30 葬魔灯、再び―2
グンターは、報告された非常事態を自分の目で確かめることにした。
まず頭以外の兵卒には、その場に待機を命じた。
それから頭に先導させ、次にグンター、その後に若騎士二人が続く。
茂みの中、腰を屈め、音を立てないように注意しながら。
やがて頭の足が止まり、草と枝葉の隙間から場所を指さす。
「あれを」
そこはまさに、グンター一行が向かっていた洞窟の入り口だった。
非常事態の内容は、若騎士たちにもひと目でわかった。
「どこの騎士団ッスか、あれ!」
「なんでこんな国の端っこに、こんなに人が」
そこには武装した人間が多数、ひしめいていた。
全容は把握できないが、十や二十ではない。
何百か、それ以上。
グンターたちから見れば、大軍勢といって差し支えないものだった。
砦長の忠告が頭をよぎる。
「……外れてくれればいいものを」
そう呟いてから、グンターは頭に小声で尋ねた。
「何人いる?」
「掴みで三千。すべてが魔導騎士とは思いませんが、相当数いるでしょう」
「我が国の騎士団には見えないが」
「洞窟を抜けてきたと考えれば、ハイランドの向こうのどこかでしょうな」
「抜けられるのか?」
「さて。ここに大部隊がいるというのがその証左に思えますが」
グンターが「確かに」と頷く。
「よく訓練されているな。これだけいて騒がない」
「同感ですな。作戦を帯びた精鋭部隊に見えます」
グンターは腰を落とし、三人を手招きした。
四人が顔を寄せ合う。
「命令を伝える。頭は部下と合流し、砦に戻れ。砦長の魔女術で王都に報せよ」
頭は頷き、「小隊長は?」と尋ねた。
「私たちは援軍が来るまでここで監視を続ける」
頭がもう一度頷く。
「行け」
頭はくるりと身を翻し、草むらに消えた。
グンターは腰を浮かせ、再び正体不明の部隊に目を向けた。
時が過ぎて日が傾き、夕日が洞窟を照らし始めた頃。
「……援軍、いつ来ますかね」
そう尋ねたのはノーラ。
彼女もまた、草陰から部隊を睨んでいる。
グンターは短く答えた。
「援軍は来ない」
ノーラが眉を寄せてこちらを見る。
「は?」
「だから、私たちが伝えなければならない」
「仰る意味がわかりません、小隊長」
「じきにわかる」
不審がるノーラに一度だけ目配せして、グンターはまた部隊に目を向けた。
すると、ネルコがボソッと呟いた。
「……やっぱりそうだ」
「何がだ、ネルコ?」
「馬の鐙ッス」
「鐙?」
グンターは騎馬を探し、騎乗するために足をかける鐙に注目した。
「……変わった形をしているな」
「あれはハイランドの向こう側――草原の民が使うやつッス。子供のときは鐙無しで乗るんスけど、弓を許される年になったらあの鐙を与えられるんス。成人の証みたいなもんで、彫刻とかスゲー凝るんス」
「ほぉ。よく知ってるな」
「俺の親父がその辺の馬装とか趣味で集めてるんで。ロマンがどうとか……ま、俺にはわかんねーッスけど」
「草原の民か。どこの部族だろうか……」
グンターが呻くように言うと、ネルコがあっけなく答えた。
「アトルシャン公国ッスね。部族というか国ッスけど」
「なぜわかる」
「草原の民の鐙は、たいてい馬か鷲を彫刻するんス。それが彼らを象徴するものだから。数少ない例外の一つがアトルシャンの犬の彫刻ッス」
「……たしかにどの馬の鐙も、犬の彫刻だな」
「まず間違いないッス」
グンターは手を伸ばし、ネルコの頭をガシガシと乱暴に撫でた。
「お手柄だ、ネルコ」
「へへ、あざーす」
照れ笑いするネルコに、父親のような顔で笑うグンター。
と、そのとき。
部隊に動きがあった。
内容は聞き取れないが報告と命令が飛び交い、兵が慌ただしく動いている。
「何かあったんスかね」
「移動するみたい。どこへ向かうんでしょう」
するとグンターは、自分の装備の点検を始めた。
「えと、どうしたんスか、小隊長?」
ネルコがそう尋ねると、グンターは手を止めることなく答えた。
「頭たちが見つかったんだ。私たちも動くぞ、準備しろ」
ノーラは命令通りすぐに準備を始めたが、ネルコは凍りついたように動かなかった。
