323 アローズ領、調査命令―2
やや長め。
ラナさんとは会えるのでしょうか。
――アローズ領。
遠く見えるは荒涼なる大地に咲く小さき楽園、領都シルフィールドである。
〝妖精の住まう地〟が語源とされるこの街は、荒れ地のオアシスとでも呼ぶべき場所で、美しい泉と森を中心に家屋が集まったこぢんまりとした領都だった。
「へえ。開発領ってもっと荒涼としたイメージだったけど」
そうオズが言うと、副長が答えを返した。
「開発領は、この領都から西へ六キロほど行った先です。アローズ領の飛び地になります」
「ほ~ん、なるほど」
この部隊の指揮を執る、吊るし人人差し指筆頭のリセが言った。
「オズ、着替えるか?」
「……は? 着替える?」
「だってお前、言ったじゃないか。この恰好じゃ騎士丸出しだって。町に一人やって、安物のマントでも人数分手に入れさせて――」
「――バカか。どこで見られてるかもわからねえのに十着もマント買ったら『私たち怪しい者です! 正体隠したいです!』って自白してるようなもんだろ」
「ッ、それは――」
「――もっと、その首の上に乗っかってるものを使え。それ、頭って言うんだぜ。勉強になったな?」
「そっ、そこまでは義父上でも言わないぞ!」
「ハイハイ、悪かったね。ああ、それと」
「まだあるのか!」
「こっから俺が隊長で。ヨロシク」
「……はあ?」
「俺が吊るし人で昇進して部隊任されるようになって、同級生に自慢しに来たって体で行く」
「ああ、なるほど。……それってバレないか?」
「まあ……怪しむだろうな」
「だったら意味ないだろう?」
「意味はある。どっちにしろ『乱を起こす反乱分子を捜しに来ました!』なんて言えないんだから、何らかの嘘をついて怪しまれることは確定してんだ。どうせ嘘つくならほんとに同級生の俺の素性を使った方が煙に巻ける」
それを聞いたリセは感心した顔をしていたが、すぐに険しい表情になり、オズをじとりと見た。
「……オズ。お前、嘘つきだな?」
「そうだぜ? 今頃気づいたのか?」
そう言ってオズはヘラッと笑った。
――領主の館は二階建ての洋館だった。
それほど大きくはないが、町の規模からすれば立派な建物だ。
館の周りを二メートルほどの石壁がぐるりと囲んでいて、石壁の上は尖った鉄柵が張り巡らされている。
鉄格子の門は閉じられていたが、オズたちが来るとすぐに執事が出てきた。
年老いた執事が言う。
「どなた様でしょう。本日はどなたともお約束はないはずでございますが……」
するとオズが馬を前に出し、太い声で言った。
「吊るし人である! アローズ領の調査に来た! ただちに開けろ!」
老執事は驚いて、「少々お待ちを!」と言って館に飛んで帰っていった。
「おいっ!」
リセがオズに馬を寄せて肘鉄を食らわせる。
「いてっ! なんだよ、りせちー!」
「事前の話と違うじゃないか!」
「大丈夫、任せとけって。あと隊長に肘を入れるな馬鹿野郎」
「……」
リセから非難の目を向けられながら待っていると、老執事が息を切らせて戻ってきた。
「奥方様が――領主がお会いになります! どうか、穏便に……」
「それはそちら次第だ」
オズは馬から降り、乱暴にそう言い放って館の中へと入っていった。
――館の応接間。
「領主のローレン=アローズです。我が領に何の調査で参られたのでしょう?」
領主のローレンは総白髪の老婦人だった。
背筋はピンと伸び、吊るし人を前にしても臆した様子はない。
(こいつがラナの母親? 似てないな……そうか、義母だったか)
そんなことを考えつつ用件を切り出さないオズに、ローレンは訝しげな目を向けてきた。
オズは慌てることなく、副長に顎で「お前が話せ」と指図した。
何の打ち合わせもないアドリブだったが、副長は懐から手帳を取り出してローレンに質問した。
「あ~、ローレン夫人。先代領主――亡くなった旦那様もローレン=アローズ殿だったと記憶しておりますが……お名前ごと継がれたので?」
(へ~、そうなんだ。……この副長、いいな。何聞いても何か返してくれる)
ローレンは一つ咳払いし、質問に答えた。
「生まれたときから私の名はローレンです。同名であったことをきっかけに夫と仲が深まり、婚姻に至りました。婚姻後はレディ・ローレンと呼ばれておりました。……夫が亡くなるまでは」
「そうでしたか。これはとんだご無礼を」
「いえ。……しかし同名間での継承のことは王宮にも届けて許しを得ております。なぜ今頃になってこのような……?」
副長が気まずそうな顔でオズを見る。
オズは副長の顔もローレンの顔も見ずに、乱暴に質問した。
「跡取りは?」
「……何がでございましょう?」
「見たところご高齢。当主だった旦那もずいぶん前に亡くした」
「それが調査に関係が?」
「いやなに、少し心配になってね。普通なら後継ぎをそばに置くだろう? 一刻も早く一人前にするために。だってあんた、いつ死ぬかわからないんだから」
