326 アローズ領、調査命令―5
やや長め。
アローズ領話自体も長くなっちゃってますが、必要なのでご容赦を。
オズとリセ一行は開発領を離れ、領都のアローズ邸へ向かった。
ラナが急遽呼び戻されたのなら、彼女は今もアローズ邸にいる公算が大きい。
オズは無色奴隷の年寄りとの会話を思い出していた――。
「――ラナお嬢さんは俺たちの味方だ。だがそれが、見張りの騎士やローレン様から見ると度を越した無色庇護に映ったらしい。お嬢さんはいつの間にか俺たちと並んで働くのが毎日になっていた。見張り共から俺たちを庇って殴られることもあった。そして何より、後継者として扱われなくなってしまった……」
年寄りの声が沈んでいき、集まった無色たちの顔も暗くなる。
オズが言う。
「俺にどうしろと?」
「俺たちはいいんだ。でもラナお嬢さんは無色だが、騎士で貴族であるはずだ」
「たしかにそうだ」
「ラナお嬢さんが不当に扱われているのが我慢ならない。あの人はもっと、偉い人であるべきだ――」
――オズは思案する。
領主ローレンは、ラナと接触されるのを嫌がったのは間違いない。
ではローレンは、ラナの口から何を話されるのを恐れたのか。
「乱の可能性。あると思うか?」
そうリセに問われ、オズが答える。
「……爺さんと話してるときさ。俺は国に反旗を翻すって意味で聞いたのに、爺さんは領主ローレンに対する反乱と捉えたんだよ」
「ああ、私も気づいた。だがそれは乱を企てていない確証にはならない。領地で反乱を起こして成功すれば、次は近隣領、ゆくゆくは国との戦いになる」
「まあそうだけど。あれって、反乱を現実的に考えたことのない奴の発言だと感じたんだよね」
「仮にそうだとしても、それは無色たちは考えたことがないというだけだ。ローレンやラナはわからない。むしろラナが知っているから、ローレンはラナを隠したのでは?」
「……可能性はある、な」
「とにかく。ラナに話を聞こう」
領都シルフィールドに入った。
街の人々の誰もが緊張した顔でこちらを見つめている。
「さっき訪れたときと反応が違うな?」
リセの言葉に、オズが前方を指差す。
「原因はあれだろう」
まだ遠くに見えるアローズ邸。
その周囲に何十という騎士が布陣していた。
目つきの悪い髭の騎士の姿がある。
開発領の見張りの騎士たちだ。
非番も呼び出したのか、あのときより数が多い。
全員が武装していて、まさにこれから武力衝突が起こるように民の目からは見えるだろう。
「あー、あー。せっかくアドバイスしてやったのによう」
「ま、こうなるだろう。髭の騎士がローレンから信頼されているようには見えなかったからな」
「意見なんか聞いちゃもらえないか。……どうする? また一戦交えちゃう?」
オズがふざけた態度でそう言うと、リセが心底嫌そうな顔で応じた。
「お前が命じるならやってもいい。が……責任は自分で取れよ?」
「ええ? 隊長はりせちーだろ?」
「領主ローレンはそう思っていない」
「あ……そういやそうだったな」
「責任を取るのは簡単だ。公の前に跪き、首を差し出せばいい」
そう言ってリセは自分の喉元に手を当て、舌を出したおどけた顔で吊るされたフリをした。
後ろから副長が言う。
「オズ殿。領主の館への突入はくれぐれも慎重に……」
「あら、俺の敬愛する副長さんまで」
「領地における領主の権限とは想像以上に大きいものです」
「まあ、統治者だもんな。裏騎士団の件があっても?」
「それでも公のご裁可を仰ぐべきです。我々はその任務で来ておりませんので」
「ん……ほんと優秀だねぇ、副長さん」
オズたち十一騎がアローズ邸近くに至り、足を止めた。
目つきの悪い髭の騎士たちはおよそ五十騎。
両者が距離を置いて睨み合う。
リセがオズに囁く。
「どうする、隊長殿?」
オズは自分が首吊り公に首を差し出す様を思い浮かべつつ、静かに返した。
「……館へ押し入るのが無理なら、向こうにラナを出させるしかない。裏騎士団の件を盾にローレンを強請る」
「どうやってローレンを引きずり出す?」
「何も。動きを待つ」
「ローレンに時間をやるのか?」
「髭のおっちゃんに時間制限って言葉を刷り込んだのはりせちーじゃないか。一刻も早く交渉したいのはローレンのほうさ」
「む……。あのときは刷り込む気などなかったが……」
「俺だったら王宮に騎士団結成を確実に届け出るために三日は欲しい。でも俺たちが今すぐ帰路についたら、明日にはハンギングツリーに着いて首吊り公に知れてしまう。俺たちが帰ろうとする前に交渉に出てくるはずだ」
「出てこなかったら?」
「その心配はない。ほれ、見ろ」
アローズ邸で動きがあった。
騎士たちが何人も館の方を振り返っている。
かと思えば、布陣がいきなり二つに割れた。
そこにできた道を馬に乗った貴婦人がやってくる。
領主ローレンだ。
(……りせちー)
(何だ?)