「どうした、ネルコ。早くしろ。魔導充填薬は持っているか? 取り出しやすくしておけ、命綱になる」
「たっ、助けに行くんスか? あの大軍相手に三人ぽっちで? 自殺行為ッスよ!」
そんなネルコを、ノーラが鼻で笑う。
「何を怖気づいてるのよ、ネルコ。草原の田舎者なんて恐るるに足りないわ。どうせ騎士の数も知れてる。奇襲をかければ十分に勝機はあるわ」
しかし、グンターは首を横に振った。
「いいや、助けにはいかない。王都へ向かう」
今度はノーラが動きを止める。
「見捨てるのですか?」
「そうだ」
「頭たちは、小隊長の命令で危機に陥ってるのですよ!?」
「そうだな」
グンターの平然とした態度に、ノーラが眉を寄せる。
「……まさか。彼らを囮にした?」
グンターはあっさりと認めた。
「その通りだ」
ノーラは目を見開いて、グンターの胸ぐらを掴んだ。
ネルコが割って入る。
「よっ、よせ、ノーラ! 反逆罪になっちまうぞ!」
しかしノーラは聞く耳を持たない。
グンターに対して非難の言葉を連ねる。
「あなた……っ、それでも指揮官!? 見損ないました! こんな奴を尊敬してた自分がバカみたい!」
「だから離れろってノーラ……力強いな!」
「私は誇り高き騎士です! 魔導のない兵卒を捨て石にして逃げたりはしません! それが命令であっても!」
正義感に燃えるノーラに、グンターはぽつりと言った。
「私たちもだ」
「はあ!? 何を言って――」
「私たち自身も囮だ」
ノーラとネルコは顔を見合わせ、それからグンターを見つめた。
グンターはノーラの手を解き、襟を正す。
「私たちはこれから、三手に分かれて王都へ向かう。目的はこの事態を王都へ報せること。誰か一人の報せが届けばいい、残り二人は囮だ。仲間の悲鳴が聞こえても、決して振り返るな。ただ前へ進め。自分が敵に捕捉された場合は、できるだけ時間を稼げ。その分だけ、仲間が先に進める」
若騎士二人もようやく事態の深刻さを理解したのか、引きつった顔で頷く。
「ネルコはまっすぐ北へ向かえ。刻印騎士のお前なら、一晩走ればロスコー男爵領に着くはずだ。この事態を男爵に伝えたら、その足で王都へ走れ」
ネルコは小刻みに震えながら頷く。
「ノーラは北東だ。いつも薬品類を調達する村、わかるな? 小さな村だが魔導院の魔女騎士小隊が駐屯している。魔女術で王都に連絡してもらい、それから王都へ。街道には出るなよ、ネルコが使う。お前は迂回路を行け」
ノーラは神妙な面持ちで頷いて、「小隊長は?」と尋ねた。
「私は北西だ」
グンターたちの拠点である砦がここから西。
頭たちがいて、それを追う敵部隊が向かうのも西。
グンターの行く方角が最も危険であることは、若騎士二人もすぐにわかった。
「よし。行くか」
グンターが立ち上がると、二人も続いた。
「でも――」
ネルコが一度口ごもってから、言葉を継いだ。
「――三人揃って王都に着いちゃうかもしれないッスよね?」
敵は精鋭だ、それは厳しい、と喉まで出かかったが、グンターはその言葉を飲み込んだ。
「かもしれんな」
「そうなったら三人で飲みましょうよ、小隊長の奢りで! 俺、良い店知ってるんスよ!」
「ダメよ、ネルコ」
「なんでだよ、ノーラ」
「先にクリスを見に行くの」
「ああ! 確かにそれが先だな」
「いいですよね、小隊長?」
グンターは腕組みして、空を見つめていた。
そうしたまま、呟く。
「こうなるともう、クリスで決まりか」
若騎士たちは顔を見合わせ、顔をほころばせた。
「やった! 俺たち名付け親だ!」
「言いましたからね、小隊長!」
「ああ」
そうして、三人は向かい合って立った。
いずれも覚悟を決めた顔をしている。
「二人とも、武運を祈る」
「小隊長の部下になれて光栄でした」
「それじゃ今生の別れみたいだぜ、ノーラ」
「そうね、ネルコ。では、王都で!」
「ああ!」
「王都で!」
三人は背を向けあい、それぞれの道へ走り出した。
グンターが北西に走り始めてしばらくして。
日はとっぷりと暮れ、森を暗闇が支配している。
走りにくいが、逃げるには好都合。
危機的状況がそうさせているのか、グンターの肉体は数年ぶりの好調さだった。
