350 リメス会議へ
冬も峠を越え、太陽の恵みが雪を溶かし始めた。
新年を迎えてふた月ほど、暖かくはなれどまだ春と呼ぶには早い頃。
ついに獅子王国と魔導皇国の中心人物たちが相見えるときがきた。
十数年ぶりに催される両国重臣による会議。
リメス会議である。
獅子王国と魔導皇国の事実上の国境は絶壁の高地である。
そのハイランドから一歩、皇国側へ出ると、明るい緑の草原がどこまでも続く牧歌的な光景が広がっている。
このリメスの大草原は両国にとって緩衝地帯として永らく機能してきた。
それが侵された獅子侵攻のあとも再び緩衝地帯として設定されることになったのだが、その休戦協定が結ばれた地も、このリメスであった。
――飛竜回廊。
レオニードの門を出立したロザリーたち使節団の一行は、このハイランドにできた獅子王国と魔導皇国を繋ぐヒビの道を通り、皇国領へ向かっている。
編成は馬車が三台と騎馬が二十余。
「……」
コクトー宮中伯が無言で馬車の窓から顔を出し、後方を眺める。
そばで馬を駆っていたロザリーがそれに気づき、彼に馬上から尋ねた。
「気がかりでも?」
「いや……王都を出る直前、ある騎士団を同行させようと思いついたのだが」
「ある騎士団……?」
「折悪しく、その騎士団は王都にいなくてな。【手紙鳥】を飛ばして『道中に合流する』と返事は来たのだが……まだ姿を見せないな、と思ってな」
「もうすぐ飛竜回廊を抜けます。国境を一緒に出ないとよくないのでは?」
「心配ではあるな。顔見知りゆえ、レオニードの門では引っかからないだろうが……」
「待ちますか?」
「……いや。行こう。待たせてはならぬのはウィズベリアのほうだ」
「皇国宰相――本当に来るのでしょうか?」
「実は私も疑っている。あの女宰相が魔導皇帝のそばを離れるとはどうしても思えぬ」
「そんなにベッタリなのですか?」
「ウィズベリアのほうがな。彼女は傑物だが、後ろ盾は魔導皇帝ただ一人。短期間であっても皇都を離れれば、幼い皇帝を元老院に取り込まれる――そう考えているはずなのだが」
「では……行ってみると剣王ロデリックが来ていたり?」
「いや、それはない。今朝方、皇都に忍ばせた草から連絡があった」
「なんと?」
「数週間前から皇都にて剣王とその配下たちの滞在が確認されている。が――皇国使節団が出立しても、剣王は皇都に居座ったままだそうだ。おそらく出席したいと申し出に皇都を訪れたが、拒否されて叶わなかったのだろう」
「では他の魔導八翼が?」
「可能性はある。が、それだとこちらの出した要望から外れることになる」
「ロデリック以上の立場の者――たしかにそうですね。ミルザが来るなら別ですか」
ロザリーの言葉に、コクトーは鼻で笑った。
「ハッ。奴は来ぬよ、来るわけがない」
「でも。ニド殿下は十に一つはある、とおっしゃりました」
「殿下が? なぜそのような馬鹿げた推量を」
「……私を、見に来るのだと」
「!」
「コクトー様はどうお考えになりますか?」
「……それでも。あり得ぬと思う」
「そうですか。では、やはりウィズベリア――」
ロザリーがもう何度目かの女宰相の名を口に出した途端、馬車の中にいたもう一人の人物がコクトーを押し退けて顔を出した。
「もう! ロザリーさんもコクトー様もウィズウィズウィズウィズ言わないでください!」
ロロはなぜだか憤慨している様子。
ロザリーはコクトーと顔を見合わせ、それからロロに問うた。
「どうしたの、ロロ。顔、真っ赤よ?」
「怒ってますから!」
「だから、何を怒ってるの」
「私、調べたんですよ! 女宰相ウィズベリアのこと! コクトー様からも情報を戴いたりして!」
「うん。それで?」
「……知れば知るほどヤバい人です」
そしてロロは真っ赤だった顔を青ざめさせて、話を続けた。
「彼女の名が皇国史に出てくるのは、なんと十二才のときです。元老の一人だった彼女の父が不審な死を遂げ、家を継いだ若きウィズベリアが元老の座をも継承すると勝手に宣言したのです。当然、他の元老たちが年齢を理由に大反対しました。……しかし、半年後には彼女は本当に元老の座を手に入れてしまったのです」
「すごくやり手だってこと?」
「やり手には違いありませんが……彼女の元老就任に反対した元老が、中心人物から順に不審死を遂げたのです。まるでウィズベリアの父親の死をなぞるように。元老の不審死は続き、やがて死者の数が両手で足りなくなったとき。もう彼女に反対する者はいなくなっていました」
「……なるほど、ね」
