340 黒獅子と嘆きの騎士―上
明けましておめでとうございます!
皆様にとって今年も、あるいは今年こそは良い年でありますように。
本年もよろしくお願いいたします……!
――獅子王国南の要害、レオニードの門。
高地ハイランドにできた断層を塞ぐように聳えるこの大砦は、今日も見上げるような高さで皇国に立ちはだかっている。
その大砦のバルコニーに、一人の女騎士の姿がある。
かつて実習でグレンが恐怖を抱いた、矢狭間から吹き上げてくる強風に黒髪を靡かせ、しかし彼女の目にはわずかな恐れも不安もない。
黒獅子騎士団副長、ローレライ=スウェルズ。
人呼んで〝嘆きのローレライ〟その人である。
十六年前の獅子侵攻の折、騎士二年目だった彼女も従軍した。
当時の副長はニドの同期で天才の呼び名をほしいままにしていたレオン=スウェルズ。
ローレライは二つ上のレオンと密かに愛し合っていて、この従軍が決まった直後に結婚した。
「式は帰ってから」
そう照れくさそうに言って、ローレライは友人たちの追及から逃れた。
侵攻が始まると、黒獅子騎士団は快進撃を見せた。
敵拠点のいくつもを瞬く間に陥落せしめ、数日のうちに皇都バビロンへ攻め上がることになるだろうとローレライも思っていた。
そのとき起きたのがミルザの〝大破壊〟である。
一瞬のうちに王国軍は半壊、特に突出していた黒獅子騎士団は壊滅に近かった。
多くの者が死に、その中にはローレライの夫レオンも含まれていた。
地獄のような世界で、ニドとローレライは生き残っていた。
怒り狂った黒獅子は、無謀にも破壊の根源たるミルザに戦いを挑んだ。
ニドは極めて優れた騎士であったが、大いなる暴風そのものと化したミルザには届かなかった。
ローレライの目の前でニドは返り討ちに遭い、地に倒れた。
ニドを打ち倒したミルザは、まるで戦に興味を失ったかのように彼方へと消えた。
倒れたニドを呆然と見つめるローレライの瞳に、迫り来る大きな土煙が映った。
皇都バビロンより送られた敵方の援軍だ。
大軍が迫りつつあることを知り、ローレライは痛む身体に鞭打って立ち上がった。
まだ息のあったニドを背負い、仲間たちの亡骸の中を必死に逃げた。
夫の遺体すらも置き去りにして。
このときの悲しみに満ちた彼女の姿が〝嘆きのローレライ〟の由来である。
混乱の中で共に逃れた生き残りの多くが後にそのことを語り、忠義の騎士の象徴として〝嘆きの騎士〟の逸話は今も語り草となっている。
「――雷か」
ローレライが髪を押さえて振り返ると、そこには黒獅子ニドが立っていた。
「変ですよね。さっきまで晴れていたのに」
「あの日もこうだった」
「あの日? ……ああ、あの日ですか」
ニドはローレライの隣までやってきて、同じように空を見つめた。
「空が急変し、暗雲が立ち込めた」
「ええ。その暗雲が大きな渦を巻き始めたものだから、誰もが空を見上げた」
「そうだ。その渦の中心にいたのは、まだあどけなさの残る少年だった――」
「――ミルザ」
「そう、ミルザだ!!」
ニドの魔導が膨れ上がり、瞳に猛獣のごとき殺意が宿る。
彼の怒りに反応するように、閃光が暗雲を走る。
大魔導の激情である。
並の者なら失神してもおかしくない状況であったが、ローレライは軽く、いなすように答えた。
「私はミルザを見ておりません。刻印騎士のように視力を強化できませんし、あのときは暴風で団旗が飛ばされぬよう、必死でした」
「……フ。あの頃は旗持ちであったな」
「ええ。……そのあと、空が落ちてきた。何人もの仲間が木の葉のように空に飛ばされ――何十秒も経ってから地面に落ちてきた」
