55 再来
ソーサリエ学生寮。
ロザリーの部屋にロロはもういない。
しかしロザリー一人きりというわけではなく、ヒューゴも影から出ていた。
持ち主がいないのをいいことに、ロロのベッドに我が物顔で寝転んでいる。
久しぶりに出てこられたせいか、とても機嫌良さげだ。
本を片手に口笛まで吹いている。
「ヒューゴ」
下のベッドに寝転ぶロザリーが、上のベッドに声をかけた。
「何だい、御主人様?」
「口笛止めて」
「いいじゃないか、別に」
そうしてまた、ヒューゴは口笛を吹き始める。
ロザリーが腹立たしそうに言った。
「カードは? もう飽きたの?」
「いいヤ?」
「じゃあ、カードやってなさいよ」
「今、やってる」
「はぁ?」
ロザリーが起き上がって、上のベッドを覗きこむ。
ヒューゴは本を片手に寝転んだままで、やはりカードなどやっていない。
「なんで嘘つくの」
「彼らだけでやってる」
ロザリーは目を見開いた。
「私の影の中で、〝野郎共〟だけでカードしてるっていうの!?」
「といっても五体だけだがネ」
「信じられない。そのうち勝手に出てきて動き回るんじゃないの?」
「かもネ」
ヒューゴの軽い口調に、ロザリーは眉をひそめた。
「無責任ね……でも、仕込むにしても五体ぽっちじゃあんまり意味ないんじゃない?」
「そんなコトない。自分で考えることができるなら、兵を指揮させることができる。つまり、キミやボクが〝野郎共〟を直接率いる必要がなくなる。コレって大きな違いだヨ」
「ふぅん。ピンとこないなぁ」
すると今度はヒューゴが身体を起こした。
「さっきから、何なんだい?」
「何が?」
「やたら突っかかってくるじゃないカ。何をイラついてる?」
「別にイラついてなんか」
「いいヤ。イラついてる」
「イラついてないってば!」
「ほうら、イラついてる」
ロザリーは口を尖らせて、自分のベッドに倒れ込んだ。
そして寝ころんだまま落ち着きなく脚を揺らす。
しばらくそうしていて、再び勢いよく起き上がった。
「あーっ、もう! 我慢できないっ!」
「だから、何にイラついてるのサ」
「イラついてるんじゃない! 気持ち悪いのっ!」
「気持ち悪い?」
「胸焼けするような、吐き気がするような!」
「オヤ、食あたりかい? 暑くなってきたから気を付けないと」
「そうじゃない! 最近ずっとだから!」
「ずっと? ……それは変だネ。いつからなんだい?」
ロザリーは少し落ち着き、記憶を辿った。
「いつからだろう。……課外授業のときは何ともなかったと思う。でも、その直後かな。黄金城で軟禁されてるときにはもう、気持ち悪かったから」
「アノ豪勢な食事に、遅効性の毒でも盛られていたのかねェ?」
「怖いこと言わないでよ……」
「デモ、食あたりみたいな症状なんだろう?」
ロザリーが宙を見上げる。
「ん~、ちょっと違うかな。何ていうかこう、私の胸に何かが居座っているような……」
「ずいぶんと詩的な表現だねェ」
「でも、そういう感じなの! 実際に何か胸につかえていて、ムズムズするの!」
「課外授業の直後……何かが居座る……ム?」
ヒューゴは、珍しく目を見開いた。
「原因がわかったヨ」
――場所を移し、旧校舎裏。
「なぜここに?」
ロザリーが問うと、ヒューゴは「念のため」とだけ答えた。
ヒューゴは周囲に人影がないのを確かめ、ロザリーに向かい合う。
「何を始める気?」
「キミの胸につかえているものを取り出すのサ」
「できるの?」
「アア。といっても、取り出すのはキミ自身なんだけれど」
ヒューゴは骨ばった指先を伸ばし、ロザリーの胸に当てた。
「苦しいのは、胸というより心臓。魔導の器があるところダ」
「魔導の器……」
「血によって体内を巡る魔導は、心臓にある器から生み出される。そして死霊騎士の場合――」
ヒューゴは地面に落ちたロザリーの影を指差した。
「――僕を収納する【安置所】にも繋がっている」
「……それで?」
「キミは、影の中にある異物の存在を、心臓を通して感じているのサ」
ロザリーが眉間に皺を寄せる。
「……異物?」
「新しく僕に加わった死霊のコト」
「新しくって、そんな記憶ないけど」
「冥府に落ちた者は、必ず死霊となる。キミの影は冥府の庭先を間借りしたキミの土地だから、影に落ちた者はキミの僕となる」
「……はあ!? そんな話、初めて聞いたんだけど!?」
「それはそうサ、教えてないもの」
