321 ハングドマン▶▶オズ―下
落馬した騎士は生きていた。
怪我も重いものではなく、小隊長たちと自分の足で歩いて戻ってきた。
降伏すると見せかけて引きずり降ろされたのだそうで、その際に腕力を強化する上位術【獅子のルーン】が見えたとのことだった。
落馬した騎士が言う。
「【獅子のルーン】を使えるのは中核騎士相当。そんな危険な外道をみすみす逃がすなんて……くそ、やってしまった!」
小隊長がそれを否定する。
「お前のせいじゃない。外道は、いて一人だろうと勝手な読みをした俺のせいだ」
そして小隊長はオズを見た。
「お前が叫んでくれたおかげだ。だがなぜ、全員外道だとわかった?」
「いや? 確信はなかったっす」
「そうなのか?」
「予想っすね。最初に逃げた奴がパイセンを馬から引きずり降ろした。ってことはこいつはおそらく魔導持ち」
「まあそうだな。で、他の四人は?」
「外道一人と魔導なしのごろつき四人の組み合わせで、外道が真っ先にこっちから見える方向に逃げますかね?」
「……! たしかに、囮になるかのような逃げ方だった。ごろつきを囮にすることはあっても逆はない、か……!」
「男女二人連れで相手をかばって――とかならわかるんすけどね。五人連れで一人が外道なら、せめて後方に逃げなきゃおかしいっす。だから五人は高い確率で対等な間柄だろうと考えたっす」
「なるほど、な……」
「で。逃げた一人はどうします? このまま追いますか?」
「追いようがない。吹雪で視界を奪われて、どちらに逃げたかすら見えなかったからな」
「じゃ、こいつに聞いてみましょうか」
こいつとは、今も腰を抜かしたままの最後の賊だ。
オズは腰抜けの前にしゃがみ、目をぎらつかせて言った。
「当ててやろうか。お前は聖騎士だ」
腰抜けは驚いた顔をしたが、すぐに目で頷いた。
「こいつらの治療をしたいか?」
そう言って、オズが地面に倒れた三人を指差す。
腰抜けはすぐに首を横に振った。
「だよな、まず死んでるもんな。ってことは仲間意識はそれほどない?」
腰抜けの顔が曇った。
オズは仲間の亡骸を見つめる彼の目に、嫌悪感を感じ取った。
「あ~、嫌々ついてきたタイプ? じゃあ逃げたあいつの名前くらい教えてくれるよな?」
腰抜けはオズのこの言葉にも嫌悪感を浮かべた。
それを見てとったオズが言う。
「こいつらが嫌いだったんだろう? 品がなさそうだもんな、こいつら。でもあんたは違う。今でも騎士の品格を保ってる」
「……」
「これは裏切りなんかじゃねえ。生きるための選択だ。そう考えてはくれないか?」
「生きるため……?」
「そうだ。逃げた奴の名前を教えてくれれば、俺はあんたがこちらに剣を向けなかったと首吊り公に証言する」
「ッ!」
「生きる希望が湧いてきただろう? でも教えないならダメだ。お前も抵抗したと証言する」
「私は本当に剣は抜いていない!」
「関係ない。教えないってことはこいつらの仲間ってことだからな。かばい立てはできねえ」
「……ッ」
「そんなに悩む話か? 何をして外道に落ちぶれたか知らねえが、あんたは他の四人とは違う。根っからの悪人じゃあ、ない。気がついたら道を外れていただけで、自分の意志で道から逸れたわけじゃないんだろう?」
「……」
「それに、根っからの悪人じゃないとわかればヴラド公が後押ししてくれることもある。そうなれば騎士に戻る道だってあるんだぞ?」
「何をバカな……」
「本当さ。現に俺は王都守護騎士団を殺めた重罪人だ。当然手配されてるが、今こうして吊るし人にいる」
「嘘だ。騙そうとしてる」
「本当だって。ですよね?」
話を振られた小隊長たちは顔を見合わせ、それから四人同時に首を縦に振った。
それがあまりに正直な反応に見えたので、腰抜けはオズの話を信じたようだった。
彼は視線を落として言った。
「……ちょっと、考えさせてくれ」
オズたちは小休止がてら、彼に時間を与えることにした。
腰抜けに魔導鉱製の枷をつけ、彼を囲んだまま休憩する。
と、小隊長が言った。
「オズ。ちょっと来い」
そう言って小隊長が離れていくので、オズもそれに続いた。
