305 魔城の宴―上
――グウィネスの城は鉄紺色の夜に禍々しく聳えている。
「……ロロ?」
城の門を前にしてロザリーが問うと、ロロは震えながらも唇をギュッと結んで頷いた。
「大丈夫です、っ」
城門を潜ると石畳の通路があり、その奥に城内への入り口が見えた。
扉は開け放たれている。
金髪の少年――ナルシスが過剰なほど恭しくロザリーたちを招き入れた。
「ささ。どうぞお入りくださいませ」
城内は美しく整えられていて、床には踏むのを躊躇うほど上質な、真っ赤なベルベットの絨毯が敷かれている。
廊下脇のところどころには、顔立ちの良い青年の使用人が静かに立っている。
ロロがこっそりと言った。
「……城内には年嵩の人もいるんですね。といっても二十才くらいでおじさんは見当たりませんけど」
「そうね。それに女性もいない」
「大魔導、色を好むってやつですかね?」
「……なにそれ。初めて聞いたんだけど」
「えっ? えっ? ほんとに聞いたことありませんか? 私が言い出したわけじゃないですよ?」
「別にそこは疑ってないわよ」
しばらく赤い絨毯の上を歩き、幾人かの使用人の横を通り過ぎると、広間の入り口らしき場所に辿り着いた。
ナルシスが脇に避けたので、ロザリーが広間に入っていいものか躊躇していると。
「おぉ! 〝骨姫〟!」
広間の入り口からグウィネスが出てきた。
いつかの隠者がごときローブ姿ではなく、艶やかな光沢のある黒のドレスだった。
ゲストを出迎える行動に加えドレス姿という予想外のことで、ロザリーはただ驚いてしまった。
間断を置かずグウィネスがロザリーに近寄り、手を握る。
「よく来てくれたの? 会いたかったぞ!」
「まあ。お世辞でも嬉しいですわ、グウィネス卿」
「何が世辞なものか! 会いたくて会いたくてつい、強引な誘いをかけてしまったのじゃ。この生っ白い肌が恋しくて、のぅ?」
「グウィネス卿こそ! お召し物も素敵ですが、あなた様の肌の輝きの前では添え物にしかなりません」
グウィネスを喜ばそうと思い口にしたが、少し大袈裟だったかもしれないとロザリーは言った直後に後悔した。
しかし、グウィネスは想像以上に喜んだ。
「アハハハハ! そちのほうが世辞がうまいの? 今宵は良い夜になりそうじゃ。ささやかな晩餐を用意した。口に合うとよいが……さ、供の方もどうぞ」
ロザリーとロロは顔を見合わせ、それからグウィネスの言に従った。
晩餐の舞台は、何年も何年も長い時間をかけて磨かれたであろう木製の長テーブルであった。
主人たるグウィネスが上座に座り、続く席にロザリー、末席にロロ。
一人一人の席の間は三メートル以上離れている。
ロロが席に着くなり、身を寄せてロザリーに囁いた。
「グウィネス卿って、けっこうなお年のはずですがお綺麗ですねぇ」
すると上座のグウィネスが言った。
「聞こえておるぞ。従者殿?」
「えっ、あっ!?」
「若さの秘密。知りたいのかえ?」
「と、とんだご無礼を!!」
ロロが立ち上がって深く頭を下げる。
それを見たあとで、席上のロザリーも頭を下げた。
「フフ……よい、よい」
晩餐が始まる。
給仕は使用人の青年たちが行うが、ロザリーだけはナルシスが担当した。
晩餐は目新しいメニューはないがどれも品がよく、王宮で出されてもおかしくない質の高さだった。
メインの肉料理が終わり、デザートを待つ間。
グウィネスが言う。
「口に合ったかの?」
ロザリーはナプキンで拭い、返事した。
「……いいえ。やはり人肉は口に合いませんわ」
「んべっ!?」
それを聞いたロロが、口に残っていた肉をまとめて吐き出した。
「べっ、べっ! ……何で言ってくれないんですか、ロザリーさん!」
「お行儀が悪いわね。ジョークよ、大魔女ーク。ほら、グウィネス卿も笑ってる」
ロロが見ると、グウィネスは口元を押さえ、おかしそうに笑っていた。
「ホホ……面白いことを言う」
「何だ、よかった」
その様子にロロがホッと安堵する。
が、ロザリーは鋭い目をグウィネスに向けた。
