329 恋に落ちてオズモンド
やや長め。
暗い寝室。
裸の男女が向き合っている。
女――長い黒髪の紫眸の少女が、男の胸板にしなだれかかる。
「ロデリック様……」
男――白髪の多い豊かな髭の眼帯の男が、少女の柔肌をそっと抱く。
「おお、ロザリー……」
「母の代わりでもよいのです。どうか、今夜だけ……」
「何ということだ、生まれたままのお前は、ルイーズよりも……」
「嬉しい……! ロデリック様……」
「ロザリー……」
二人の影が重なり、その姿勢のまま見つめ合う。
やがて目を閉じ、互いの唇が近寄っていく――。
「~~っ! ダメだっ!! ロザリィィィ!!」
オズは跳び起きた。
ベッドは汗でぐっしょりと濡れている。
「はあ、はあ……」
激しく息をしながら窓の外を眺める。
街は夕暮れ時。
灯り始めた明かりが積雪に反射している。
オズが独り言ちる。
「……夢?」
「夢か……」
「そうか、昨日夜勤で。朝方寝たから……」
「酷え夢だ……」
「……うわー! ひっでえ夢!」
「あり得ねえだろ、ロザリーとロデ爺なんて!」
「……着替えなきゃ風邪ひいちまうな」
オズは不機嫌そうにベッドから立ち上がり、それからふと首を捻った。
「たまってんのかな?」
アローズ領調査任務から二週間が過ぎた。
西方都市ハンギングツリーは寒さの盛りで、街は雪に包まれている。
アローズ領で起きたこと、見たことは包み隠さず首吊り公ヴラドに報告された。
公は追加の調査などは命じず、「そうか」と頷いただけだった。
公の反応もリセの報告もどこか淡々としていて、オズは少し不審に思った。
そしてこの間、オズは配置換えになった。
地域全体が雪に包まれて賊のような不届き者の動きが鈍るので、城外巡視の頻度が減らされたのだ。
新しい所属はリセ率いる人差し指。
任務は城内の治安維持だ。
「それにしても、よ!」
翌日、早朝。
ハンギングツリー城下。
「通りの、雪かきまで! 任務ってのは! どうなのか、ねえ!」
喋りながらシャベルで雪を放り投げるオズに、同じ年頃の吊るし人が言う。
「そう言うなっ、て! 俺たちはこのため、に! 増員されてんだから、さ!」
雪に閉ざされていても街は生きている。
街そのものを生物に例えるなら、動脈にあたる大通りの積雪除去は重要な任務だ。
オズも同僚もそのことは重々わかってはいた。
「ハァ、ハァ。ちっと、休憩……」
同僚がシャベルを雪に突き刺し、取っ手に寄りかかる。
「おいおい。そう言ってさっきも休んでなかったか?」
「そう言うなよ、オズ。俺はお前ほど出来がよくないんだ」
「……出来がいい?」
オズが手を休め、同僚と同じように取っ手にもたれた。
「そんなふうに俺のことを言うのは、お前が初めてだぜ?」
すると同僚が言う。
「ああ、人としての出来じゃないぞ? 騎士としての出来だ」
「フン。それにしても、だよ」
「そうなのか? はっきりそうだと思うがな。俺は筆頭たちのようにはなれねえもん」
「俺ならなれると?」
「みんな噂してるよ。お前はどっかの指の副長に抜擢されるだろうって。そんでゆくゆくは筆頭になるんだろうってさ」
「マジで!? 俺って知らないうちにエリートコース乗っちゃってる?」
「ククッ。乗ってる、乗ってる。お前が筆頭になったら俺のこと引き抜いてくれよ。吊るし人はどこもキツいけど、お前の下なら少なくとも楽しくやれそうだ」
「いいとも!」
大通りの雪かきは日暮れまで続いた。
やっと解放されたときに「明日も今日と同じ時間、同じ場所集合」と聞かされて、オズたちはげんなりした。
今夜も雪が降り、また積もるということだ。
精霊騎士の天気予報はそうそう外れない。
疲れた身体がさらに重くなったように感じながら、オズは足を引きずるようにして帰路についた。
「……ん?」
冬の日暮れは早い。
夜闇と共に息も凍るような冷気が下りてきて、すでに雪も降り始めている。
そんな中。
城のほうへと続くスロープの石垣に、一人の少女が座っていた。
もう通りに人は少なく、いても襟を立て、俯いて家路を急ぐ人ばかり。
誰も少女に気づかない。
普段ならオズも声をかけないのだが、任務である城内の治安維持が頭にチラついた。
「お嬢ちゃん」
オズはスロープを上がり、少女の背後から声をかけた。
少女が振り向く。
「ケツが凍っちまうぜ?」
少女は目を丸くし、それからプッ、と吹き出した。
「何だ? 俺、そんなに面白い顔してるか?」
