296 宮中伯の餞別
「――ここなんてどうでしょう、ロザリーさん?」
「どうかな……マントめくったら即バレじゃない?」
「ですねぇ。しかし、ではどこにすれば……」
「どこでもいいって思ってたけど、いざ隠すとなると案外困るものね」
王都守護騎士団本部、団長室。
ロザリーとロロが二人して、何やらコソコソと相談している。
と、そこへ。
「お二人で何の相談ですかな?」
「「ひゃっ!?」」
二人が揃って飛び跳ねて、ゆっくりと振り返る。
そこには前団長、現相談役のドゥカスが立っていた。
「ドゥカス様! ノックぐらいしてくださいよぅ!」
「しましたぞ、ロロ嬢。何やら密談に夢中で気づかなかったようですが」
「み、密談なんてしてませんよ! ごにょごにょ……」
「ねぇ、ロロ。ドゥカスには言っていいんじゃない? 秘密にしてると困ることありそうだし」
「ん~、まあそうですが。せっかくの二人だけの秘密がごにょごにょ……」
「何の相談でも受けますぞ。相談役ですからな?」
ロザリーはロロとの相談内容をドゥカスに打ち明けることにした。
「――隠れ家の場所ですと?」
ロロが頷く。
「厳密に言うと、魔女術の【隠し棚】を作る場所です。ロザリーさんの魔導量なら【隠し棚】の中にお屋敷を建てることも可能なのです。団長邸を本宅としながらも【隠し棚】の中に隠れ家を建てて住もう、という話になりまして」
「なるほど。その、場所探しですか。ふ~む」
ドゥカスは家具や壁を眺めつつ、団長室の中を歩き回った。
そしてふと、デスクの後ろの壁に掛けてある団長用マントをピラッとめくった。
「あ、やっぱりそこなんだ」
「ですよね」
二人の反応を背中で受け止め、ドゥカスはゆっくりとマントを元に戻した。
そしてドゥカスが言う。
「そもそも隠しものに向いた部屋ではないですからな。応接間のような役割なので」
「たしかに……そうだ、この厚い絨毯の下とかどうでしょう?」
「帰宅するとき毎回絨毯をめくるの? 重いデスクをどかして?」
「それもそうですね……。どこかないものですかねぇ、簡単に出し入れできて、それでいて見つからない場所……」
「それはどこか矛盾しておりますなあ。手品のようにも聞こえますし……っと、そうだ!」
ドゥカスが何かを思い出し、手を打った。
「来客の先触れが来て、それを団長殿にお伝えするために参ったのでした」
「来客? 誰かしら」
「王宮からです。何でも、王都守護騎士団に入団希望なのだとか」
「まあ! ロザリーさんが誘った方ですかね?」
ロザリーは腕組みしつつ、首を捻った。
「う~ん? 誘った中で王宮勤めってロロだけだったはず……」
「え、そうなのですか? じゃあ誰なんだろう。ベルさんとか?」
「ベルは誘ってないし、誘っても来ないんじゃないかな。他に王宮勤めの知り合いって……ウィニィくらい?」
「ウィニィ君こそありえませんよ。若い王族として先々までポストが決まっているでしょうし」
「そうよねぇ」
そんなことを話していると、扉がノックされた。
「来たようです。通します」
ロザリーは団長の椅子に座り、ドゥカスに言った。
「ええ。よろしく」
ドゥカスが扉へ向かい、客を部屋に通す。
客は二十代中頃の漆黒の魔導騎士外套をまとった男だった。
ロザリーとロロはその男と面識があった。
「あなたは……!」
「あっ! ええと……たしか、ネモさん?」
ネモは長い前髪に隠れた片眉を上げて、ロロの言を肯定した。
「久しぶりだな、スノウオウル、ロタン」
ロザリーは二度ほど、この男と会っている。
敵ではないが味方とも呼べない。
宮中伯子飼いの密偵であり、自分を監視していた男――それがロザリーから見たネモの印象だった。
「あなたが王都守護騎士団に入団する……ということ?」
「そうだ。問題があるか?」
「問題というか、意図がわからないわ。そうだ、コクトー様の許可は取ったの?」
「これは宮中伯の命だ。意図はあの方にしかわからない」
「……」
ロザリーはロロと顔を見合わせた。
ロロにしたってコクトーの意図などわかるわけもない。
しかし、ロロにはロザリーの心中は手に取るようにわかった。
「……信じていいのかわからない。でも、くれるというなら欲しい?」
「ええ。その通りよ」
ネモは密偵である。
おそらくはコクトー宮中伯の家来衆の中で一番の腕。
ではロザリーの配下で一番の密偵はといえば、おそらくはヒューゴになるのだが。
「……そもそも密偵みたいなこともできるってだけなのよね。指示通りに動いてくれるわけでもなし、調べたことをすぐに教えてくれるわけでもなし。それに――」
「――ひょっとしてボクのことを言ってる?」
どこからか声がして、ロザリーの影が蠢いた。
影がたぷんと波打ち、暗がりからツンと突き出た白い鼻が浮かび上がる。
ヒューゴの顔が完全に浮かび上がってくると、ドゥカスが剣に手を伸ばした。
が、それを認めたロロが、彼の腕にピタリとくっつく。
