325 アローズ領、調査命令―4
見張りの騎士を退けたオズとリセ一行は、開発領の中へ馬を進めた。
しばらく行くと大オラヴに突き当たった。
リセが大河を正面に、左右を見回す。
「凄まじいな。これがすべて農地として機能するのか?」
彼女が疑いを持ってこう話すのは、〝賊が蔓延る不毛の地〟というのが王国人の抱く西方の印象だからである。
副長が言う。
「専門外なので断言はできませんが……もし中央のように小麦が育つなら、ランスローに匹敵する農地になるでしょうな」
ランスローは王国の穀倉と呼ばれる領地である。
それに匹敵するとなれば、王国にとって大きな利益のある話となる。
「だがそうなると……乱とは繋がらないな?」
「たしかに。アローズ領は大きく発展するわけですから、わざわざ乱を起こす理由がない?」
「……ふう。結局、収穫はなし、か」
「無自覚な集団とはいえ裏騎士団を見つけたわけですから、収穫はあったと言えるのでは……」
「たしかに裏騎士団はあった。……が、三下騎士五十人ぽっちじゃ乱は起こせないだろう?」
「それは……ですな」
二人の会話を聞いていたオズが、上流のほうを指差して言った。
「結論出すには早えって。とりあえず、あっち行ってみようぜ?」
「あっち? なぜだ?」
「下流は蛮族も出るランガルダン要塞方面だから、そっちには農地広げないだろ」
「ああ……上流側に農地を広げてる?」
「だったら労働者がいるはずだ。この工事を進めてる人間が大勢、な」
「! ……いろいろ話が聞けそうだな?」
オズはニヤリと頷き、一行はオラヴ沿いに河を遡っていった。
――そうして馬を進めること一時間。
開発領、南端。
「一応、大勢ではあるが……」
「想像していたほどの数がいませんな」
遠目に見える南端は、まさに開発工事の真っ只中だった。
邪魔になる起伏を削り、地面を均し、水路を掘り、出た土砂を河沿いに運ぶ。
それらが並行して、急ピッチで行われている。
「それでは、手分けして労働者から証言を取ります」
副長の申し出に、リセが頷く。
「領主ローレンについて何か噂はないか聞いてくれ。開発領自体の噂でもいい」
「わかりました」
「ちょーっと待った!」
そう言って、オズは副長の馬の前を遮った。
「どうした、オズ? お前の言う通りに労働者から話を聞くんだぞ?」
「よく見ろよ、りせちー。俺らは今、アローズ領が編み出した特殊な灌漑工事の方法とやらを目にしてるんだぜ?」
「……特殊な? 大規模ではあるが、ごく普通の灌漑工事に見えるが」
「ぱっと見はそうかも。でも自分で言った『大規模』ってのがヒント。あと人数が少ないってのもヒントだな」
「大規模……」「少人数……」
リセと副長は同じように呟きながら、工事をする労働者たちを観察した。
そうして三十秒ほど経ってから、二人は同時に目を見開いた。
「あの荷車! 一人で曳いているのに土砂の量がおかしい!」
「そもそも掘り出すスピードがおかしいのです! まるで積もったばかりの雪を掘るみたいに……!」
オズは二人の感想を満足げに頷きながら聞いて、それから言った。
「たぶんこれ、全部無色奴隷だ」
「「!!」」
「俺ら騎士は意外と気づかないんだよね。自分が同じことできるから。でも引いて見りゃあ一目瞭然だ。人数に対して起こす結果が民とは違うから」
リセが上擦った声で言う。
「何人いるんだ……四百? 五百?」
副長の返事にも焦りが滲む。
「無色とはいえ、魔導持ちがこの数は……!」
「そうだ。そもそもこんな数をどこから?」
リセが誰に言うでもなく口にした疑問に、オズが軽く答える。
「奴隷だからな。買い集めたんだろ?」
「だからどこから! 皇国か? それとも海を渡った東方商国か!」
「普通に王国だろ? 一説には色のある騎士全員より無色が多いって言われてるし」
これにはリセと副長も顔を見合わせた。
「そうなのか? なぜそんなこと知ってる?」
「ラナがいたから。無色のくせに騎士になろうなんてとんでもないこと考えてる同級生がいたら、友人としては気になっていろいろ調べるわけさ」
「……ラナ=アローズは無色の魔導性?」
「そう。おそらく王国初の無色の騎士だ」
「なるほど。領主ローレンが後継ぎにしたくない理由がそれか。で……そのラナは?」
「さっきから探してるが――」
オズは大きなため息をつき、それから言った。
「――ここにもいねえな」
「そうか。ではどうする? 話を聞くにも魔導持ち五百という数は警戒せざるを得ないが」
「大丈夫だとは思う。髭のおっちゃんたちは五十人ぽっちで見張ってたわけだから」
「ああ、そうか。あいつらは賊から開発地を守ってたんじゃなく、無色奴隷が逃げ出さないように見張ってたんだな」