「人が雨のように、な。そのあとは鎌鼬だ。見えぬ刃が幾重にも地上を這い……騎士も兵卒も関係なく。こちらがとった捕虜すらも関係なかった」
「そして、あなたは勇敢にもミルザに挑んだ」
「負けたがな」
「ええ、見事に」
「見事、か。言ってくれる」
「ミルザのことは見えていませんでしたが、あなたのことは見ていましたから。あなたが〝風〟と戦っているうちは私たちも戦えた。でも、無理になった」
「嘆きのローレライ、か。……夫を担いで逃げ帰っても、私は恨んだりはしなかったぞ?」
「夫が許しませぬ」
「……そうか」
レオンのことを思い出したのか、ニドの顔に悲しみが宿った。
ローレライは見て見ぬふりをし、ニドを置いてバルコニーから離れた。
そうして屋内に入ろうとしたとき。
慌てた様子で走ってきた騎士がローレライを見つけ、彼女に耳打ちした。
ローレライは取って返し、未だ空を見つめるニドに言った。
「先王弟ドロス殿下がお越しになられたそうです」
「……まことか?」
「どうもご本人のようで。珍しいですね?」
「珍しいも何も、ここには初めてだ」
「いかがなさいますか?」
「追い返すわけにもいくまい」
ニドは名残惜しそうに暗雲を見つめ、それから目を切って屋内へ向かった。
――その少し前、レオニードの門付近の岩陰。
ドルクの〝雷鳴〟によって移動してきた先王弟は、驚きを隠せぬ様子で言った。
「……なんと。卿がこのような術を使えたとは」
「一子相伝の秘術にございます。殿下だからこそ明かしましたが、どうかこのことは――」
「――わかっておるわ。そのために二人だけにしたのであろう」
「ハッ」
「これならばエイリスにも気づかれぬ。ようやった」
「ありがたきお言葉……では、参りましょう」
先王弟とドルクがレオニードの門の入り口まで歩いていく。
見張りに立っていた二人の騎士は、彼らのことを訝しげに見つめた。
「……誰だ? 何の用だ?」
ドルクが前に出て説明する。
「こちらは先の獅子王の弟君、ドロス殿下であられる。黒獅子ニド殿下に面会に来られた。中へ通せ」
すると見張りの二人は顔を見合わせ、次の瞬間、吹き出した。
「王族がこんなところへ前触れも出さずに?」
「それもたった二人でか? 笑わさないでくれ」
ドルクはため息をつき、先王弟を見るよう手のひらで示した。
「お姿をとくと見よ。騙りだと思うか?」
「いや、だって……」
「……なあ?」
「本当にそれでよいなら私はよい。卿らの家族が悲しむことになっても、私は確認したからな?」
そう言われては、と見張りの二人が先王弟をしっかと眺める。
着ているものは、これぞ王族! とでもいうべき豪奢なものだ。
吠え猛る獅子の意匠もしっかりと描かれている。
宝石類などはほとんど身につけていないが、目を引くのは騎士章。
月に向かって吠える獅子は銀色である。
見張りの二人が呟く。
「月獅子、騎士団長クラス……」
「吠え猛る獅子の意匠……」
騎士章の偽造も、王族の意匠をそれ以外の者が使うことも共に重罪である。
この二つを身につけているということは、この老人が命知らずの馬鹿者か、あるいは先王弟本人であることを示している。
「ちょっ、ちょっとお待ちを!」
「今、確認してきますから!」
「急げよ? 外は冷える。殿下がお風邪でも召されたら……」
「「ただちに!!」」
見張りの二人は脱兎のごとく、要害の中へ入っていった。
ドルクが先王弟を振り返る。
「入りましょうか」
「待たぬのか?」
「実際、冷えまする」
「ふむ。たしかにの」
ドルクと先王弟は微笑み合いながらレオニードの門へ踏み入っていった。





