310 影の報告―ネモ
――深夜。
王都守護騎士団本部、団長室。
報告者が扉を開くと、こちらに背を向けてロザリーが立っていた。
「……遅かったわね、ネモ」
報告者――ネモは、彼女の纏う不穏な空気にたじろいだ。
彼女は大魔導。
機嫌を悪くすれば、それだけで一流の騎士をも威圧する気配を放つ。
「遅れてすまない。実は――」
「――黄金城に行ってたのよね? 私に報告する前に」
なるほど、それが理由か。
ネモはそう納得し、素直に頷いた。
ロザリーが続ける。
「私があなたに命じたのは、ドルクを監視しつつ北ランスローへ侵入し、アーサー卿について調べること。なのに私へ報告する前に黄金城に立ち寄った理由を説明してくれる?」
「宮中伯には会っていない」
「ではなぜ黄金城へ?」
「……それについては任務の報告と共に説明したいのだが」
「いいわ。どうぞ」
ロザリーが椅子に腰かけ、デスクに両肘をついて構える。
ネモはその対面まで歩いていき、後ろで手を組んで報告を行った。
「ドルクとイングリッド――監視対象は二人だったが、尾行は難しくなかった。彼らは常に一頭の馬に二人乗りで移動していたからだ」
「ずっと一緒にいたわけね」
「ただし、それは移動中の話。俺は『ドルクに付け』と命令を受けたのでドルクに注意を払っていたのだが」
「ええ、そう命じたわ」
「おかしな動きがあったのはイングリッドのほうだった」
「! ……彼女は何を?」
「第三者に会った。ドルクの寝ている間に、こっそりと」
「……何者?」
「大街道沿いの馬宿でのことで、相手も旅人を装っていた。その時点では素性まではわからなかった。だが俺は、相手の顔に見覚えがあったんだ」
「……黄金城で見た覚えがある、と?」
ネモは頷いた。
「黄金城には常時多くの人間がいて、その顔ぶれも日々入れ替わる。だから俺も、おそらくは宮中伯すら完全には把握しきれていない。だが黄金城のどこかで見た。それは確かだった」
「……うん」
「イングリッドと第三者はすぐに別れたが、俺は第三者は追わなかった。俺が覚えているということは向こうも覚えている可能性があるし、監視対象はあくまでドルク。任務に忠実であるべきだと考えたからだ」
「正しいわ。でも、どこの誰と会ったか気になるわね……」
「それを今、調べてきた。堂々と黄金城にいたよ」
「もったいつけないで。誰だったの?」
「近衛騎士団の中核騎士だ」
「近衛騎士団!? ……意外だわ、近衛って家柄がよく見栄えのいい方ばかりだと思ってた」
「密偵のような汚れ仕事なんてしないように見えるかもな。だが少なくともエイリス王の治世においては近衛騎士団は〝王の手〟だ。彼らの団員名簿には実際の人数の半分しか名が記されない。理由はわかるか?」
「……その半分の団員は、汚れ仕事をやる前提で所属から伏せられているのね?」
「そういうことだ。推定になるが、俺が調べた中核騎士は連絡員で、イングリッドは近衛騎士団が〝遠吠え〟に潜入させた密偵ではないかと思う」
「近衛騎士団は〝王の手〟……陛下もアーサー卿を警戒している、ということ?」
「イングリッドを潜入させている理由については確信が持てない。お前が許可をくれれば知っていそうな人物に尋ねてくるが」
ロザリーはしばし考え、ネモに問うた。
「……それってコクトー様よね?」
ネモが頷く。
ロザリーは首を横に振って言った。
「嫌よ。コクトー様と会ったんじゃないかと疑って問い質してるのに、その矢先にコクトー様に会えとは命じたくないわ」
「クック、正直だな」
「だからそれは当面却下。……北ランスローで目立った動きは?」
「取り立てては。アーサー卿が帰城した途端、城勤めの女が複数人、行方不明になったくらいだな。後日、湖に焼死体となって浮かんでいるのが発見されたが」
「……やはり生かして帰すべきではなかったかしら」
「その後悔に意味はないぞ、スノウオウル。アーサー卿に限らず、権力者には往々にして見られる行動だ。誰もアーサー卿ほどオープンにやらないだけで」
「……励ましてるつもり? ますます嫌になるわ」
不機嫌な様子のロザリーにマズいと思ったのか、ネモはすぐに話題を変えた。
