌駕していた。
ナスターシャの船が、激しく揺れ動き始めた。
推進力を得られず割れ目へと引っ張られているが、五段櫂船に繋いだ鎖でなんとか耐えている。
ナスターシャが叫ぶ。
「船を捨てな! こっちへ乗り移るんだ!」
だが鎖を支点に激しく揺れ動くせいで、海賊たちは乗り移ることができない。
そのうちに鎖が悲鳴を上げ、バツン! バツン! と切れていく。
「モタモタするんじゃない! 早く!」
もう一度ナスターシャが叫んだ瞬間。
最後の鎖が切れ、海賊船は割れ目へと吸い寄せられた。
激流に流される木の葉のように、抗う術もなく、翻弄され、クレバスへ落ちていった。
その様を見ていたラナが叫ぶ。
「ロザリー、どうにかしてよ!? このままじゃ私たちも……!」
ロザリーは一足飛びに舳先へと移動した。
この割れ目が何かはわからない。
だが先程までとは形が変わっていることに気づいた。
割れ目の真ん中付近を中心として、クレバスの幅が広がっている。
端のほうの幅はあまり変わらず、そのため楕円に近い形状になっている。
(……妙な気配。この下に何かいる)
(きっと、海峡の怪物ね。そいつをどうにかしないと)
(でも、どうすれば……考えろ、考えるのよロザリー)
「何もしなくていいヨ」
すぐ背後から声がして、ロザリーは眉間に皺を寄せた。
「ヒューゴ、邪魔しないで」
意に介さず、ヒューゴが続ける。
「気配を感じるダロウ? それは死霊のものダ。他の連中はともかく、キミにとっては脅威になり得ない」
「死霊? あなたや〝野郎共〟の感じとは違うけど」
「それは野良の死霊だから。キミの飼い犬であるボクたちとは気配が違って当然ダ」
「野良――使役されてない死霊」
「そう。野犬のような危険性と、捨てられた子犬のような哀れさを感じるだろう?」
「……うん」
「ロザリーっ!!」「どうにかしてくれっ!」
ロブとロイが悲鳴混じりに叫ぶ。
割れ目はもう目前で、ロザリーの立つ舳先からはクレバスの中が見える。
滝のように海水が落ちていて、底は暗く何も見えない。
「何もしなくていイ」
ロザリーの焦りを鎮めるように、ヒューゴが彼女の腰に手を回した。
「ロザリーさんっ!」
カテリーナの声。
反応して動きそうになるが、ヒューゴの腕に力が込もり、それを止める。
舳先が割れ目の真上に来た。
船底も割れ目の上に張り出し、次第に深い穴底へと傾いていく。
甲板は悲鳴に溢れ、誰もが船にしがみつく。
ロザリーが奈落を前にして叫ぶ。
「……死んだら恨むからね、ヒューゴ!!」
横転する視界と重力の中で、ヒューゴが笑った。
「死霊を恨むなんて、バカな人だねェ」