311 影の報告―ヒューゴ
ややこしいので解説
【はぐれ騎士】
所属を持たない騎士。野良騎士とも。
【自由騎士】
自分の意志で主を持たない騎士。一般には国すら持たず放浪する騎士。
【外道騎士】
犯罪行為を生業とする騎士。
【モグリの騎士】
騎士章がない、社会的に騎士と認められていない者。騎士のフリをする者。
広い意味では外道も自由もはぐれ騎士である。
モグリはそもそも騎士ではない。
ロザリーがヒューゴを問いただす。
「――あなた、ネモより先に王都にいたの?」
「ギクッ」
「ギクッじゃないわよ。ヒューゴ、あなたネモを監視してたはずよね?」
「ン、まあ」
「先回りして戻ってただけ? それとも監視自体、してなかった?」
「あァ、ロザリー。ボクを信じ――」
「――だ~め! 今回はそれじゃ許さない。あなたに乗せられてネモを疑っちゃったんだから、きちんと説明しなさい!」
「ン……仕方ないネ……」
ヒューゴは諦めのため息をつき、語り出した。
「ネモが最後に言ったこと。覚えてるかい?」
「最後? 失礼する、だったかな」
「その前サ。彼は『常に俺を疑え。たとえ、それが徒労に終わるとしても』と言ッた」
「ええ、覚えてる。……彼、遠回しに『俺を信じろ』って言ってるよね?」
「そう。おそらく無意識にネ。前の失言からもわかることだが、彼って案外直情的――熱血漢なンだ。だが一方で、ボクがすぐに気配を見失うほどの凄腕の密偵でもある。この二つって、ボクの中で一人の人物像としてどうしても合致しないンだ」
「熱血漢の密偵……いかにもやらかしそうだもんね」
「実際やらかすンだよ、そんな密偵は。この不一致が、ボクにはどうしても気になった。このままネモの監視を続けても、彼の本質……真の姿とでもいうのかな、それが見えないままな気がした。だからボクはランスローまでは彼を尾行し、着いた時点で少しだけ気配を漏らし、そこから王都へとんぼ返りしたンだ」
「……気配を報せたのは、ヒューゴが監視を続けてると思わせるためね。王都では何を?」
「普通のことサ。ネモという男の素性を調べた。ただし、メインは裏取りだ」
「裏取り? そもそも密偵の素性って出任せばかりじゃないの?」
「そうでもない。これは王国で数年過ごしてわかったことだが……王国の魔導騎士は経歴を偽ることが非常に難しい時期がある――ソーサリエ在学時の経歴だ」
「え、そうなの?」
「まず、王国ではソーサリエを出ずに騎士となることが極めて困難だ。この文化は昔の獅子王が『貴賤問わず、すべての魔導者はソーサリエへ』と王命を出したことに始まり、後代の獅子王ができの悪い息子を勝手に騎士にしようとしたが重臣に糾弾されて阻止されたことにより、決定づけられた」
これにロザリーが頷く。
「ウィニィも真面目に寮生活してたもんね。寮は特別だったけど」
「王族でさえ従うのだから他の貴族家も従わざるを得ない。……ある子供を幼少期から密偵として育てたいと考えても、ソーサリエには行かせないとならないってことだ。でないと社会的に騎士と認められないモグリの騎士になってしまう。これは密偵として非常に使いにくい」
「モグリの騎士は王都守護騎士団でも摘発対象よ。それも外道騎士より厳しくあたる。国外の工作員である可能性もあるから」
「さっきネモが言ってた近衛騎士団の密偵たちも、ソーサリエの経歴は残っているはずだ。黄金城に出入りする以上、正当な騎士でなければ面倒事のタネになるからネ」
「で……ネモのソーサリエの経歴は?」
ロザリーが静かにそう問うと、ヒューゴは目を細めて言った。
「あったよ。卒業名簿にも名が記されていた。だが――誰も覚えていないンだ」
「……!」
「同期の騎士たち。担当したはずの教官。先輩、後輩……十人以上に話を聞いたが、誰一人としてネモを知らない。そんな奴はいないと断言する者までいた」
「ネモは……ソーサリエを出ていない?」
「そう、やはり出ていなかった。おそらくは王国の出ですらない。経歴を捏造したの十中八九、宮中伯だ。エイリス王はさっき話した王族の故事があるから密偵なんぞのためにリスクは冒さないし、宮中伯ならばこの手の操作はお手のものだろうから」
「やはりって……初めから疑っていたの?」
「初めから……名を聞いてから、が正しいかナ。彼の名、ネモという名前に疑いを抱いていた」
「……どういうこと?」
「ネモとは現代を生きる者にとって馴染みのない名前だ。でもボクが生きていた頃――五百年前の皇国では、ある状況に置かれた者がそう名付けられることがあった」
「ある状況……?」
ロザリーが首を捻りつつそう問うと、ヒューゴは短く答えた。
「記憶喪失者だ」
「!!」
「ネモとは古い皇国語で『誰でもない男』の意味を持つ。自分の名すら思い出せない者を、仮にそう名付けていたンだ。ネモが記憶を失っていると仮定すると、能力と人格の不一致にも納得がいく」
