3 葬魔灯―1
ロザリーは目を開けた。
目の前に広がるのは、廃墟と化した街。
一面が焼け焦げていて、あちらこちらでまだ炎が燻っている。
動くものは、ない。
(これって……戦争?)
ロザリーはショックを受けながらも、惨状を食い入るように見つめていた。
そこへ、蹄の音が響いてくる。
蹄の音は何十と重なり、やがて騎馬の一団が見えてきた。
(どうしよう! 隠れる?)
ロザリーが迷っていると、足が勝手に騎馬の一団のほうに向かって歩き出した。
まるで吸い寄せられるように。
(え、なんで!?)
ロザリーの意思を無視して、身体はさらに騎馬の一団へと向かう。
地面の揺れを感じるほど騎馬が間近に迫っても、歩みは止まらない。
(うああっ、ぶつかるっ!)
目を閉じたいのに、それさえもできない。
もう目と鼻の先、というところで騎馬の一団が二つに割れた。
紙一重でロザリーを避け、彼女の両側をすり抜けていく。
通り過ぎた一団は、しばらく行って止まった。
「生き残りがいたか」
馬首を返した最後尾の騎士が言う。
「女か?」
とは、別の騎士。
「怪しいぞ。生き残れるわけがない」
と、さらに別の騎士。
騎士たちの気の高ぶりようは顕著で、何事もなく終わりそうにない。
と、そのとき。
「ねえ」
ロザリーの口から声が漏れた。
それは艶めかしい大人の女性の声色で、幼いロザリーのものとは似ても似つかない声だった。
(わたしじゃない!? なに、この声!?)
ロザリーの戸惑いを無視するように、口がひとりでに語る。
「寒いの。温めて?」
そしてロザリーは意識なく、フードのついたマントをはらりと脱ぎ捨てた。
「やはり女か」
(えっ? これ……)
視界の端に映った自分の肉体に、ロザリーは唖然とした。
豊かな乳房に、腰の曲線。
浮き出た肋骨にかかる、赤い巻き毛。
それは成熟した女性の身体で、明らかにロザリーのものではなかった。
騎士が一騎、こちらに駆けてきた。
「怪しい奴め」
馬上からロザリーに槍を突きつける。
そのとき、一団のほうから野太い声が響いてきた。
「待て」
声の主は巨体の騎士だった。
巨体の騎士は馬を下り、兜を脱ぎ捨てた。
そして鎧の留め金を外しながら、大股でこちらに歩いてくる。
「隊長。――任務中ですぞ」
槍を突き付けている騎士が諫めるが、巨体の騎士の目にはロザリーの肢体しか映っていない。
「お前たちにも回してやる。俺の後でな」
そしてロザリーを目の前にして、舌なめずりをした。
「もっとも、俺の後では使い物にならないかもしれんが」
そして腰を曲げ、ロザリーの尻を乱暴に掴む。
(ひっ!?)
ロザリーの内心とは裏腹に、顔が笑う。
「せっかちね」
「ぬかせ、淫売」
「たくましい人、好きよ?」
ロザリーは巨体の騎士の首に手を回し、豊かな胸元へ抱き寄せた。
その瞬間。
ロザリーの体の内が、燃えるように熱くなった。
血が滾る。
力が漲る。
何かが血管を通り、体中の細胞を覚醒させていく。
抱きしめる屈強な騎士の肉体も、もはや紙細工程度にしか感じない。
「っ? だっ、ぎいっ!? あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
ベキッ。ボキッ。
巨体の騎士の体内から、筋が断ち切れ、骨が砕ける音が響いた。
やがて巨体の騎士を小さく折り畳んだロザリーは、それを無造作に投げ捨てた。
「き、貴様……!」
最初に駆けてきた騎士は呻くようにそう言い、再び槍を突きつけた。
目の前で止まった槍の穂先に女性の顔が映る。
十七、八才くらいの、魅惑的な赤毛の女性の顔。
しかし、次の瞬間。
その顔がドロリと溶けた。
「な……ッ!?」
戦慄する騎士の前で、ロザリーが変貌する。
顔だけでなく全身の肉が波打ち、溶け落ちていく。
地に落ちた肉はヘドロのように地面に積み重なり、白い煙を上げながら腐臭を放った。
肉を脱いで現れ出たのは、男性の筋張った裸体だった。
(この人!)