腰抜けに声が聞こえない距離まで来て、オズが尋ねる。
「なんすか?」
「オズ。取り調べは我々の任務じゃない」
「ええ、まあ」
「失態は仕方ない。あいつを連れて帰ろう」
「ええと……小隊長は逃げた奴を捕まえて帰りたくないですか?」
「そりゃあ、もちろんだ。だが失態を取り返そうと闇雲に捜すことはしない。あいつを確実に連れ帰り、一刻も早く状況を報告すべきだ。お前はあいつらに別の拠点があって、それを吐かせようとしているのだろうが……その可能性は低い。ここいらは吊るし人が常に巡回しているからな」
「俺は別に拠点があるとは思ってないっす。聞きたいのは逃げた奴の名前だけっすね」
「名前だけ聞いてどうなる? 大声で呼んでみるのか?」
「俺は魔女騎士っす。首吊り公の鷹狩り、覚えてないっすか?」
「……あっ!」
ハッと何かを思い出した小隊長は、オズに顔を寄せて囁いた。
「【手紙鳥】で追うんだな?」
「はい。ギリギリ顔も見てるんで、名を知ればきちんと飛ぶと思うっす。偽名だと無理っすけど」
「なるほど、わかった」
小隊長とオズが戻ると、腰抜けは心を決めていて、すぐに逃げた外道の名前を吐いた。
オズは腰抜けが白状すると確信していた。
なぜなら彼のような臆病者は、仲間の命運より自分の命を大事にするに決まっているからだ。
同時に、嘘の名を吐いて撹乱する度胸もないと考えていた。
オズが聞いた名を宛先にして【手紙鳥】を飛ばすと、紙の鳥はまっすぐに目標の下へ導いてくれた。
小さな洞穴で身を潜めていた外道を捕らえ、オズの小隊は無事に任務を果たしたのだった。
そして――それから数日後。
オズは首吊り公に呼び出されて、城へ向かった。
「俺、何かしたっけ……。いつものことだが心当たりが多すぎてわかんねえ……」
通されたのは首吊り公の自室。
オズには初めての場所だ。
「失礼しまーす……」
恐る恐る入ると、部屋は廊下よりだいぶ暖かかった。
暖炉の火の前で、背もたれのない椅子に腰かけているロマンスグレーの髪の男――首吊り公は、書類に目を落としながらこちらに言った。
「……入れと言ったか?」
「えっ? あ、すいません。言ってないかもっす」
「かも?」
「言ってないです! すいません!」
「まったく……」
首吊り公が椅子の上でくるりとこちらに向き直る。
それを見て、オズは思った。
(俺なら暖炉の前は安楽椅子だが、そうじゃないのが公っぽいなあ)
(遊び好きだがムダ嫌い。きっと、だらけてる時間が嫌であの椅子なんだろう)
すると首吊り公の目がギョロッとオズを睨んだ。
「何を見ている?」
「いや! 公っぽい部屋だなあ、と!」
「そうか? ありがちな領主の部屋だが」
「じゃ、気のせいかもっす!」
「すぐかもと言うな」
「はい!」
姿勢を正し、次の言葉を待つオズ。
しかし、その言葉がなかなか来ない。
「……あの?」
「我慢がきかないな、オズモンド」
「ムダが嫌いなだけっす! 公と同じで!」
「ほう。私の性格を断じるか」
「いや、そんなことは! あの……俺、いびられてます?」
「その通りだ」
「ええ……」
「クク……用件はある。先日の賊の捕縛のことだ」
「ああ。……俺、何かやりましたか?」
「見事だった。お前の判断が小隊を救ったと聞いている」
「いや、そんなことは」
「外道というのは配下を持ちたがるものだ。元は貴族だからな、家来がいて当然という思考がある。お前の上司は、その固定観念もあって判断を誤ったと言っている」
「ああ……まあでも、実際珍しいっすよね。外道オンリーの徒党なんて」
「たしかに。だがこの冬はそのレアケースが増えそうだ」
「なぜです?」
「〝骨姫〟だよ」
「ロザリー?」
オズは宙を見つめ考え、すぐに結論を口にした。
「ロザリーが王都守護騎士団団長となった。あいつが精力的に狩りをするもんだから、恐れて西へ逃げる外道共が増えた?」
「うむ」
「そして賢い外道は、より安全に逃げるために大所帯は避け、外道だけでつるむのか」
「その通り」
首吊り公はニヤリと笑ってオズを指差した。
「呼び出した理由――実はもう一つある」
「そうなんすか?」