「……元々ネモは優れた密偵だったけど、何らかの理由で記憶を失い、今の性格になった?」
「そしてそのどこかで宮中伯に拾われた。宮中伯は見識のある人物だ。ネモという古い皇国語を知っていて、そう名付けたのだろう」
「……なんてこと」
「確たる証拠があるわけではない。すべてはボクの推測だ。……でも、ボクは腑に落ちた。ネモという男は純粋なンだ。汚れきった手を持ちながら、生まれたてのような純粋さを持ち合わせている」
そしてヒューゴはロザリーの目を真っ直ぐに見て、言った。
「ネモは信用できる。彼自身もキミに信用してほしいと思っている」
「……わかった。でも、もし記憶を取り戻したら?」
「それは気にしたって仕方ない。もしそうなったら信用できるできない以前に王国を離れるだろうし」
「ああ、そうか」
「で、ボクがネモを追求するよう、キミを仕向けた理由だけど――」
「――そうだ、それ! 信用できるのならおかしい!」
「おかしくはないンだよ。ネモがキミを裏切るとすれば、それは宮中伯にそう命じられた時なンだ」
「!」
「ネモは信用できる。だが一方で宮中伯の犬でもある。宮中伯が命じれば彼は従うだろう」
「犬だなんて、そんな言い方」
「他意はない。拾ってくれた主に恩義を尽くす。それを表現しただけだ。……だからボクは、キミに釘を刺してもらったわけ。どこまで刺さったかはわからないがネ」
「……結局、信用できるかどうかはコクトー様次第、ってこと?」
「そうなる。……キミは宮中伯をわりと信用してるね?」
「ん、まあまあ? あの人も曲がったことが嫌いな、真っ直ぐなタイプだなって」
「ボクはそうは思わないなァ。きっとキミは騙されているよ」
「へえ。私、どんなふうに騙されてるの?」
ロザリーが挑発するようにそう言うと、ヒューゴは口ごもった。
(コクトーは皇国のスパイだって教えてもいいンだが……)
(藪蛇な気もするンだよねェ)
(コクトーに皇国へ忠誠心があるのなら、白薔薇の娘を無碍にはしないだろうし……)
そうして長い沈黙の後、ヒューゴは言った。
「……ン~~、秘密!」
するとロザリーがデスクを叩いて叫んだ。
「言うと思った!」
「ええ? 何で怒るのサ?」
「最初にネモがここへ来たときもそうだったでしょ! 肝心なことはいつも私に言わないんだもん!」
「フッ、そうだっけ?」
「何その半笑い! あったまきた! もう、私も大事なことはヒューゴに言わないっ!」
「フフフ……へェ。キミも大事な秘密があるンだ?」
「……そりゃあるわよ」
「ほ~ゥ。それってボクも知らない?」
「当然でしょ。秘密なんだから」
「具体的には、どこ関係の秘密?」
「ひ、秘密だから言えないっ!」
「ククク……ロザリー、それじゃあこっちだって知りたいとも思わないよ。ボクを悔しがらせたいのなら、ボクに知りたいって思わせなきゃ」
するとロザリーは急に真面目な顔になった。
そして何かを思い出した様子で、ぼそりと言った。
「……あ。大事な秘密、あった」
「へええ? さぞかしボクが驚くような秘密なンだろうなあ!」
煽るヒューゴをじっと見て、それからロザリーは言った。
「いいわ。教えてあげる」
「ええっ! 本当に? いいのかい?」
「あなたがいない間。賊を討伐しに行ったときね?」
「うンうン、行ったらしいねェ!」
煽り続けるヒューゴに対し、ロザリーはたっぷりと間を取って、それから言った。
「赤目の知り合いに会ったわ」
ヒューゴは金縛りの呪詛罠でも踏んだかのごとく固まり、それから大声で驚愕を叫んだ。
「……ハアァッ!?!?」
「ふふ。やった、驚いた!」
「いや、ロザリー。嘘にもついていい嘘と、ついてはいけない嘘があって――」
「ごめん、ヒューゴ。これは嘘じゃないの」
「あ、わかった! バロールのことだネ? 彼は赤目に会ってる。ボクもさっき影に入って下僕になってることに気づいたよ、ある意味キミの影に住む同居人になったから――」
「違うの。バロールが死霊として出てこなきゃいけなくなった相手のことなの。私がやられかけたときに――」
「――ハアァ!?!? キミがやられかけた!? 誰だそいつは!?」
「ん~、誰かというと……」
「誰かというと?」
ロザリーはヒューゴの目をじっと見て、たっぷり間を取ってから言った。
「ひ・み・つ!」
「ちょっ、それはない、それはないぞロザリー! キミの命に関わることじゃないか!」
「そうだけど秘密! じゃ、ロロが待ってるから帰るね!」
「待ちたまえ、ロザリー!」
背中でヒューゴの焦る声を聞きながら、ロザリーはほくそ笑んだ。
(ヒューゴなら冷静に考えればわかることだし……)
(このくらいの仕返しは許されるよね?)
ロザリーはスキップを踏むような足取りで、団長室を後にしたのだった。