「ドルクについては真面目なものだった。帰った翌日には〝遠吠え〟のタガを締め直し、領内の巡視任務を行った。まるで『見てくれ! 真面目にやってるだろう?』とでも言っているようだったよ」
「監視に気づかれた?」
「それはない。だが……もしかするとイングリッドの監視には気づいているのかもしれない」
「そうか、そっちの線もあるのね。……次の潜入は、冬を越えて雪解けの頃になると思う」
「来年は大街道商路会議がある。それに合わせるわけだな?」
「ええ。ただ私、今度行われる皇国との会議に出席することになったから――」
ネモは珍しく目を剥いて驚いた。
「――休戦協定確認の会談か? なぜお前が」
「陛下の思し召しよ」
「そう、か……。大街道商路会議と時期が被るかもしれんな?」
「そうなの。だからそっちで動きがあっても、私はすぐに対応できないかもしれない」
「わかった、頭に入れておく。……報告については以上だ。日付と動きを記した詳細な報告書は後日、提出する」
「わかったわ」
「ではな。今日はさすがに疲れたから、帰って寝させてもらう」
「……ネモ。あなたって家、どこなの?」
「家があると言ったか?」
「じゃあどこに帰るの」
「帰るべき場所だ。宮中伯の寝室ではないぞ?」
ロザリーは苦笑した。
「バカね、早く帰りなさい」
ネモが薄く笑い、踵を返す。
彼の背中が見えたタイミングでロザリーが言った。
「……ネモ。疑ったことを謝罪するわ」
ネモは足を止め、振り返らずに言った。
「気にしなくていい。どうせ、あの人でなしの使い魔が告げ口したのだろう?」
ロザリーはふうっ、とため息をついてから、ネモのほうを見つめたまま言った。
「……ヒューゴ。言われてるよ?」
するとロザリーが座るデスク横の暗がりから、ヒューゴがズズッ、とせり上がってきた。
「人でなしとは心外だなァ。死人は人ではないとでも?」
ネモが向き直り、フン、と鼻で笑う。
「レイヴンマスター。黄金城で俺を監視していたな? 俺は宮中伯に会ったか?」
「……イイヤ」
ネモはひとつ頷き、ロザリーに向かって言った。
「スノウオウル。俺を疑ってかかることは極めて正しい。組織の頂点に立つ者は、よそから来た新入りの密偵など、断じて信じてはならない」
ネモがあまりに力強くそう言うので、ロザリーは素直に頷いてしまった。
ネモが続ける。
「常に俺を疑え。たとえ、それが徒労に終わるとしてもだ」
「……わかったわ。ありがとう、ネモ」
「失礼する」
ネモは扉を開け、その向こうに姿を消した。
数秒後、彼の気配も消える。
ロザリーは隣に立つヒューゴに尋ねた。
「ネモ、帰った?」
「あァ。もうどこにいるかわからない。近くにはいないネ」
ロザリーは団長椅子の背もたれに身を預け、ふう、と大きく息をついた。
「……ヒューゴ。あなたってネモに対抗心を持ってるの?」
「ヤダなぁ、なぜそんなこと言うのサ」
ロザリーは身を起こし、ヒューゴに向かって捲し立てた。
「だってあなたが言ったのはこうよ? 『ネモは王都に帰ったのに黄金城へ直行した!』『これは怪しい! 宮中伯に会うに違いない!』『ボクは追いかける! 追及する心積もりしといて!』。……あなたにこんなふうに言われたら、私は嫌でも身構えてしまうわ?」
ロザリーに責められ、ヒューゴは暗い表情で俯いた。
「すまない、悪意はなかったンだ」
「……ほんとに?」
「……ちょっとだけ」
「ほら、やっぱり!」
「イヤ、でも対抗心とかではないんだ。ネモが帰ってきたと思ったら黄金城に直行するものだから、宮中伯に会う可能性もあると本気で思っていた」
それを聞いたロザリーが固まる。
「……ちょっと待って」
「何?」
「『ネモが帰ってきたと思ったら』って言った? あなた先に王都にいたの?」
「ギクッ」
「ギクッじゃないわよ。ヒューゴ、あなたネモを監視してたはずよね?」
「ン、まあ」
「先回りして戻ってただけ? それとも監視自体、してなかった?」
「あァ、ロザリー。ボクを信じ――」
「――だ~め! 今回はそれじゃ許さない。あなたに乗せられてネモを疑っちゃったんだから、きちんと説明しなさい!」
「ン……仕方ないネ……」
ヒューゴは諦めのため息をつき、語り出した。





