62 海原へ
ポートオルカ船倉庫。
外観はまるで、巨人が住む巨大な家屋のようだった。
中に入ってみると、屋根と壁と柱だけのがらんどうで、そこに見上げるような大型船がいくつも並んでいた。
「ねえ、ラナ……これ全部、船?」
「船でしょ。じゃなきゃ何なのよ、ロザリー」
「おっきい!」
「フフ、確かに!」
二人が笑い合っていると、前を歩いていたロブとロイが同時に振り向いた。
「そうだ、ラナ」「ここではあれ、言うなよ?」
ラナが首を傾げる。
「あれって?」
ロブとロイが声を潜ませる。
「無色だけど騎士になる、ってやつ」「あれはここでは禁句だ」
「なんでよ」
「船乗りギルドには荷役も出入りしてる」「荷役わかるか? 船に荷物の揚げ降ろしする人夫のことだ」
「わかるよ、そのくらい」
「じゃあ体が資本の肉体労働ってこともわかるよな」「この手の仕事場には、元貴族の無色がよくいる」
「ああ、家から出されるっていう……」
そこからロブとロイは矢継ぎ早に語り出した。
「元は貴族の坊ちゃんだ」「世渡りなんざできやしねえ」
「必然的に、単純な肉体労働に従事して生きていくことになる」「身体能力だけが取り柄だからな」
「で、この手の連中は気が荒い」「犯罪率も高い」
「無理もねえ、途中まで貴族様だったわけだしな」「肥大化した自尊心と過酷な現状が釣り合わねえってわけ」
「だから、ちょっとしたことで爆発する」「ぐらぐら煮立ってる鍋みたいなものさ」
「そんな連中にさっきのセリフ聞かれたら」「どうなるかはわかるよな?」
ラナが神妙な顔で頷く。
「……わかった。刺激しないように気をつける」
大型船の間を抜けていくと、どこからか声が聞こえてきた。
「そこを何とかお願いします!」
「無理を言わんでくれ、カテリーナ!」
カテリーナはいた。
大きな帆船を見上げ、そこで点検作業中の船乗りと交渉している。
「カテリーナさん」
「あ……ロザリーさん」
カテリーナはロザリーたちを見ると、申し訳なさそうに俯いた。
「申しわけありません、約束の時間に伺えなくて」
「船乗りが集まらないんですね」
カテリーナは驚いて顔を上げた。
「どうしてそれを」
「町の噂で。状況はどうですか?」
「芳しくありません」
「今、何人集まったんです?」
「一人です。私だけですわ」
ロザリーたち四人は、思わず仰け反りそうになった。
「そりゃあまた……」「素人でも足りねえってわかるな」
ラナが問う。
「ってか、カテリーナさんも船乗りなんだね?」
「そちらが本業です。町長代理なんて、ここひと月ほどのことで」
カテリーナは目の前の帆船を見上げた。
「だからこそ、わかります。外洋に出てダミュール海峡に向かうには、この規模の船が必要なのです。そして、それを操る船乗りが」
「この船だったら、船乗りは何人要るの?」
「五十人くらいでしょうか」
「五十人!? ちょっとそれは」
「動かすだけなら、十五人くらいでも何とか動きますわ。でもそれは、とても危険な行為です」
「そっかぁ……」
重い雰囲気が漂う中、ロブロイが鼻をつき合わせて相談する。
「俺たちも協力して集めてみるか?」「よそ者が頼んで集まるかね?」
「カテリーナ女史でも一人も集まらねえんだもんなあ」「難易度高えよ」
「じゃ、あきらめるか?」「それがいい」
「何事も引き際だって親父も言ってたしな」「ああ。酒が入ってないときの親父は概ね正しい」
「あきらめてどうする?」「決まってる。南ランスローだ」
勝手に話を進める双子の頭それぞれに、ラナがげんこつを落とした。
「馬鹿! 私たちで十五人集めるの!」
「痛えよ、ラナ……」「馬鹿はどっちだ、馬鹿力め……」
そんな騒ぎの中、ロザリーはボソリと呟いた。
「〝野郎共〟じゃだめかな……」
カテリーナが聞き返す。
「何です、ロザリーさん?」
「ああ、いや。……例えば、私たちみたいな素人では代わりにならないんですよね?」
「それは無理ですわ。船乗りは船の部品の一部も同然。整備不良の船で海に出るのと同義です」
「やっぱり、そういうものですか」
するとふいに、ロザリーのすぐ背後から声がした。
「アノ船ならどうかな?」
「っ! 脅かさないで、ヒューゴ!」
「悪いね、マイレディ」
影から音もなく出てきたヒューゴが、ロザリーの前に進み出た。
「あなた……今、どこから?」
突然現れた痩せた騎士風の男に、カテリーナは驚いて目を見開いている。
ロブロイもだ。
ヒューゴを知るラナだけは、「あっ、ヒューゴ!」と手を振った。
ヒューゴは紳士然とした態度でラナに一礼し、それからもう一度あの船を指差した。
それは船倉庫にある船の大半を占める帆船とは大きく違っていた。
船体が細長く、船底壁面に無数の穴がある。
「あれはガレー船です。あの穴から櫂を突き出して、漕いで推進力を得る船ですわ」
ヒューゴが尋ねる。
「アレなら船乗りは少なくて済むハズだ」
「いえいえ! 漕ぎ手が必要なので、むしろ何倍も船乗りが要りますわ」
「漕ぎ手はコチラで用意すると言ったら?」
「漕ぎ手を? ……それなら一本マストの帆を扱う船乗りと――」
「――帆も使わなくていい。漕ぎ手は疲れないからネ」
「意味がよくわかりませんが……漕ぎ手が疲れないという前提ならば、舵取りと航海士さえいればいいので、私一人でも十分可能です」
それを聞いたヒューゴが、得意げに眉を上げてロザリーを見る。
ロザリーは喜色を浮かべて頷き返した。
意味を察したラナが手を叩く。
「わかった! 使い魔を漕ぎ手にするのね!」
「ソノ通り」
ヒューゴはラナの頬を、手の甲で撫でた。
「物分かりのいい子は好きだ。ボクと一緒に僕をやらないかい?」
「嫌だよ、ヒューゴ」
ラナがはにかみながらヒューゴの手を退ける。
と、そのとき。カテリーナが言った。
「でも、あの船では外洋に出られません」
ヒューゴは首を傾げた。
「なぜだイ?」
「湾内に侵入しようとする敵船を撃退するための戦船なのです。喫水が浅いので外洋航海はとても。……あ、でも!」
カテリーナが一番奥にある大型船を指差した。
「同じガレー船だけど……ずいぶん大きいネ」
「五段櫂船です。上下に五段、オールを突き出す構造になってます。あれならダミュール海峡へ行けると思います。ただ――」
カテリーナが続ける。
「――そのぶん、必要な漕ぎ手も増えます」
「ドノくらい?」
「三百人は欲しいところですわ」
ラナが声を荒らげた。
「三百!? そんなの無理だよ!」
しかしヒューゴは、薄く笑ってロザリーに尋ねる。
「御主人様。ドノくらいの漕ぎ手を都合できますか?」
ロザリーは首を軽く捻った。
「ん~と……三万人くらい?」