297 地下牢には影が多い
――王都守護騎士団本部、訓練場。
「槍、突けェ!」
「「セイヤァ!」」
「声が小さい!」
「「セイヤアアァァ!!」」
「! ……団長殿にィ、敬礼ィッ!」
教官役の団員に続き、訓練参加者たちが、訪れたロザリーに向かって敬礼する。
「っ、ほんとにロザリー様だ……」
「俺たちの団長殿……!」
訓練場の空気が緊張と興奮に包まれる。
ロザリーは後ろ手を組み、軽い足取りで教官役が立つ壇上に登った。
にこやかに笑っているが、その瞳が内包する魔導によって薄く紫に輝いている。
それは大魔導――絶対的強者の証に違いなく、団員たちは畏怖の念を抱かずにはいられなかった。
同時に、その畏怖の対象が自分たちの団長であるということで団員たちは誇りと安心感を抱いており、ロザリーはそれが少しだけ気に喰わなかった。
「ひとつ、問います」
ロザリーが言う。
「私が大貴族を捕えよと命じたら、あなたたちはどうしますか?」
「「捕らえますッ!!」」
「では大魔導を捕えよと命じたら?」
「「……? ……!?」」
答えに戸惑う団員たちにロザリーが言う。
「捕らえなさい。無理だと思うなら知恵を絞って捕らえる方法を考えなさい。私が大魔導を捕らえよと命じたとき、私自身は別の大魔導の相手をしていて手が回らなかったらどうします。そのときはあなたたちがやるしかないの」
横に立つ教官役が胸を反って叫ぶ。
「捕らえますッ!!」
「……本当に? では捕らえてみて」
ロザリーの魔導が沸き立つ。
紫の魔導に黒髪が踊り、紫眸が星のように輝く。
「う、あ、うっ……」
教官役は大いなる魔導に当てられ、後ずさりし、腰砕けになった。
その倒れる前にロザリーが背を支え、抱くようにして立たせた。
「あなたは勇敢ね。私の魔導に圧せられながらも、どうにか耐えようと気概を見せた。――これをあなたたち一人一人がやらねばならない」
教官役が一人で立っていられることを確認し、ロザリーは訓練参加者のほう、壇上ギリギリまで歩いていった。
そして叫ぶ。
「なぜなら我らは王都の盾! ミストラルに住む、すべての人々の盾なのだ! たとえ仲間が倒れても! 負けが濃厚な戦でも! 我々は身を挺して立ち続けねばならない!」
直後、ロザリーは覇気をすっかり消し去り、にこやかに笑った。
「だから訓練しましょう。ほんのわずかでも勝つ可能性を上げるために。いいわね?」
訓練参加者たちは反り返るほど胸を張り、唾を飛ばして返事をした。
「「了解であります! 団長殿!!」」
「よろしい。では教官殿。引き続き、よろしくね?」
「ハッ!!」
訓示を終えたロザリーが訓練場を去り、渡り廊下を歩いていく。
すると控えていた相談役のドゥカスがスッと現れて、並んで歩き出した。
「素晴らしい演説でございました、団長殿。これで団員たちもより一層、任務に邁進することでしょう」
ロザリーがジトッとドゥカスを見つめ返す。
「あなたがやれって言うからやったんじゃない。ユールモン邸の演説を聞いてない者も多いからって」
「そうでしたかな? ハハハ……」
「白々しい……」
「実際、自分の耳で聞いておらぬ者が多いのですよ。足元で聞いていたオパールなどは感動に打ち震えておりましたから、やはり直接聞かせてやってくださりませ」
「……演説ってやってるときはいいけど、後で恥ずかしくなるのよね」
「何を恥じることがございますか。もっともっとやるべきです!」
力強く断言するドゥカスを、ロザリーは上目遣いで見つめた。
「……嫌でございます。元団長殿」
「なっ、なんですか、その言い方は」
「だってドゥカス、敬語なら何でも言っていいと思ってる」
「そんなことは!」
「そうかしら。あなたって、団長だったときはもっと寡黙な印象だったけれど?」
「む、それは……正直、今のほうがかなりやりやすく感じております。団長向きの人間ではなかったのでしょうなあ」
ドゥカスがあまりにしみじみと言うので、ロザリーは笑ってしまった。
「……フ。あなた、それに気づくのに何年かかったの?」