「無礼な!」
その瞬間、横にいたリセが肘鉄を食らわせようとしたが、先読みしたオズがギッと睨み、それをさせなかった。
怒りを滲ませるローレンに、オズが重ねて問う。
「跡取りはどこだ? それともいないのか?」
「アローズ家のことはあなた方には関係ありません。それとも首吊り公は、我がアローズ領を乗っ取ろうとでもお考えなのでしょうか?」
ローレンは嫌みたっぷりにそう言ったのだが、オズは即答した。
「かもしれないな」
「ッ!」
「もう一度聞く。跡取りは?」
「……」
無言で睨み合うオズとローレン。
しばらくそうしていて、ふいにローレンが言った。
「お客様がお帰りよ」
途端、老執事が部屋の扉へ小走りに向かい、それを開けた。
「……そうかい。邪魔したな」
オズが扉に向かい、リセと副長は顔を見合わせてからそれに続く。
するとオズは扉を潜る直前で足を止めた。
振り返ってローレンに言う。
「実は……嘘なんですよ」
「嘘?」
眉を顰めるローレンに、オズが続ける。
「調査というのは真っ赤な嘘。今日訪れたのは首吊り公には関係ないことで。……だから、公には内密にお願いできませんかね?」
「……何を仰ってるのかわからないわ」
「俺、おたくのラナ=アローズさんと同級生なんですよ」
「!」
「この前の西方争乱で手柄を上げて、吊るし人で特別昇進したんです。自分の部隊を持てたんで、近くにいる同級生に自慢しに、ね。どうせなら驚かせてやろうと調査と名乗って館に入ったんですけど、肝心のラナが出てこなくて。それでしつこく跡取りのことを聞いたんですよ。……彼女ってここの跡取りですよね?」
「……ええ」
「ラナはどこに?」
「……領地経営を学ぶために王都に。私は手本となってやれるほど能力がありませんので」
「何だ、そうかあ! 出てこないはずですね、とんだ失礼を」
「いいえ。次にラナが帰ったら、あなたがいらっしゃったことを伝えますわ。ええと、お名前は――」
「オズモンド=ミュジーニャです。お節介な性分で、部隊では〝世話焼きオズ〟なんて呼ばれてます」
「オズモンド卿……覚えましたわ」
「また来ます。失礼しました」
オズはさわやか笑顔を残して、足早に館を出ていった。
馬に乗り、十一騎で町の通りを行く。
小さな町ではこういった騎士の部隊は珍しく、町行く人々から好奇の目が集まる。
リセが馬を寄せてオズに問う。
「〝世話焼きオズ〟?」
「ククッ、忘れてくれよ」
「聞いたことないが?」
オズが笑いながら答える。
「そりゃそうだよ、俺ですら聞いたことない」
「じゃあなぜ、あんな嘘をついたんだ?」
「お節介って厄介な存在だろ? 特に後ろめたいことがある奴にはさ」
「お前みたいに?」
「クク、そうそう」
前を行く副長が振り返った。
「リセ様。この任務、なんと報告しますか?」
途端、リセの顔が曇る。
「あったことをありのままにご報告するしかない。……お叱りを受けるだろうな、何もわかっていない」
そこまで言って、リセは慌ててオズのほうを見た。
「ああ、オズのせいではないぞ? 私がお前に任せたのだし、お前のやり方はある意味勉強になった。だから責任を感じることはない」
「へ? なんの責任?」
オズが耳をほじりながらそう答えたので、リセの顔はみるみる真っ赤になった。
「少しは責任を感じてはどうだ!? 任せろと言うから任せたのに、何もわからなかったじゃないか!」
「そんなことはないだろ」
「……何かわかったのか?」
「まずローレン婆さんは白よりのグレーだな。乱を首謀するような性格じゃない」
副長が眉を顰める。
「それは……言い切ってよいのですか?」
「あれは王都によくいる中堅貴族のご婦人だよ。行儀よく毅然としているが、裏を返せば高慢でプライドが高いだけ。野心はあるが保身も大事な小悪党。乱は起こせないな」
リセが言う。
「でも、グレーなんだな?」
「嘘をついたからね」
「嘘?」
「ラナのことだ。王都に勉強に出したっていうけど、ありゃあ真っ赤な嘘だ」
副長が頷く。
「自分もそう感じました。そもそも領地経営を学ばせるなら、王都ではなく近隣の領主の元に出すのが自然でしょう。王都住みのほとんどの貴族は領地を持たないのですから」
「しかもたまに里帰りしてるような口ぶりだったしな。貴族に払う勉強代に、西の果てから王都往復の旅費――とんでもない金と時間の浪費だが、それをできるような領地じゃないわな、アローズ領は」
「でも……それは乱とは関係ないだろう? 同級生が心配なのはわかるが」
「たしかにラナのことは心配だ。後継者から降ろされた可能性が高い。居場所について嘘をついたんだから、どこかに幽閉されているのかも。だが、もしそうだとするなら……妙だろ?」
「妙?」
「りせちー、考えろ。その首の上に乗っかってるものは――」