再び槍の穂先に映ったのは、黒髪に白肌の紫眸の男性。
ロザリーが先ほど見た騎士――ヒューゴであった。
ロザリーは驚きと共に、状況を理解していく。
(この人はヒューゴ……)
(私はヒューゴになってるんだ……)
刃に映ったロザリー――ヒューゴは、ただ妖しく微笑んでいる。
「腐肉使い……?」
騎士の一団の中から声が上がった。
その騎士は震える指先でヒューゴを指差した。
「黒髪に生白い肌! 紫の瞳! こいつは〝腐肉使い〟ヒューゴ=レイヴンマスターだ!」
騎士たちの目が、恐怖を孕んでヒューゴへと向かう。
「いかにもその通り」
ヒューゴはニタリと笑った。
多くの騎士が怯えて固まる中、槍を突き付けていた騎士が動いた。
奥歯を噛みしめて、槍を引き絞る。
「うおおおッ!」
ヒューゴを貫かんと迫る槍との隙間に、ヒューゴは右手を滑りこませた。
槍の穂先を、親指と人差し指でつまむように止める。
「~~ッ!」
掴まれた槍の制御を取り戻そうと、騎士が力いっぱい両手を動かす。
だが刃先はピタリと止まって動かない。
ヒューゴが騎士に告げる。
「君はなかなか良い騎士だよ。判断が早いし、覚悟もある。だが、僕を討つにはだいぶ足りない」
槍の穂先がパキリと圧し折れる。
次の瞬間、折れた穂先は騎士の眉間に突き刺さっていた。
「あるぇっ?」
少し間抜けな声を上げて、騎士は馬から崩れ落ちた。
騎士の一団は仲間を殺されたことで、ようやく戦意を取り戻した。
馬を盛んに動かし、それぞれが得物を抜き放つ。
「地獄に落ちろ! 化け物め!」
ヒューゴの眉がピクンと跳ねる。
「……地獄、だと?」
戦火の残り火が、ヒューゴの影を照らし出す。
彼の影は不気味に揺らめき、瞬く間に広がっていく。
「地獄はここだ! この世界こそが地獄だ!」
その叫びに呼応して、影がぐらぐらと煮え立った。
影から次々にあぶくが上がり、そのあぶくから次々に、干からびた亡者共――死霊が生まれていく。
亡者共の落ち窪んだ目が、騎士たちを捉える。
獲物に群がる蟻のように這いずり、群れを成して騎士たちへ押し寄せた。
馬は暴れ、騎士たちは抗うが、何の意味もなさない。
蹄に踏み抜かれようと、槍で貫かれようと、その何十倍もの亡者が絡みつき、影の下へ引きずり込んでいく。
ただ、騎士たちの悲鳴と、亡者共の呻き声を残して。
騎士をあらかた飲み込むと、影は萎み、元の人影となった。
「う、あ……」
一人、生き残りがいた。
ヒューゴは先ほど脱いだマントを拾い上げ、身にまとってからその騎士に近づいていく。
それに気づいた騎士は、額を地面に擦りつけ、両手を頭の上で擦り合わせ、命乞いした。
「た、たすけ……命ばかりは……」
「鈍いな。そのつもりだから君だけ残したんだよ」
「……助けてくれるのか?」
「君の態度次第だ」
「なんでも、なんでもする!」
ヒューゴは騎士を見下ろし、詰問した。
「〝火炙り公〟ガレス=ユールモンはどこにいる? この街を焼いた、お前たちの主人だ」
騎士が口ごもる。
「知らないならそれでもいい。仲間の元へ逝きたまえ」
「ま、待て! 知ってる!」
「ほーう。それでは教えてくれ。ガレスはどこだ?」
「それ、は」
「それは?」
「――お前が知っても意味ないよ」
騎士の言葉に、ヒューゴは耳を疑った。
「何を言う?」
「死にゆくお前がそんな些事を気にしても仕方なかろう」
騎士の口調がまるで変わった。
つい先ほどまで濡れネズミのように震えていたのに、今はまるで落ち着き払った貴人のような話し方。
姿勢は土下座のままだから、異様な気配を放っている。
「……何者だ」
ヒューゴにはこの騎士が強者には見えなかった。
だからこそこいつを生かしたし、今も弱者にしか見えない。
しかし。
騎士は質問に答えない。
「罠だとは思わなかったのか?」
いつの間にか、声色までも変わっている。
「勝利を確信したとき、敗北が顔を覗かせる」
気配に圧され、ヒューゴが一歩下がる。
「狩りを楽しんでいたつもりが、その行為もより壮大な狩りの一部だった。そう気づかないか?」
騎士が顔を上げた。
その嗤って歪む両目は、白目部分までも真っ赤に染まっていた。