(俺とローレン、二人で交渉する。りせちーは副長さんたちに言い含めておいてくれないか?)
(言い含める? 何をだ?)
(俺が過激な命令を下しても、信じて従ってくれって。一線は踏み越えないからって)
(……強請るためだな?)
(ローレンは口で脅しても従う奴じゃない。いいタイミングで命令するからいい感じで――)
(――皆まで言うな。任せておけ)
リセたち十騎の下を離れ、オズが単騎で前に出る。
それを見たローレンも、同じように単騎で進み出てきた。
ローレンが貴婦人らしい笑顔を満面に貼り付けて言う。
「お待ちしておりましたわ、オズモンド卿」
「やあ、ローレン卿。お久しぶり……でもないですね?」
「ええ! 馬上の交渉というのも洒落ていて、よいものですわね?」
「伝統とも言えるでしょう。獅子王国黎明期、始祖レオニードは馬上で政務を行ったと伝わっておりますので」
「まあ! オズモンド卿は博識であられること!」
「いやあ、ハハハ……」
貴族然とした愛想笑いを浮かべていたオズが、突如ギュルリと目玉を剥いてローレンを睨みつける。
「――婆さん、前置きはこの辺にしようか」
ローレンも負けてはおらず、ジッとオズを見据えて言った。
「不遜な態度は演技ではなく生来のものであるようですね、オズモンド卿?」
「まあね。誉められた出自じゃあ、ない。そういう意味ではアローズと変わらんよ」
「……それで? ご用向きは?」
「わかっているだろう、ラナを出せ。彼女に会えたらハンギングツリーへ二日でも三日でもかけて、ゆっくり帰ってやる。裏騎士団の件を王宮に届ける時間は稼がせてやろう」
「それについてはお答えしたはず。ここにラナはおりません」
「開発領の無色奴隷から証言を得た。今まであそこにいて、館に呼び戻されたと」
「……奴隷というものは本当に困ったものでございますね。意味もなくそのような嘘を吐くとは」
「それで言い逃れできると本気で思っているのか? 館へ押し入って家捜ししてもいいが?」
「まあ! できもしないことを仰る。あなたも嘘つきなのですね、オズモンド卿?」
それを聞いたオズがジッ、と目を細める。
「できもしない、か……なるほど。最初から館の前にいなかったのは上に立つ者の気風を考えれば普通のことかと思っていたが……館の中から見ていたな? 見張りの騎士たちをエサとして並べ、突入する気があるか観察していたわけだ?」
「あら、何を仰っているのか……」
「となると厄介だな。突入してきても逃げきれる算段がある――館に避難経路があるということだ。おそらく秘密の通路か何かが……」
独り言のように推論を並べるオズに対し、ローレンはやや焦ったように割って入った。
「オズモンド卿、妄想はそこまでに……積もる話は館で夕食を食べながら、というのはいかがです? よい葡萄酒もありますのよ?」
それを聞いたオズは、あんぐりと口を開けた。
「……おいおい。まさか俺を館に入れる気か!?」
「ええ! それであなたのお気が済むなら! 後ろの皆様も客人としてお招きしますわ?」
「困ったな、これは実に困った……」
「フフ、可笑しい。館に入れろと言うから入れて差し上げるのに、何を困るのです?」
「何をってそりゃあ――」
オズの視線がローレンを射抜く。
「――今、あんたが俺を食事に誘う理由なんて、時間稼ぎ以外にないからだからだよ」
「ッ!」
ローレンの笑みが固まる。
「ラナを出さずに解決できると踏んでいる。それも食事に要する二時間程度で、だ。なぜだ? 王宮へ【手紙鳥】をすでに出したから? ……いいや、【手紙鳥】は落とされる懸念がある。不安なはずだ。じゃあなぜ……そうか! 王家代理人だな? 西方地域の王家代理人になら早馬で今夜中に届く。そのお方に日頃から貢ぎ物でも贈ってるんだろう、そこへ届けば問題ないと考えてるんだ。だが俺たちも急げば今夜中にハンギングツリーに着いてしまうかもしれない。だから念を入れて時間稼ぎをするわけだ?」
ローレンは何も反応しない。
オズがさらに続ける。
「疑問はもう一つ。館に入れたらラナが見つかってしまうかもしれないのに、なぜ自ら入れる? ……いや待て。あんたは館に押し入られるのは嫌がってる。客としてなら問題ないが、つぶさに調べられるのは困るんだ。ってことは――ラナの隠し場所に自信があるんだな?」
ローレンの瞼がヒクッと動く。
オズはローレンの顔を注視しつつ、揺さぶりを続ける。
「それとも自信があるのは避難経路のほうか? 俺たちと入れ違いに館から出せれば見つかることはないもんな。でもなあ、何でそんなに自信がある? 幻影系の術かなぁ。それとも動かせるタイプの【隠し棚】? まさか転移系の術者がいるってことはないよな? もしそうなら……いや、これは参った!」