「でも。人肉を食べはするようですね?」
「!?」
驚くロロとは対照的に、グウィネスは否定せず、その瞳に好奇の色を浮かべている。
「……なぜそう思う?」
「永遠の若さなどあり得ない。魔導者は年より若く見える者も多いと聞きますが、あなたの若さはそんな範疇に留まっていない。若い娘を食らって、呪詛によって若さを保っていますね?」
ロロがハッと顔を強張らせる。
「ヴィルマ先生が仰ってた、人肉食を含む呪詛……!」
ロザリーがこくんと頷き、続ける。
「誰も年をとらない常世の楽園。そのカラクリは気づいてしまえば何のことはない、ここは養殖場なのですよね? 一定の年になると消費者たるあなたの下へ出荷されるから大人がいないというだけのこと。誰もそのことに気づかないのは、彼らに何らかの暗示をかけているからでしょうか」
グウィネスは笑った。
「フフフ……言うほど簡単ではないのだぞ? 減ったら増やさねばならぬし、そのためには種がいる。いかに妾でも男の運命を食らうことはできぬでな? 男はまっこと処理に困る……」
ちょうどグウィネスの前にデザートの皿を運んできた男性の使用人が、グウィネスに敵意を向けられてガタガタと震え出した。
グウィネスはそれをジッと見つめ、視線に晒された使用人は震える手で皿を置く。
その瞬間、銀の皿がカタッと鳴った。
「不調法者めが」
グウィネスがそう口にした瞬間、使用人は両手で己の喉を押さえて苦しみ出した。
みるみる間に顔が青ざめ、泡を吹いて倒れ、床でビクン、ビクンと痙攣する。
そして、やがて動かなくなった。
他の使用人が二人来て、慣れた様子で動かなくなった者を運んでいく。
ロザリーはグウィネスの行いに口を挟まず、静観していた。
彼女の一連の行動はロザリーの発言から始まっていたし、ここで非難すると荒事になると直感していたからだ。
しかし、急にロロが妙なことを言い出した。
「どっ、どっ、どっ!」
意味不明なことを言うロロに、ロザリーとグウィネスの視線が彼女へ向かう。
二人の大魔女の目に晒されたロロは、顔から汗を噴き出させながらグウィネスに問うた。
「どっ、どのようにして女の子をたべるのですか、っ!」
「……ロロったら。よく聞くわね、そんなこと?」
「だって! 気になるじゃないですか!」
「ククク……なぁるほど、〝骨姫〟がその者を供に置く理由がわかったわ。その疑問を問えるかどうかで魔女の真髄に触れるか否かが決まる。同時に悪しき魔女への入り口でもあるがのぅ? クックック……」
「わ、私は悪しき魔女になんかなりますんっ!」
「どっちなの?」
「ククク……では悪しき魔女の先達として一つだけ教えよう。若い娘なら誰でもいいわけでもない。味があるでの?」
「お、美味しくないとダメってことですか……?」
「無論、舌で感じる味ではないぞ?」
「味覚ではない、呪詛としての味……」
ロロはそれっきり黙り込んだ。
グウィネスの言葉の真意を考え込んでいるようだ。
「供――友か」
そんなロロを見て、グウィネスが言った。
「大事にすることだ。友とは得難き者。妾にはもう得られぬ者ゆえ、のぅ?」
「ええ、もちろん――」
――グウィネスがロザリーに笑いかけている。
その美貌がまるで、この瞬間に恋に落ちた少女のように瑞々しかったので、ロザリーは思わず見惚れた。
しかし、すぐに違和感に気づく。
(赤い瞳……赤目ッ!?)
グウィネスの瞳が妖しく赤く輝き、ロザリーは腕を上げて己の目を隠そうとした。
しかし、金縛りのようになって腕が上がらない。
(囚われ、た……!?)
「ロザリーさんっ!!」
背後からロロの叫び声が聞こえる。
術に抗い無理やりに、軋む窓を力づくで開けるように首を動かす。
それでも足りない分は瞳を目尻の奥まで動かして、やっと後方を見る。
すると。
「!!」
ロザリーの下へデザートを運んできていたナルシスが、目を剥き、鼻に皴を寄せ、口を歪に曲げ、禍々しい呪詛の気配を放つ刃を手に襲いかかってきていた。