「そこからもウィズベリアは止まりませんでした。〝渡り雁の高度〟と評された俯瞰的視野、手段を選ばず実現する実行力、そして若さと美しさからくる市井での人気。十六の頃には最も権力を持つ元老となり、その翌年には最年少の宰相に。そして宰相の座に就く際に特別授与された騎士章によって大魔導であることも判明しました」
「すごい人物ね。……でもロロが怯える必要はない気がするけど?」
「やり方がヤバいんですよ! 邪魔な政敵を煮たり焼いたり毒したり! かと思えば取り込むために外敵と寝たり! 禁呪を試すために娘で実験したり!」
「うわあ。……娘がいるってことは結婚してるの?」
「いえ、未婚ですし、父親は伏せられています。巷では先代皇帝の側近であったから、その皇帝の子だとか、あるいは敵国獅子王家の種だから父親を言えないのだとか、いろいろ言われているようですが」
「なるほどねぇ……」
「ロザリーさんは怖くないんですか?」
「どれもただの噂に聞こえるし……むしろ、会うのが少し楽しみになってきたかも」
「冗談でしょう!? あれはグウィネスといい勝負ですよ! あああ、怖いいぃぃ!」
隣の席でロロの大声を迷惑そうにしていたコクトーが、嫌味っぽく言った。
「いやいや、ロクサーヌ卿も肝が太い。なにせ地獄耳で有名な厄災の魔女の名を堂々と叫ぶのだからな。私には真似できんよ」
「ああああ! うっかり叫んじゃったああ!」
「そういえば名前を呼んではいけない方だったね」
「悪気はないんです、グウィネス様ぁ! どうか! どおおか、お見逃しをおおうぉぅぉぅ!」
「ロロ、うるさい。飛竜回廊に反響してるわ」
「そう言われてもぉぅぉぅ……」
「まったく……」
「ロザリー卿」
「はい? 何でしょう、コクトー様」
「前を見たまえ」
「前……あっ!」
「飛竜回廊を抜ける。皇国の地だ」
絶壁に囲まれた暗い回廊の終わりは、まるで天まで続く光の柱のように見えた。
リメスの地から注ぐ陽光がロザリーの瞳を眩ませる。
「わあ……!」
回廊を抜けると、そこは大草原であった。
明るい緑の若草たちが柔らかく揺れ、風の軌跡を象っている。
空は高く澄んで、雲の列が遥か遠くまで続いている。
「あれっ? 列が止まった……?」
先を行く者たちが足を止めたのか、馬車が止まった。
コクトーが車窓から顔を出して前方を見つめる。
「……ふむ。そういうことか」
「どうしたのでしょう?」
「足が出ないのだよ。緩衝地帯とはいえ、ここからは皇国の地。私以外はまともに皇国の地を踏んだことがないのだからな」
「それこそ、獅子侵攻以来?」
「そうだ」
「コクトー様はあるのですね?」
「商人時代には何度も。皇国の大都市はほとんど回ったのではないかな」
「へえ! 今度、お話聞きたいです!」
「機会があれば、な。卿も初めてではないかもしれんな?」
「私はありませんよ? あ、母のお腹の中で、という意味ですか?」
「そうではなく。五才のときから数年、王国ではない場所にいたのだろう?」
「ああ! ……どうでしょう、西の山岳地帯という記憶ですが」
「獅子王国の真西の山岳地帯となれば、ガーガリアンの支配地域だ。さすがにそんな場所に研究所など建たないと思うがね」
「……見つかったら襲撃されちゃいそうですね」
「となればその南――皇国領の山岳地帯という可能性もある」
「なるほど……」
「……ロザリー卿、先頭を行ってはくれぬか? これでは約束の時間に間に合わぬ」
「わかりました。それでは」
ロザリーは馬の腹を蹴り、車列の先頭へ向かった。
コクトーの推測通り、先頭を行く護衛の騎士たちの顔には、はっきりと躊躇いの色が見えた。
彼らの目がロザリーに集まると、ロザリーは軽く会釈をして、何も言わず先頭で馬を進め始めた。
草原に入り、そのまましばらく行ってから、ロザリーが振り返る。
「よかった、ついてきてる」
後続の騎士たちとは少し距離があるが、それでも列を維持してついてきている。
強い風が吹き、ロザリーの黒髪を煽った。
風はすぐに収まり、また柔らかな風に戻る。
「はー。思いっきり馬で駆けたい気分!」
それをやれないとわかっているから、尚更やりたい衝動に駆られる。
右も左も草原は果てしなく、視界は風に波打つ緑の海と、突き抜ける空ばかり。
振り返ったときに見えるハイランドだけが自分のいた場所の名残であるが、それも次第に小さくなっていく。
そして――それからしばらく馬で進んで。
「あれ、かな?」
ロザリーは大草原で初めて人工物を見つけた。
天幕らしきものがいくつも見え、その中心にある天幕はひときわ大きいようだ。
天幕の張られた場所は草原よりいくらか高く、ようく見ると石垣の上のようである。