「そんな重要なこと、真っ先に教えなさいよ!」
そうヒューゴに向かって叫んでから、ロザリーは頭を抱えた。
「どうしよう。今まで結構な数、影に落としてきた気が……」
「ボクは積極的に落としてきたヨ。キミの手下を増やすためにネ」
ヒューゴは誇らしげに胸を張った。
「うぅ、急に罪悪感が……」
「戦いの最中のコトだ、気に病む必要はない。どうせ死ぬんだから、無駄なく再利用してるだけのことサ」
「人を物みたいに言わないで。……ん?」
ロザリーが頭を上げた。
「異物って、増えた僕のことなんだよね?」
「そうなるネ」
「でもそれって変よ。今までだって散々影に落としてきたのに、今回みたいな異物感を感じたことないもん」
「だろうネ。ほとんどの場合、新たな僕は〝死の軍勢〟や〝亡者共〟のような群れに吸収される。そのほうが、彼らにとって楽だから」
「楽って?」
「流されたほうが死を受け入れやすいってコト。でも、ソレを拒絶する者もいる。肉体が滅び、絶対の終わりである〝死〟が訪れているのにまだ、自分の存在を残そうとする。強い魔導騎士ほど、ソノ傾向が強い」
ロザリーは異物感の正体に気づき、目を見開いた。
「〝黒犬〟ボルドーク!」
ヒューゴが頷く。
「死霊には〝再来〟というカテゴリーがある。〝死〟を経てなお生前の特徴を色濃く残す、一体限りの固有種死霊。並みの騎士なら、者共のような群れの一部となるけれど、あの男ならばあるいは……ネ」
「で、どうすればいいの?」
「キミが認識したから、後は簡単サ。影から引っ張り出して視認すれば、異物感はなくなるだろう」
「引っ張り出すって、どうやるのよ」
ヒューゴはロザリーの背後に回り、彼女の身体を彼女の影に向けた。
そして後ろから自身の身体を重ね、二人の影も重なる。
「キミの影はキミのもの。中の僕もキミの持ち物。意識を研ぎ澄ませば、必ず居場所はわかる」
「意識、ね」
ロザリーは目を閉じた。
すぐに、その表情に苦悶が浮かぶ。
「……難しいよ」
「僕がいるのはわかるかい?」
「ん。でも、すごい数。この中からボルドークを見つけるのは……」
「そこはキミのおもちゃ箱。雑然とイロイロ入っているけれど、必要な物がどこかにあるか、持ち主にはわかってる。サ、〝黒犬〟はどこ?」
「〝黒犬〟……」
ロザリーの顔はいっそう険しくなった。
瞼の奥で、眼球が忙しく動く。
そして――
「いたっ! こいつよ!」
カッと目を見開き、自分の影に腕を突っ込む。
手探りでそれを掴み、影の中から力任せに引きずり出した。
勢い余ってそれは宙を舞い、しかし鮮やかに着地した。
その姿を見たロザリーは、呻くように呟いた。
「……確かに、色濃く残ってる」
鎧姿に携えた剣。
ボルドークは騎士の姿のままだった。
だが、頭だけが生前と違う。
黒い毛に紅い目の恐ろしげな、犬の顔。
死霊のボルドークは獣頭の霊騎士だった。
「一応は人の姿で良かったねェ」
「ん? どういう意味?」
「言葉通りの意味サ。個性を残そうとした結果、騎士によっては巨大な化け物に変貌したりするからネ」
「ああ……それで人気ない校舎裏なんだね」
ボルドークは着地したっきり、微動だにしない。
「ボルドーク?」
返事もない。
ロザリーはボルドークを指差し、ヒューゴを振り返った。
「なんか、固まっちゃってるけど?」
ヒューゴが答える。
「呼び名を決めてあげなきゃ」
「呼び名? ボルドークでしょ?」
「それは生前の名前。〝再来〟は個性こそ色濃く残しているけれど、自我は失っている。つまり、自身の名も覚えていないワケ」
「んー。呼び名なら、ボルドークより黒犬かな?」
瞬間、ボルドークがピクリと動いた。
ヒューゴが言う。
「そのままだケド、彼もそれがいいようだネ。そう名付けたら?」
「よし。今日からお前は黒犬だ。いいね?」
すると黒犬はスラリと剣を抜き、地面に突き立てて首を垂れた。
「騎士の礼は覚えているのね」
「習慣も個性のうちだから」
「ふぅん。それはそうと気になったんだけど」
ロザリーはヒューゴをまじまじと見た。
「ヒューゴも〝再来〟なの?」
ヒューゴはフッと笑う。
「ボクは別。特別製サ」
「そうなの?」
「だって自我も記憶もあるじゃないか」
「ああ、そっか。……じゃあ、なんて種類の死霊なの?」
「教えない。でもそのときが来ればわかるサ」
ヒューゴはそう言い残し、校舎裏から去っていった。