「でも念の為、部隊は分けずひと固まりで行こう。事故が減る」
「わかった」
オズたちが今まさに工事している現場のほうへ、馬をゆっくりと近づけていく。
こちらに気づく無色奴隷もいる。
彼らは手を止めてこちらをじっと見、それからまた作業を再開する。
警戒しながらリセが言う。
「あっちこっちで工事のやり方を教えてるのを見かけるな」
オズが頷く。
「だな。最近増やして、この数になったのかも」
「これからも増える?」
「だろう。二千人いればオラヴ対岸もいっぺんに工事やれちゃう気がするし」
「二千だと!?」
「色付き全員より多いって言ったろ? だったら王国出身だけで万はいるんだよ。アローズ開発領での無色奴隷の扱いにもよるが……三食付いてベッドで寝れるなら、余裕で集まるんじゃないか?」
「……何てことだ」
「怖いか? りせちー」
オズは揶揄うように言ったのだが、リセは神妙な顔で頷いた。
「ああ、怖い」
「お? 正直だな?」
「無色奴隷が千を超えて集まる――これを恐がらないほうがおかしい。だってこれは――」
「――乱の火種になり得るな」
「ああ、そうだ! 私は今すぐこの馬の腹を蹴って、一刻も早く公に報告したいくらいだ!」
「落ち着けって。この数だけなら恐れることはない。公が広域呪殺をぶっ放せば一発だ。なんせこの全員が術を使えないんだから」
「それは……そうだが」
「俺、思うんだよ。乱の火種って結局、一人の人間なんじゃないかって」
「一人? どういう意味だ?」
「カリスマ性っていうのかね? 乱に加わる人々を熱狂させる人物。そういうのがいて初めて、乱になるんじゃないかなあ」
「……それがアローズ領の、公にできない後継者?」
「ただの勘。可能性の話ね」
やがて進行中の工事を一望できる、人工の高台までやってきた。
日差しを遮る屋根だけがあり、その下にはテーブルがひとつ。
テーブルの上には開発予定地の設計図が広げられている。
その横には年老いた労働者が一人。
こちらに気づいているはずなのに、視線をちらりとも向けない。
「無視、か」
不愉快そうなリセに、オズが言う。
「まあ無色はこんなもんだよ」
そう言ってオズは馬を降り、その年寄りに近づいて話しかけた。
「なあ、爺さん。ちょっと話聞きたいだけなんだ。ちょっとだけ。な?」
すると年寄りはジロリとオズを見て、言った。
「あんたら吊るし人か」
「おお、その通り。あんた髭より賢いね」
「話すことはない」
にべもなく話を終えられ、オズは「まいったね」というふうなジェスチャーでリセたちを振り返った。
しかしリセは顎先で「続けろ」と示すだけ。
オズが再び年寄りに話しかける。
「爺さん、あんた俺たちが吊るし人だから話したくないわけじゃないよな?」
「……」
「騎士が憎いんだよな? 貴族に生まれて、自分ではどうにもならない理由で平民に落とされ、そして平民以下の奴隷働きを強いられれる。その元凶の貴族社会全体が憎いんだよな?」
すると年寄りはオズをギッ! と睨んだ。
「小僧!」
「おっ。何だよ」
「知ったふうな口を利くな。お前に何がわかる」
「あ~……そりゃダメだ、爺さん。『何がわかる』は言っちゃあ終わりだよ。こっちはそれをわかろうと話を聞いてるんだ。世を儚んで隠者を気取ったって誰も理解してくれないぜ?」
「別にわかってもらおうなどとは思っておらん」
「ええ? わかってくれないから不貞腐れて乱を起こそうとしてるんじゃねえの?」
すると年寄りは真顔になって、オズに問うた。
「乱?」
「そう、乱。反乱だよ」
「馬鹿な! そんな気など毛頭ない!」
「こうやって奴隷として働かされているのに?」
すると年寄りは口を噤み、口をへの字に曲げた。
そして時間をかけて咀嚼した心の内を、ゆっくりと語り始めた。
「――たしかに、この仕事はきつい。夏は木陰もない灼熱の地に焼かれ、冬は凍傷に怯えながら凍りついた大地を掘ることになる」
「そりゃ厳しい」
「だが――それでローレン様に対して反乱を起こそうなどとは露ほども思わん」
これを聞いて、オズはリセを振り返った。
リセもその言葉に反応し、オズに目で頷く。
オズは質問を続けた。
「――なぜだ?」
「満足しているからだ。ここなら飢えて死ぬことはない。法を犯す必要に迫られることもない」
「そうかあ? 言っても奴隷働きだろう? もうちょい暮らしやすい場所もありそうだが……」
「そうでもない。ここなら同じ境遇の仲間がいる」
「仲間……」
「国にも親兄弟にも見捨てられた俺たち無色が、互いに助け合って生きていける場所なんてここ以外にないんだよ」
「……!」