「大丈夫です。ロザリーさんの使い魔です」
「む、そうか」
ヒューゴは重力を無視した動きで影から起き上がり、執事のように礼儀正しくドゥカスにお辞儀した。
それからネモのほうを向く。
「そうきたか。キミの御主人様ときたら、まったくしつこい男だねェ?」
「ヒューゴ、何か知っているの?」
ロザリーに問われ、ヒューゴは答える。
「先日、この男を追い返したばかりなのサ。キミのことを監視していたからネ」
ロザリーの顔が曇る。
「監視……コクトー様はやはり私の王都守護騎士団団長就任を快く思っていないの?」
するとヒューゴがチッ、チッと舌を鳴らした。
「そうじゃないよ、御主人様。この男はキミが団長に就任したから監視を再開したわけではない。ずっとキミのことを監視していたンだ。見つからないように遠くから、注意深く、ネ」
「……そうなの、ネモ?」
ネモは静かに頷いた。
「お前が騎士実習へ出て以来、俺の第一任務は常にスノウオウルの監視だ」
「……そう。それで、どうせヒューゴに見つかるなら近くから監視しようと?」
ネモは肯定も否定もせず、話を変えた。
「……宮中伯から言伝がある」
「聞かせて?」
「この男は餞別だ。騎士団長就任、お祝い申し上げる――だそうだ」
ロザリーは困り顔で首を傾げた。
「餞別と言われても、ねぇ? コクトー様の家来のまま、私の配下になる……ってことよね?」
ネモは再び静かに頷き、言った。
「俺を信じろとは言わない。が、信じていいと思うが?」
「……フ。どうして?」
ロザリーが苦笑交じりに尋ねると、ネモはヒューゴを指差した。
「この男が俺から目を離すはずがないからだ。妙な動きをすればこいつに殺され、死霊にされる。そうだろう?」
するとヒューゴが薄気味悪く笑った。
「キミほどの騎士なら死霊になっても生前の能力が色濃く残る。優秀な下僕となるだろう。……いっそ今、この場で殺して死霊にしてしまうのはどうだ? そうすればボクもキミを見張る手間が省ける」
ヒューゴの不穏な提案をロザリーは黙って聞いている。
ネモはヒューゴの脅しともとれる言葉に怯えも怒りもせず、淡々と言った。
「スノウオウルとお前がそうすると決めたならやればいい。俺に抗う手段はないからな?」
ヒューゴがネモへ近寄り、挑発的な距離まで顔を寄せる。
「ン~? 何か変だな。何を隠してる?」
「何も隠してなどいない」
ヒューゴがスンスンと鼻を鳴らす。
「いいや臭うネ、隠し事の臭いだ。何か誤魔化しがあるくせに、ロザリーに忠節を誓うのは本心に見える。いったいなぜかナ?」
「何を言ってるかわからんな」
ネモは表情一つ変えない。
しかしヒューゴの目玉は細かく揺れ動き続け、やがて小さく数回頷いた。
「……そうか。そういうことか」
ヒューゴはロザリーのほうを振り向き、ネモを指し示した。
「信用していいと思う。今の彼は、決して御主人様を裏切らないだろう」
急にそう言われてもロザリーが頷くはずもない。
「どうして? いくらヒューゴの言うことでも、これはさすがに『はい、そうですか』とはいかないわ?」
「どうしてかは言えなイ」
「はあ?」
「言ってしまうと彼は忠実な密偵ではなくなってしまう。だよね、密偵クン?」
ネモはやはり表情を変えない。
そんな彼へヒューゴが耳打ちする。
「……お前の先日の捨て台詞。あれは宮中伯の意志ではなく、お前の失言だったンだな?」
「!」
「宮中伯は探らないでおいてやる。お前がロザリーのためだけに働けば、それ以上のことは起きない。それでいいな?」
ネモはヒューゴをギッと睨み、瞳で頷いた。
ヒューゴがバッ! と振り返り、おどけた様子で言う。
「よし、決まり! よかったねェ、御主人様! 手が足りないときに優秀な密偵が手に入るなんて僥倖だよ!」
「……勝手に話を進めないでほしいんだけど」
「アレアレ? 密偵いらなかった?」
「ううん、超ほしい。ヒューゴに密偵させるのは不安だし」
「ちょーっと待ってくれたまえ。いったいボクのどこが不安なンだ? そういやさっきもそんなこと言ってたね、あのとき何を言いかけてたンだい?」
「ええと、何だっけ」
「『調べたことをすぐに教えてくれるわけでもなし。それに――』のあとだよ」
「ああ! ええとね……それに、スパイに行った先で暗殺して帰ってきそうで嫌だな、って」
「……いや、それはさすがに」
「さすがにそんなことしないか」
「……しそうではあるネ」
「やっぱりそうよね」
そう言ってロザリーは席を立ち、ネモの元へ向かった。
そして彼に手を差し出しつつ、言った。
「優秀な密偵は大歓迎! でも、ヒューゴだけでなく私もあなたを気にかけることになるわ。居心地の悪い職場になりそうだけど――それでも私の下で働ける?」
ネモは迷うことなく握手に応えた。
「お前の監視にも疲れたからな。今度はそちらが俺を監視するがいいさ、団長殿」
「フ。よろしくね、ネモ」
こうして王都守護騎士団史上、最も優秀な密偵が誕生したのだった。