「このぶんなら、本当に逃げおおせてしまうかもしれないな」
背後に追手の気配はない。
グンターは頭の次の囮は自分だと決めていたので、具体的な目的地を決めていなかった。
「わざわざ分散したのに砦に戻るのは悪手か。魔導が枯渇する前にたどり着ける村は……いや待て、魔導充填薬が三本ある。あと一時間走って追手がかからないなら、そこからまっすぐ王都を目指しても――」
瞬間、視界の左端に明かりがチラついた。
足を止めてそちらを凝視すると、幾人もの気配と松明が見える。
「頭たちにかかった追手か?」
百人はいる。
明かりの群れは人魂のように彷徨い、草むらがあちこちで揺れている。
「頭たちを見失ったのか? ……いや、生き残りを探しているんだ」
グンターは後ろを振り返った。
依然として追手はなく、森は静か。
「こいつらを釣れば、アトルシャン部隊全体をこちらに引っ張れるか?」
それは部下二人の生存率が上がることを意味する。
グンターに迷いはなかった。
「光あれ!」
グンターの左手にまばゆい光が宿る。
彼はそれを敵部隊に向かって大きく振った。
「こっちだ! ここにいるぞ!」
敵部隊と距離があるせいか、気づく気配がない。
「何をぼんやりしてる、お前らは精鋭だろう? 気づけ、こっちだ!」
グンターは光を振り、声を張り上げた。
すると、次第に散らばっていた明かりが集まり始めた。
「そうだ! 俺はここだ! 指揮官に報告を忘れるなよ!」
敵は気づいてからは素早かった。
暗闇に蠢く敵の列が、おぞましい虫の大軍が押し寄せてくるように感じる。
「よし」
グンターは敵に背を向けて、再び走り始めた。
「ついてこい、ついてこい!」
グンターは内心、怯えていた。
彼は戦を経験したことはない。
賊の討伐がせいぜいだ。
当然、こんな大勢の敵に追われるのは初めてのことだ。
それでも自己犠牲的行動に出たのは、若い後輩たちのために他ならない。
「あの二人は見どころがある。ノーラの情熱も、ネルコの知識と臆病さも、指揮官には大事な資質だ。……生き残ってくれ!」
そう、願いを口にした直後だった。
右後方、遠くから地面を揺るがす轟音がとどろいた。
思わずグンターが振り返る。
洞窟からまっすぐ北に行った方角だ。
「まさか……ネルコ!?」
考える暇はなかった。
背後に迫る大軍の気配が、グンターを前へ走らせる。
そして、数分が過ぎて。
「ッ!!」
再びの轟音。
今度は先ほどよりずっと遠く。はるか東の方角からだった。
「ノーラ……っ!」
それを合図にして、背後の部隊の進軍速度が上がった。
じりじりとグンターに迫る。
もはや敵兵の人相がわかる距離。
「……クソッ。クソッ、クソーッ!!」
グンターは意を決した。
急停止のちに反転し、剣を抜き放つ。
追いついてきた敵部隊は、そのまま襲いかかってはこなかった。
左右に分かれ、グンターを厚く包囲する。
四方を睨みつけ、グンターが叫んだ。
「道連れになりたい者はかかってこい!」
敵は動かなかった。
といってもグンターの覇気に押された、という様子でもない。
冷静で、余裕さえ窺える顔つきばかり。
(……こいつら、何かを待ってる?)
その瞬間。
訝るグンターの鼻に、強烈な獣臭が漂ってきた。
こんな時でなければ、反射的に顔を背けるほどの悪臭だ。
「っ、どこから……!?」
熱く激していたグンターの背中に、氷のような冷たい汗が落ちる。
ハッ、とグンターは上を見上げた。
それは黒く、巨大な獣であった。
よだれを垂らし、牙を剥いて見下ろしている。
「うっ!? ぐあああっ!」
グンターは腹に喰いつかれた。
そのまま宙に持ち上げられ、肉に牙を立てられる。
ブチブチと臓物が食い破られる感触が、魂を重ねるロザリーにも伝わる。
(う、ぐぐぐうぅぅ)
やがてぶつりと両断されたグンターは、それでも生きていた。
宙から落ちるグンターは愛しい人の名を呼んだ。
次に守ってやれなかったノーラ、ネルコ。
そして最後に、まだ見ぬ我が子。
「クリ、ス……」
ゴッ! と落下の衝撃が頭蓋骨に響き、ロザリーの意識は真っ黒に染まった。