「お前の手配はなくなった」
「えっ! もうっすか! ありがとうございます!」
「私ではない。〝骨姫〟だ」
「あ……そうか、あいつ王都守護騎士団団長だから……」
「本来なら王宮審問官がゴネそうな案件だが、私の手紙もある。蒸し返されることもないだろう。晴れて自由の身だ」
「自由の身……」
オズは無意識に自分の両手のひらを見つめていた。
その手に枷がないことを確認したのか。
それとも血で汚れている幻想を見たのか。
オズは自分でもわからなかった。
「で。どうする?」
「どう、とは?」
「自由の身。吊るし人で匿う理由もなくなったわけだ」
「あ……」
「ミストラルに帰ってもよい、ということだ」
「……」
オズは再び両手を見つめ、それから言った。
「……もう少し。もう少しだけ、ここに置いてください」
「ほう。なぜだ?」
「今の俺は何者でもない。お尋ね者が無職の流れ者にクラスチェンジしただけっす」
「ふむ」
「ロザリーは騎士団長で、彼女に救われた俺はただのごくつぶし。こんなの嫌じゃないっすか」
「そうかもな」
「かもじゃない。そうなんす。自分に納得ができない」
「吊るし人にいても、何者かになれるとは限らんぞ?」
首吊り公が挑発するようにそう言うと、オズは目を据えてはっきりと言った。
「もちろんっす。でも俺はいつか、あんたを超える」
「……」
「……」
ぽかんとする首吊り公を、オズも無言で見つめ返す。
しばらくして、首吊り公が言った。
「……何だと?」
「えっ?」
「貴様、今なんと言った?」
「……あああ、つい本音が! ここは一つ、聞かなかったことに!」
「できるか! そんなことを面と向かって言った奴は、お前が初めてだ!」
「悪気はないんす! 信じてください!」
「別に怒っているわけではない! が――なぜそんな大それたことを思った?」
オズはもじもじしながら言った。
「いや、あの……俺、実は実習でレオニードの門に行ってるんす」
「ほう。ニド殿下の、とりわけ厳しい実習先だ」
「ええ。で、学園ではロザリーとつるんで。公がゲストで来た最終試練でも一緒に戦ったっす」
「そうだったな」
「で、西方に来て首吊り公とも出会った。あとグウィネスで金獅子コンプだなー、とか思ってたら……俺の公開裁判にグウィネス来たじゃないですか」
「ああ、来たな」
「で、思ったんす。うわー、金獅子コンプしたわ! 俺、金獅子越えられるわ! って」
「なぜそうなる……」
「そう思ったからっす。これはもう理屈じゃなく、そういうものなんす」
「まあ、そういった思い込みも時には重要ではあるが……」
「ですよね? ですよね? じゃ、さっきの失言は大目に……」
オズが腰を低くして頼み込むと、首吊り公は手でシッ、シッとオズを追い払うような仕草をした。
「すいませんでした! 失礼しました!」
「そうだ、オズモンド」
出ていこうとするオズの背に、首吊り公が言う。
オズはくるりと振り向き、できるだけ人受けのよい笑顔を浮かべた。
「はい。なんでしょう?」
「このあと、任務だな?」
「はい、城外巡視っす」
「ハンギングツリーを出たら、すぐに城壁を見ろ」
「……はい?」
「見ればわかる。行け」
「はい。失礼しました」
首を傾げながら首吊り公の部屋をあとにした。
オズは兵舎に戻り、いつものように小隊長たちと巡視任務へと出発した。
いつも通り民の視線を浴びながら市街地を通り過ぎ、馬に乗って城外へと出る。
そして首吊り公の言いつけを思い出し、振り返って城壁を見上げた。
「……あ」
城壁には吊るし首になった死体が五つ。
あの賊共だ。
その中に、オズが言葉巧みに誘導したあの腰抜けもいた。
首が伸び、だらしなく舌を垂らして吊るされている。
「――話が違う!」
そんなふうにオズに恨み言を言っているようにも見える。
上司を通して「彼は抵抗しなかった」と報告したはずだが、無駄だったようだ。
「そんな顔で見るなよ」
オズは込み上げてくる感情を、唾と共に地面へ吐き捨てた。
「現実は厳しいな、兄弟」
オズはそう言って前を向き、二度と腰抜けのことは思い出さなかった。