「見張りが消えたのはあんたらの仕業か? だが見張りがいなくなっても俺たちは逃げていないだろう? それが何よりの証拠だ。俺たちは群れ――ひとつの村。ここで子供ができた奴もいる。この村をくださったローレン様に感謝こそすれど、乱など起こすわけがないんだよ」
ここまで言って、年寄りは神妙な顔のオズを見て笑った。
「やはり騎士にはわからないだろう?」
「いや……わかるよ。俺は無色じゃねえけど、お尋ね者だったから。一人で逃げてたら、もっと荒んだだろうなあ……」
「小僧。何をしでかした?」
「殺人。騎士殺しだ」
年寄りの顔が曇る。
「なぜ殺した」
「んー、親の仇? みたいなもんかな」
「ほう。親御さんは喜ばれたことだろう」
「どうかな。俺が間違ったせいで死なせちまった面もあるし」
「そうか。……貴族全てが小僧くらいわかってくれたら、無色もこんな暮らしをしなくてよくなるのだがな」
「あ。これって俺たち、打ち解けた? 打ち解けたよな?」
年寄りは呆れたように笑った。
「じゃあ打ち解けた記念にもう一つだけ。――ラナ=アローズはどこにいる?」
すると今まで笑っていた年寄りの顔が、途端に厳しくなった。
口を噤んだまま、オズを睨む。
「ありゃ、地雷踏んだ? でもその反応は知ってるってことだな?」
年寄りは肯定も否定もせず、睨んだままだ。
後ろからリセが言う。
「やはりラナが心配か」
「ああ、心配だね。それに爺さんから聞いたことの裏付けもできる。ここの無色奴隷の群れが一つの村だというのなら、ラナも必ず絡んでるはずだ。だって無色唯一の騎士――貴族なんだから」
「ふむ……」
「火種の話も結局ラナに聞くのが早いのさ。あいつは俺のダチだから――」
「――お前に嘘はつかない?」
「いや。もしついても俺にはわかると思う」
「……なるほど」
すると近くで作業していた無色奴隷が数人、こちらへ近づいてきた。
そのうちの一人が言う。
「あんた、ラナお嬢さんの友人なのか?」
「お? 兄ちゃん、ラナを知ってるの?」
「おい、よせ!」
年寄りが無色たちを止めた。
オズが年寄りに言う。
「爺さん。あんたが俺を信用できないのはわかる。でも今の止めた行為が、あんたもラナを知っていることを証明してる」
「……」
「今度は俺の番だ。俺がダチだという証拠を話そう。ラナが騎士になれた経緯だ。あいつは無色。どんなに好成績を収めたって騎士にはなれない。だが一個だけ、可能性があったんだ。それが最終試練ベルム。これで優勝したチームのリーダーは何があろうと首席卒業と決まっている。俺たちのリーダーはロザリー――〝骨姫〟ロザリーは知ってるな? 彼女だったんだが、土壇場でラナに変えた。そしてそれを悟られないように戦い、俺たちは勝ったんだ」
この話はオズの同級生なら誰でも知っている話だが、皆、あまり話したがらない。
無色の騎士誕生の秘話など貴族社会では口に出すのも憚られることだし、何より自分が無色に負けたと喧伝するようなものだからだ。
だからこんな西の果てでは誰も知らないであろう話だが、ここの無色たちはそれを知っていた。
「同じだ……〝骨姫〟と同じチームだったって」
「ラナ様もそうおっしゃってた」
「ああ、嬉しそうに話されてた」
頷き合う無色奴隷たち。
その話を知っていたのは年寄りも同じようで、オズを見る目が変わった。
「本当にラナお嬢さんの友なのだな?」
「ああ。亡き母に誓う」
「そうか……ラナお嬢さんはたしかにここにいる。俺たちと一緒に開発工事をやっている」
「本当か! どこにいる?」
「今はいない。あんたらが来る直前、屋敷の使いがやって来てお嬢さんを連れてった」
「入れ違いか……!」
リセと副長が会話する。
「領主ローレンが我らとラナの接触を恐れた?」
「でしょう。我らが開発領へ向かったのを知り、先回りして呼び戻したのかと」
「監視がいた? 気づかなかったが」
「町でしょう。別段、隠すことなく開発領に行くことを話していましたから」
「ああ、そうか」
年寄りが言う。
「ラナお嬢さんは俺たちのリーダーだ。明るくてとてもいい人。あの人がいるから、やさぐれてた奴も真面目にやってる。お前の言ったように世を儚んでふて腐れてたりしたら、大声で叱り飛ばされちまう」
「フ、たしかにそりゃ俺の知ってるラナだな」
「そもそも無色奴隷を集めて開発する案を考えついたのがラナお嬢さんだ。俺たちの生活環境が最悪までいかないのは、あの人が守ってくれているから。どこからか魔導具を持ってきて工事に役立てたりもしてる。だが……」
「だが、何だ?」
年寄りは逡巡し、やがて意を決して話し出した。
「どうか、ラナお嬢さんを助けてやってくれないか!」
「……助ける、だと?」