「二十五年でございます」
「かかったわねぇ」
「それで、明日の予定なのですが――」
と、そのとき。
「だぁんちょう、どのぉ~!」
秘書官のロロが渡り廊下の向こう側から駆けてきた。
「どうしたの? っていうかロロ、あなたは団長殿呼ばわりやめてくれない? 何だかむず痒いわ」
「あ、私もです。やっぱりロザリーさんで?」
「そうして。で、用件は?」
「七番詰所のウォルター卿が面会を求めています」
「ウォルター? 所長昇格の件、嫌だったのかな……」
「その件ではなく。あ、ピート君も一緒です」
「まあ! 行くわ、団長室よね?」
「いえ、検査室へ通しました」
「……なぜ?」
「ちょっと複雑で……とりあえず、行きましょう」
検査室とは地下牢に入る囚人や、囚人に面会を希望する者が訪れたとき、その身元や持ち物を検査する部屋である。
地下への階段がある部屋に隣接していて、先日の先王弟ドロスのような特殊な例を除き、地下牢に入る前に必ず通される部屋であった。
「あっ! ロザリー!」
ロザリーが検査室に入ってすぐ、ピートが駆け寄ってきた。
小柄な彼はロザリーより背が低い。
「ピート! 良かった、顔の傷、消えたね?」
「うん、ギリギリ間に合ったって処置してくれた聖騎士が――っと、いけない。失礼しました、団長殿!」
「フフ。問題ないわ、ピーター卿」
そう言ってロザリーは敬礼を返し、ウォルターに目をやろうとして、他の人物がいることに気がついた。
「グレン! どうしているの?」
グレンは軽く手を挙げるが、どこか表情が暗い。
グレンに加えてウォルターと、さらにもう一人。
この人物は見覚えがない。
「説明しますね、ロザリーさん」
ロロが言う。
「こちらランスロー騎士団〝遠吠え〟のドルク卿です」
雷鳴の騎士ドルクが会釈する。
「ランスロー騎士団!?」
「ええ。ユールモンの件、事の起こりはピート君の拉致ですが、当初ランスロー公子が狙っていたのはグレン君です」
「ええ、それは聞いているわ」
「グレン君は同日に王都守護騎士団を辞めており不在で、グレン君をよく知る者として公子に呼び出されたのが上司のウォルター卿と同期のピート君であったと」
ロロの言を裏付けるように、ウォルターとピートが頷く。
「そこで公子が狙いを変えたことにより事件に繋がるわけですが……実際は、グレン君は辞めたばかりで七番詰所に挨拶に行くはずだったそうです。そこを公子の動きを察したドルク卿がグレン君に接触し、先に逃がしたのだと」
「まあ! そうなのですか、ドルク卿?」
ドルクが歩み出て、申し訳なさそうに話し出す。
「当家の跡取りの我儘で若きグレン卿が傷つくのは忍びなく、とはいえ主従の身、公子を無理やり止めることも叶わず……ならば逃がしてしまえ、そう愚考したのでございます。ですが結局は標的が変わっただけでピーター卿が……申し訳ない」
「この件について私個人がランスロー公子を許すことはありません。でも、あなたがやるべきことをやったのは理解しました。……それで?」
ロザリーがドルクに尋ねつつロロを見やると、彼女が話し出した。
「地下牢にいるイングリッド卿を解放してほしいそうです」
「ああ……彼女も〝遠吠え〟でしたか」
「はい。彼女もまた、私とは別の方法で止めようとした者です。アーサー様に寄り添いながら、重大な事案に至らぬように……それを誇る気はありませぬ、我ら二人は揃って失敗している。しかし、重い罪に問うことはどうかお許し願いたく……!」
次にウォルターが口を開いた。
「確かに彼女は最後の一線――斬り合いにならぬよう、振る舞っていたと認識しております」
「……そう。ドゥカスはどう考える?」
「ハ。ウォルターと同様の認識です。ただ、救う命の中にウォルターとピートは入っておりませんでしたし、ランスロー公子の誘拐を手助けしたことも事実です。あとは団長殿のお考え次第かと」
「そうね……」
ロザリーはしばし考え、それからドルクのほうを向いた。
「ドルク卿。ひとつ伺っても?」
「もちろんです」