「だって、初対面でケツだなんて!」
「ああ、そっちか。悪かったな、俺って品がないからよ」
そしてオズはしゃがみ込み、少女に目線を合わせて言った。
「お嬢ちゃんみたいな年の子がうろついていい時間じゃないぜ?」
すると少女はフイッと目を逸らした。
「お嬢ちゃんじゃないわ」
「ケツで吹き出すなら十分お嬢ちゃんさ。送るぜ、家はどこだ?」
「あなたって送り狼?」
「バカ言ってんじゃねえよ。俺は吊るし人だぜ? 嬢ちゃんみたいな子供に手は出さねえよ」
「子供じゃないわ!」
キッと睨む少女の顔に「たしかに子供じゃないかもしれない」とオズは思った。
反抗心からくる怒り。
こちらが火傷しそうな強い意志。
まるでほんの少し前の自分を見ているようだった。
「……そうか、悪かった。じゃあ少し話そうか」
「あなたと? 何を?」
「そうだな……俺の話にするか。嬢ちゃんは自分のこと話してくれなさそうだ」
「ねえ。嬢ちゃんはやめて? エミリアって名前があるの」
「そうか、いい名前だ。俺はオズ。吊るし人だ」
「そんなの制服見ればわかるわ」
「それもそうか。じゃ、言い直す。俺は吊るし人の筆頭になるかもしれない男だ」
オズは冗談めかして言ったのだが、これにエミリアは驚いた様子だった。
感心したように何度も頷いている。
「へええ、あなたが? ふ~ん、エリートなんだ?」
「いや、それがさ。底辺貴族なんだよ。ほんとになれるか半信半疑でさ」
「じゃあなぜ『なれるかも』なんて思うわけ?」
「同僚が言うんだよ。お前はどっかの指の副長になる、ゆくゆくは筆頭だって」
「! それってけっこう重要証言じゃない? 客観的な視点で、それもライバルであるはずの同僚から言われたんでしょ? 信頼できるんじゃない?」
「そうかな。……そうかな!」
「だと思う。お知り合いになれてよかったわ。未来の筆・頭・さん!」
「たはは……やめてくれよ、エミリア」
「調子に乗って公に吊られたりしてね?」
「はいっ! 調子に乗りません!」
「プッ」「ククっ」
「「アハハハ!」」
年が近いからなのか、性質が似ているからなのか。
二人はあっという間に打ち解け、それから毎日この石垣で会うようになった。
――それから十日ほどが経って。
大通り沿いの雑貨店。
通りに面した前面すべてがカウンターとなっていて、一度に複数の客が買い物をしている。
棚に並ぶのは塩漬けや燻製の魚や肉などの保存食から蝋燭やランプオイル、毛皮製品に雪かき用シャベルなど、およそ冬に必要なもののほとんどが取り揃えられている。
カウンターの上、二階の外壁には、
〝セーロの店〟
と書かれた看板が掲げられていた。
「よーう。セーロ」
オズがガラ悪くカウンターに半身で肘を乗せる。
背中を向けて棚を整理していたセーロは、振り向くなり驚いた表情を見せた。
「あ、親分!」
「今月のショバ代を貰いに来たぜ?」
セーロが困り顔で笑う。
「相変わらずゴロツキ気分が抜けませんねえ。あっしを見てください、立派なもんでやしょう? これがカタギってもんですよ」
得意げに胸を張るセーロ。
オズは彼の身なりをふんふんと眺め、それから言った。
「あとは嫁さん貰って腰を据えりゃあ、立派な街商人だな?」
「嫁さんだなんて!」
セーロは年甲斐もなくテレテレしながら言った。
「あっしみたいな親父には無理ですよぅ。来る嫁なんていやせんぜ」
「そんなことはわからないだろう? こんな立派な店持ってんだからさ」
「店子ですぜ?」
「そんなもん、繁盛してれば関係ないさ。嫁さんと二人三脚で働き、やがて店を自分のものにする。いい話じゃないか」
「いやいや、あっしなんて……」
「そういや聞いたことなかったな。結婚歴はあるのか?」
セーロは一瞬固まり、それから遠い目で語った。
「……一度だけ。王国来る前には終わってましたがね」
「へ~。旦那の稼ぎが悪かったから?」
「浮気ですよ、嫁の浮気! 頭きて村を出て、どうせなら都会行こうと公都に行って、それで……はああぁぁ」
「あ~、アトルシャン公子に雇われちゃったわけか」
「雇われたというか、もう無理やりですよ。変に目端が利いて目立ったのがよくなかった」
「浮気のせいで国を捨て、王国で店を構える、か。数奇な運命だねぇ」
「転落人生ですよ。……もういいでしょう。あっしの昔話を聞きに来たわけじゃねえんでしょう?」
「さっすがセーロ。お見通しだな」
オズは腕を組んで両肘をカウンターに乗せ、セーロに語りかけた。