ローレンが低く、高慢な声色で笑った。
「……フフフ。本当にオズモンド卿は想像力が豊かね?」
「なあ、婆さん。ここはフェアにいかないか? ラナと裏騎士団、双方一つずつ取ろう。それで後腐れなし。どうだ?」
「何を馬鹿な。取引になっていないわ。あなたは私の許しなく私の館に入れない。つまり主導権はこちらにあるの。あとは館の中でも外でも好きに待てばいい」
「……今すぐ、急ぎハンギングツリーへ戻ることもできるが?」
「あら、帰られるのですか? ラナは今、館の中にいますけれど」
「!!」
「そのうち出てくるかもしれない。もしかしたら明日になるかも。ま、焦らずお待ちになって?」
オズの顔に怒りに歪む。
「ババア……俺以上の嘘つきだな?」
「相変わらず無礼ですこと。ま、褒め言葉として受け取っておきましょう」
「……チッ。しょうがねえな」
オズは手綱を動かし、馬を半回転させた。
そして右手を挙げ、後方にいる吊るし人へ向けて号令を下した。
「突撃準備ッ!」
途端、吊るし人十騎が馬を盛んに動かし始める。
ガカッ、ガカッ! と蹄が石畳を叩き、隊列を成してその場をグルグルと動いている。
「なっ!? 何をなさるおつもり!」
これにはローレンも驚いて、オズに馬を近づけた。
しかしオズは即座に剣を抜き、近寄ってきたローレンに刃先を向けた。
「見ての通りですよ、ローレン卿。これよりアローズ邸へ押し入ります」
「……ッ、できもしないことをッ!」
そのとき、見張りの騎士たちの間でざわめきが起こった。
「おい、あれ!」「なんだ!?」
オズとローレンが吊るし人たちへ目を戻すと、十騎の頭上から神々しい光が降り注ぎ、その光が彼らの身体に吸収されていくところだった。
「合唱……聖文術の合唱だ!」
「奴ら本気だ……!」
「突入してくるぞ!」
見張りの騎士たちが慌ただしく隊列を整えようとする。
目つきの悪い髭の騎士が大声を張り上げて指示を出しているが、普段からこういった訓練をしているわけではないだろう、当然のようにうまくいかない。
彼らの声を背中で聞きながら、オズが思う。
(バカ共め。これは合唱じゃねえよ、特有の共鳴現象が聞こえなかっただろう?)
(合唱に見えるほど強力な聖文術だったというだけ)
(術者は――りせちーか。やっぱ聖騎士だったな)
(善人担当、人気担当とくりゃあ、聖騎士と相場が決まってるもんな)
周囲の視線が集まる中、リセはさらに聖文術を重ねた。
十騎の周囲をオーロラのような光が包み込み、騎士たちの武具や鎧、馬までもが金色に輝いている。
まるで神の遣わした騎士のごとき様相に、見張りの騎士たちに混乱が広がる。
早くも逃げ出す者までいる。
強力な敵と脆弱な味方に前後を挟まれ、ローレンの顔は凍りついている。
その様子を見てとったオズは、馬をそっと脇に移動させ始めた。
それを目にしたローレンが叫ぶ。
「クッ……オズモンド卿!」
「えっ、何です。突撃の邪魔にならないように避難するだけですよ」
「何をしようとしているか、あなたわかっているのですかッ!!」
オズは彼女の怒りを受け流すように、ヘラッと笑った。
「怒鳴ったって戦力差は変わりませんよ、ローレン卿――」
そして笑みを消し、目を細めて言う。
「――初めから主導権はそちらにない。勘違いされましたな?」
「……ッ」
「こうなったからにはラナも裏騎士団も俺がいただきます」
「ッ、オズモ――」
「――話は終わりだ、ローレン卿。……人差し指、突撃ィッ!!」
オズの号令の下、人差し指精鋭十騎が突撃に移る。
瞬時に横五列の横隊となり、蹄音響かせて一気に突っ込んできた。
「「ヒイイィィィ!!」」
見張りの騎士たちの頭に、ほんの数時間前に受けた突撃の記憶が蘇る。
今回はあれに輪をかけて酷い惨状になる――そう直感した彼らは一気に恐慌状態に陥った。
耳をつんざく悲鳴がこだまする。
戦意など微塵もなく、館を守ろうとする者など一人もいない。
突撃が迫り、地面が揺れる。
そんな中――ローレンが決死の覚悟で突撃の前に立ち塞がった。
「――わかったッ! わかったから、止まってぇッ!!」
横隊の前列中央にいたリセが、右手を挙げながら手綱を強く引いた。
馬は顔を背けて嫌がりながら急ブレーキをかけ、他の騎士もそれに続く。
ローレンは恐ろしい突撃に身を晒したことで大汗をかきながら、顔面蒼白となっている。
そんな彼女にゆっくり馬を近づけ、オズが言った。
「ローレン卿。ラナはどこだ?」