「あなたはイングリッド卿と違い、明確に主の意向に背いている。そこまでしてグレンを助けたのは、本当に彼が不憫であるという理由からですか?」
「ええ、前言の通りですが」
「でも、グレンは雛鳥です。多くの魔導騎士は雛鳥というだけで彼を見下す。何の関わりも持たないあなたが、そこまでして雛鳥を救出したことに違和感があります」
ロザリーに問われ、ドルクは顎に手を置き、考える。
そして、片眉を上げて問い返した。
「……ふむ。実は私はアーサー様の命を受け、グレン卿を誘拐しようと企んでいた……そのようにお考えで?」
「その可能性もあります。でも何より、あなたが事前にグレンを知っていたような気がするの」
「大魔導の勘、ですか?」
「ええ、勘です。でも確信に近い」
ドルクは薄く笑い、フーッと長いため息をついた。
「……正直に申しましょう」
「ええ」
「ロザリー卿の勘は残念ながら外れております」
「まあ。本当?」
「はい。私はグレン卿と関わりがないどころか、その時まで彼のことはまったく知らなかったのです。ロザリー卿の友であり、それで狙われたということだけ」
「……なるほど。グレンが雛鳥であることも知らなかったと」
「その通りです。疑いは解けましたか?」
「ええ。……イングリッド卿を解放します」
「おお! ありがたい、さすがは若くして王都守護騎士団の頂に立つお方だ!」
「参りましょう、地下牢へ」
ロザリーを先頭に、一行が地下牢へ下りていく。
手前の牢に囚われていたアーサーの手勢たちが、ドルクの姿を見てざわめく。
ロザリーはそんな彼らを無視して、その奥にあるイングリッドの牢へ向かった。
イングリッドは姿勢よく、静かに座っていた。
「イングリッド卿。あなたを解放します」
ロザリーが告げると、牢番の騎士が鍵束をガチャガチャと鳴らし、それから牢の扉を開けた。
イングリッドはふらっと立ち上がり、ロザリーに一礼してから牢の扉を潜った。
「……すまない、ドルク」
「いいや」
すると手勢たちが隣の牢で騒ぎ始めた。
「おいおい! 姉ちゃんだけかよ!」
「頼むって、ドルクの旦那!」
「こっちも出せよ!」
しかしドルクは素知らぬ顔。
ついロザリーから尋ねてしまった。
「彼らはいいの?」
「ええ。結構です」
「冷たいのね?」
するとドルクが困り顔で言った。
「奴らの存在がアーサー様の気を大きくしている部分もあるのです」
「ああ、なるほど」
次にドルクはグレンに向けて手を差し出した。
「グレン。俺はここまでだ」
「そうか。ありがとな、ドルク」
「いいや。気にするな」
二人はしっかと握手し、抱き合った。
「ロロ。皆さんをお送りして」
「かしこまりました」
ロロを先頭に一行が地下牢を出ていく。
ドルク、イングリッド、グレン。そしてウォルターとピートが続き、地下牢にドゥカスと二人きりになったとき。
ドゥカスが声を潜めてロザリーに尋ねた。
「イングリッドの解放は、どうせ扱いに困っていたからよいとして……ドルクという男。追求を止めてよろしかったので?」
「よろしくはないわ。何か隠してる」
「はい。私もそのように思います」
「ただ……ネモと同じ感じがしたのよね」
「ネモ殿と?」
「ええ。言わないと決めたら死んでも言わない、目的のためなら喜んで殉じる男。その目的が何なのか、わからないけれど」
「仕える主家のためでは?」
「アーサーのために殉じる男がグレンを助けるかしら。……そうだ。ネモ、いる?」
すると誰もいなかった地下牢の奥から、音もなくネモが姿を現した。
「あなたってほんとヒューゴみたいよね」
「冗談はよせ。あんな化け物じゃない」
「初仕事を命じる。ドルクとイングリッドを追って北ランスローに入り、アーサーの様子を見てきて」
「……軽く言うが、なかなか難易度が高いぞ?」
「そう? じゃあアーサーへの探り自体は疎かでもいい」
「……なるほど。これから何度も探るための道作りをしてこいと」
「その通り。見つからないことが最優先よ」
「わかった」
そう言うと、ネモは気配ごと姿をくらませた。





