36 エンゲージ―2
そのときロザリーは、グレンのいる森の反対側まで来ていた。
手綱を握るヒューゴが、後ろのロザリーに問う。
「どう? 間に合いそうかイ?」
ロザリーが苦渋に満ちた顔で言う。
「……もう、始まってるっ」
「アララ」
「ヒューゴ、急いで!」
しかしヒューゴは肩を竦めるだけで、急ごうとしない。
「ヒューゴ!?」
「ンー、気が進まないなァ。コノまま突っ込めば、お友だちノ前で力を振るうことになるだろう? バレないように助ける約束だったはずだ」
「それは……だからって見殺しになんか!」
「ネクロは疎まれ、蔑まれる宿命。知られルくらいなら見殺シにすべきだ」
「~~っ! またそれ!?」
ロザリーは墓鴉の視界を外し、懐から長い布を取り出した。
長い黒髪を小さくまとめ、その上から布を頭に巻いていく。
「それって、洞窟ノ頭巾ノ男ノ?」
ロザリーは頷き、長い布を巻き終えた。
「これでどう?」
黒いフード付きマントに覆面姿と、この上なく怪しい出で立ちになっている。
「……冗談だよネ? それでバレないと?」
「確証がないことが大事だって校長先生が言ってた」
「しかシ――」
「――話は終わり! 行けっ、グリム!」
ロザリーはヒューゴから手網を奪い、黒い骨馬――グリムに命令を下した。
グリムは待っていたとばかりに、勢いよく森へ突入した。
グリムは森の中でも平原のように走る。
木々を踏み越え、あるいはなぎ倒し。
森を直線に進むと、武装した兵士がまばらに見えてきた。
アトルシャン部隊の最後尾である。
誰もが驚き、呆気に取られたようにロザリーを見ている。
「〝野郎共〟!」
ロザリーの影と、それに繋がる木立の影が一斉に蠢いた。
冥府の底から呼び出された〝死の軍勢〟が、影から這い出てくる。
荷運びで使うときとは、数も装備も違う。
すべての骸骨が武器と楯と鎧を身に着け、整然と隊列を組んでいく。
ロザリーが前へ進むたびに蠢く影は広がり、〝死の軍勢〟の数はあっという間に一万余となった。
「ずいぶん出したねェ」
「敵も三千弱だから多過ぎはしないわ。まだ余裕もあるし」
ロザリーは剣を抜き、前方へと掲げた。
「進め、〝野郎共〟! 敵を打ち破れ!」
彼女の命令は言葉が届くより早く、すべての骸骨たちへと伝わった。
死の軍勢が一斉に動き出す。
「ヒッ」
「う、うあ……」
森は一瞬で地獄と化した。
死の軍勢は敵を恐れず、死を怖れない。
淡々と歩を進め、粛々と敵を殺戮する。
「ギャッ!」
「嫌だ、嫌だぁぁ」
アトルシャンの兵士はただただ逃げ惑うか、あるいは殺されていった。
◇
「――むっ」
背後からの異様な気配に、ボルドークは思わず振り返った。
森のざわめきの奥に微かに聞こえる、悲鳴、戦音楽。
周囲の騎士たちもにわかにざわめき出した。
「静まれ」
ボルドークは低く怒鳴り、前を指差した。
「仔獅子狩りはどうなっている?」
隻眼の騎士――カーチスが答える。
「ボルドーク様の狙い通り、自ら森に入ってきました」
「使い魔を喰い殺したのが効いたな」
「はっ。兵は対騎士戦の定石通り、弓で足を止めております。展開・包囲が済み次第、騎士による獅子狩りへ移行します」
「どのくらいかかりそうだ?」
「さて。後続の仔獅子が森へ入らないようで、森を出てまで包囲すべきか兵隊長が迷っておるようです」
「ウィニィ王子がどちらにいるかによるな」
「おっしゃる通り」
「しかし――じっくりと考える暇はないようだ」
後ろから、叫びながら駆けてくる騎馬がいる。
「急報! 急報―!」
「何事だ、騒々しい!」
カーチスが駆けてきた馬の轡をむんずと掴み、無理矢理に騎馬を止める。
伝令は馬から転がるように下馬し、ボルドークの前に膝をついた。
「敵襲です!」
ボルドークは伝令の無能さに苛立った。
「そんなことはわかっている。敵は? 砦の騎士か? 数は?」
「敵は、敵は……」
伝令は唾を呑み、目を見開いた。
「あ、死霊の軍隊です!」
「……何だと?」
「数は、わかりません! そこら中に、無数に……」
カーチスがぬらりと剣を抜いた。
白刃を伝令の首元に突きつけ、凄みを利かせた声で言う。
「戦時における誤報・虚報の伝達は死罪に値する。伝令役なら知っているな?」
伝令は唇を一文字に噛みしめて、それから目を血走らせて頷いた。
「私はこの目で見たのです、死霊の大群を! 仲間がスケルトンに縊り殺されるのを! あれが間違いならどれほどいいか!」
カーチスがボルドークに視線を送ると、彼は静かに頷いた。
「待ち伏せのはずが挟撃される形となったか。戦とは思い通りにいかんものだ」
「死霊だけならまだしも、それの軍隊など……にわかには信じられません。砦の魔導騎士の仕業でしょうか?」
カーチスに問われ、ボルドークは首を横に振る。
「わからん。だが――」
ボルドークは後方に目を細めた。
「ああ、この距離までくるとわかる。強力な魔導騎士だな。尋常ならざる敵だ」
「勝てますか?」
恐る恐るそう問うカーチスに、ボルドークは朗らかに笑った。
「勝たずともよい」
「は?」
ボルドークはカーチスに尋ねた。
「公子殿下は?」
「兵隊長の近くに布陣しております。血に逸っておいででしたので」
「ならばカーチス。お前は公子殿下と共に洞窟へ向かえ。そのままアトルシャンへ離脱するのだ」
カーチスは信じられない、というふうに目を剥いた。
「そりゃあんまりです、騎士長! 俺はまた逃げ出すためにあんたについてきたわけじゃない!」
「なんと。お前も案外、十五年前を引きずっておるのだな?」
そう言って、ボルドークはまた笑った。
「我らの勝ちはウィニィ=ユーネリオンを拉致し、アトルシャンへ連れ帰ることだ。違うか?」
「おっしゃる通りです」
「では、我らの負けは?」
カーチスはすぐに答えに至ったが、口にしたくなかった。
ボルドークに目で促され、渋々と答えた。
「公子殿下が捕縛、あるいは討ち取られることです」
「その通り。副長!」
「ハッ!」
白髭をもくもくと生やした、老齢の騎士が進み出た。
実直で遂行力に優れた騎士で、ボルドークはカーチスではなくこの男に副長を任せていた。
「後背の敵はお前に任せる。騎士をすべて充ててよい」
「ハッ!」
短く返答する副長に、ボルドークは少し不安になった。
「……何をすべきかわかっているか?」
副長はドン! と胸を叩いた。
「尋常ならざる敵! 勝たずともよい! 以上のご発言から導き出されるご命令の意図は、無理に戦わず時間稼ぎ! 亀のように硬く守ることでございましょう!」
「うむ!」
疑った自分を恥じながら、ボルドークは馬首を返した。
「赤の狼煙を合図とする。確認し次第、即時撤退。赤だ、見逃すな」
「ハッ!」
副長は敬礼し、配下の元へ向かった。
ボルドークにカーチスが尋ねる。
「騎士長はどこへ?」
ボルドークはニヤリと笑った。
「私は王子を獲る」