「――頭だと言うのだろう? ちょっと待て、考えるから」
リセはそう言ってから考えを巡らせ、やがてハッとした顔で言った。
「……じゃあローレン夫人は誰に後を継がせる気なんだ?」
オズがパチンと指を弾いた。
「それだ。ラナはローレンと血の繋がりがない――おそらく後継ぎ目的の養子だ。ラナには魔導に問題があって、後継者から降ろされたのはそれが理由だろう。でも、降ろすなら代わりの後継者がいなきゃおかしい」
リセが頷きながらオズに顔を寄せる。
「オズがしつこく後継者について尋ねても、ローレン夫人は何も答えなかった。オズがラナの同級生だと打ち明けてから初めて、ラナについて語った」
オズも顔を近づけて答える。
「そう。そして俺の名を尋ねた。今頃、俺が本当に同級生か必死に調べているんじゃないか?」
「フ、だろうな」
「ローレンの言動は矛盾に塗れてる。後継ぎについて口を閉ざしていたかと思えば、俺が同級生だというとラナが後継ぎだと認め。しかしラナの居場所については嘘を語った。――これらの言動からわかるのは二つ。まずラナは後継者として扱われていないこと」
リセが頷き、言葉を引き継ぐ。
「そして二つ目が、ラナの代わりの後継者が不明なことだな?」
「そうだ。領地持ちの貴族がさ、後継者不在のまま、のうのうと過ごすなんてありえないんだよ。ところがローレンは後継者探しに慌てているそぶりもない」
「それはつまり――」
「――いるんだよ、公にできない後継者が」
「公にできないのはなぜだろう?」
「可能性はいろいろあるな」
「例えば?」
「ん~。何がある、副長さん?」
肩透かしを食らったリセはガクッと項垂れたが、副長は粛々と答える。
「タイミングでしょうか。その後継者がまだソーサリエも出ていない子供であるとか、あるいは何の実績もない野良騎士で、今まさに経歴を作っているところだとか」
「さすがは俺の見込んだ副長だ。いい答えが返ってくるね」
副長はジッとオズを見つめた。
「……他に可能性があると言いたげですな?」
「まあね。僅かな、ほんの僅かな可能性だけど――」
オズはそう前置きしてから、いたずらっぽく笑って言った。
「――後継者が皇国の工作員とかどう?」
それを聞いたリセと副長は絶句し、それから一斉に反論した。
「それは飛躍し過ぎだろう!」
「ローレン夫人が工作員を後継者に選ぶ理由がありません!」
オズはへらへら笑って二人を押しとどめた。
「まあまあ。言ってみただけだよ。ほんとミリ単位の可能性の話さ」
リセが眉を顰めて首を横に振る。
「ありえない。可能性はゼロだ」
「いいや。ゼロってのは否定するね」
「根拠は? どうせ予言から連想しただけだろう?」
「予言と結びつけてるのはその通り。それが調査目的だからな。あとは公にできない素性不明の後継者のこと、ローレンの口から出た〝乗っ取り〟ってワード……それから、皇国の工作員が西方をうろついてると知ってるからだな」
「「!!」」
リセと副長が顔を見合わせる。
そしてリセが声を潜ませてオズに問うた。
「……オズ。それも得意の嘘か?」
「いいや。ガチだよ、りせちー。俺が剣王ロデリックの手引きをしたのは知っているよな? お尋ね者だった俺を剣王のところへ連れてった奴がいる。剣王とは旧知の間柄で、間違いなく王国騎士だ」
「王国騎士だという根拠は?」
「精霊術を使ったから魔導騎士。あと、皇国訛りがなかった」
「それだけ!?」
「まあまあ。結論から言うと、剣王には俺の手引きなんて必要なかった。でも剣王は、よく知らない王国の地で動くのが不安だったんだよ。だから手引きを欲しがった。剣王が欲しがったものを王国で調達できる魔導騎士。それって王国に潜入してる工作員だろ?」
副長が言う。
「そうでしょうか。単に、王国に詳しい皇国騎士である可能性もあるのでは」
「それはないぜ、副長さん。だったらそいつが剣王の手引きをすればいいんだよ。見ず知らずの俺なんかに頼るのはリスキーすぎる」
「それは! ……工作員は素性がバレることを恐れた?」
「おそらくそうだ。お国の英雄たる魔導八翼に付き従うことよりも優先すべき、何か重大な任務を抱えているのだと俺は思う」
オズの言葉を聞いた二人は、厳しい顔で黙り込んだ。
その様子を見てオズが言う。
「あれ? 脅しが過ぎたか?」
「別に怯んでいるわけではない! が……そいつを調べるほうが予言の調査より重要なのでは?」
「調べると言ったって俺は顔しか知らないぜ。何千人もいる王国騎士を片っ端から面通しするか?」
「それは……現実的ではないな」
「高位以上の貴族だったらお手上げさ。俺なんかじゃ会うこともできない。……話が逸れたな。次の調査に向かおうか」
「次の調査? 工作員は調べないのだろう?」
「開発領だよ。ここが乱の起こりの地だと仮定するなら……その火種が燻ってんのは、今まさに変化が起こってる場所だと思わないか?」