「実はさ。春が来てさ」
「春? 真冬ですぜ?」
「バッカ、俺に春が来たって話だよ!」
それからオズは、エミリアとのことをセーロに話して聞かせた。
セーロは真剣に聞いていて、最後にオズに尋ねた。
「それで、そのエミリアって子。いくつなんで?」
「十三、かな?」
「十三! さすがに若すぎじゃないですかい?」
「俺だって十代だよ、十六。変わんねーって」
「いや~、十五になってるかどうかは大事だと思いやすがね」
「そう?」
「ええ。お付き合いする気なら、最低でも親御さんの許可はもらうべきです」
「そこは大丈夫なのよ、うん」
「あ、そうなんですかい?」
オズは返事の代わりに髪を撫でつけたり、制服のホコリを払ったりする仕草をした。
それを見て首を捻っていたセーロが、やがて大きく手を打つ。
「ああ! これから親御さんに会うんですね? だから落ち着かなくてあっしに会いに来たんだ?」
「正解! やっぱセーロだなぁ。落ち着くわぁ」
「妙なこと言ってないで、もうちょいカッコつけやしょうぜ。そうだ、香りのいい髪油がどっかに……」
「いいっていいって……」
――オールバックになった髪からいい香りを漂わせながら、オズがいつもの場所へと向かう。
髪型が違うだけでいつもより人から見られている気がする。
こういうのも悪くないな。
そう思いながら、オズは歩いていった。
いつもの石垣が見えてきた。
エミリアは一人だ。
こちらを見つけて手を振っている。
「おろっ? パパさんと来るんじゃなかったの?」
「ちょっと遅れるって。ね、座って? いつもみたいにお話ししてようよ」
「そりゃいいけど」
オズはエミリアと石垣に並んで座り、街並みを見下ろした。
「オズは王都に行ったことある?」
「行ったことも何もミストっ子だよ。こっち来るまではずっと王都だ」
「へー。都会人だ」
「まあ、そうなるか」
「私は行ったことないんだよねぇ」
「行きたいのか?」
「……う~ん。どうなのかな」
「行ってみりゃいいじゃん。何なら俺が連れてくぜ?」
するとエミリアは腰を浮かせ、オズの魔導騎士外套の袖をギュッと掴んだ。
「っ! 本当!?」
「うお、びっくりした。そんな飛びつくほど? ってことは、早く街を出たい感じ?」
「え、いや……ううん」
エミリアは表情を暗くし、また石垣にストンと腰を下ろした。
「……この街は嫌いじゃないんだよね。ただ、ちょっと気分が滅入るってだけで」
「ああ、わかるぜ? そういう年頃だもんな」
「これって年齢のせいなの?」
「だろ? 本能が早く巣立てって急かしてるんだよ」
「そう、なのかな……」
「そんな難しく考えず、一度出てみりゃいいじゃん。無理だなって思ったらまた戻ってくればいいんだし。王都なら俺が案内するぜ?」
「……ごめんね、オズ」
「あん? 何で謝るの?」
「あなたは私を連れて行けないし、筆頭にもなれない」
「は? エミリア、それってどういう――」
「――パパ! こっち!」
エミリアが石垣に立ち上がって振り返り、大きく手を振る。
父親らしき人物がスロープを下りてくる。
オズはその姿を認め、あんぐりと口を開けた。
「げえっ! 首吊り公!?!?」
エミリアはプッと吹き出し、それからオズに囁いた。
「何がゆくゆくは筆頭よ。私が誰の娘かもわからないドジが、筆頭になんかなれるわけないじゃない!」
そしてエミリアは首吊り公に駆け寄り、腕にしがみついて訴えた。
「パパ、聞いて! 彼、オズっていうの。私、彼と付き合ってて――私に王都へ駆け落ちしようって言ってくれたの! でも私、パパを裏切ることできなくて……」
「違っ! 俺はそんなこと言ってな――」
「――ええっ!? あれは嘘だったの!? それとも私のパパが首吊り公だから嘘にするの!? もう、誰も信じられない!」
しくしくと嘘泣きをするエミリア。
オズにだけ見える角度でペロッと舌を出してみせる。
「なんだ、この状況……」
自分にやましいことはない。
何もしていない。
そんなふうに自分に言い聞かせるが、足は震え、汗が噴き出て、首吊り公の顔などとても直視できない。
そのうちに、首吊り公の気配が恐ろしい異形の邪神のように感じてくる。
「あ、れっ? 何かわかんないけど終わっ、た……?」
オズの頭の中で、終焉を奏でる悲壮なフィナーレが鳴り響くのだった。
やりたかったエピソード。
やりたかったやつなので変な終わり方にはなりません。





