295 夜鷹が笑う
短め。
魔導皇帝登場回。
イメージはハマーン様とかキシリア様とかそこらへん。
――魔導皇国、皇都バビロン。
暗雲たち込める都の空を、幾筋もの雷が走る。
バビロンの空はひとたび機嫌を悪くするとこのように激しく荒ぶるのだが、皇都が落雷に襲われたことはない。
天を貫くがごとく皇都中心に聳える巨塔が、すべての雷をその身に集めるからだ。
この塔の歴史は古く、大陸最古の史書には、もうこの塔の記述が出てくる。
一説には皇都の外郭自体が更なる巨塔の名残りで、今残る塔はその中心のほんの一部に過ぎないともいう。
その巨塔の最上層部。
皇国のごく一部の重臣しか立ち入りを許されぬこの場所は、すなわちバビロニア魔導皇帝の座す場所である。
奇妙にも獅子王国と同じ〝大鷲〟をモチーフとした玉座――しかしこちらは大きな翼を威風堂々と広げている――に座る魔導皇帝は、まだ五つになったばかりの幼き皇帝であった。
その傍らに立つのが三十半ばの麗しき女摂政、ウィズベリア=ナイトジアである。
魔窟と評される元老院をこの年で我が物のように御し、魔導皇帝の言はすべてウィズベリアの口から発せられる。
その上、魔導八翼にも名を連ねるという、バビロニアきっての傑物である。
ウィズベリアが戻ってきた使者に尋ねる。
「――それで。剣王はなんと?」
「ハッ。訴えておるのは白薔薇の忘れ形見だという〝骨姫〟ロザリー=スノウオウルの事。一刻も早く皇国に取り戻すべきだと」
「そうは言ってもな? 本当に白薔薇の娘だとしても王国育ちであろう? 現状、あちらの大魔導であるし……右から左には動かせぬよ」
「仰る通りかと。しかし、剣王様も頑なで……」
「勝手に協定破りをした上に皇帝に要求とは何事か。まず首を垂れに参れ。――そう、ファルコナーには言っておけ」
「……それでご納得いただければよいのですが」
するとウィズベリアはおかしそうに笑った。
「ククク……納得などするわけなかろう? 奴は八翼ぞ?」
「は……」
「お前が考えている以上に大魔導とは傲慢で不遜なものだ。お行儀よく見える剣王であっても……な?」
「では、なぜそのようなことを」
「傲慢不遜だと言ったであろう。奴は首を垂れになど来れぬ。陛下に頭を下げるということは、傍らに立つ私にも頭を下げることになるからな?」
「……なるほど」
「あとは『謝罪もせぬ臣下の頼みを聞いてやる義理はない』とでも言っておけばよい。ファルコナーがファルコナーである限り、しばらくは大人しくするだろうよ」
「しばらくは……ウィズベリア様も、いつかは〝骨姫〟を迎えるおつもりで?」
「今ではない。骨の髄まで獅子の教えが染みついていたら、皇国に災厄を招き入れるに等しいからな」
「しかし……本性を見極めることは自白の術でも使わぬ限り難しいことです」
「手っ取り早いのは戦だ。内紛を起こせばわかる、獅子に対する信仰心が……な」
「しかし、それは――」
「もちろん今はやらぬよ。仕込みに十年以上も時間をかけたのだ、〝骨姫〟のためだけに使ったりはせぬ。相応しいときに、初めて使う」
「……それで思い出しました。ファルコナーではなく、その供の者からも苦言を受けました」
「どうせココララであろう。なんと?」
「王国に潜伏する草の者の一部が、あまりに非協力的であったと」
「ほう? 〝雷鳥〟の協力は得たのだろう?」
「どうやら〝黒鳥〟のことらしく。〝骨姫〟のことをずっと前に知りながら、それを報せずに黙っていたと」
「……フ。アハハハハハ!」
急に高笑いしたウィズベリアに、使者の顔が強張る。
「あ、ウィズベリア様……?」
「フフ……。ああ、すまぬ。〝黒鳥〟の心底困った顔が脳裏に浮かんでのう? あ奴を困らせるとは、ファルコナーもたまには役に立つではないか」
「……ウィズベリア様は〝黒鳥〟をご存じで?」
「私がこの手で放った。先の陛下の遺詔を受けて、な。……〝黒鳥〟が協力などするはずがなかろう、〝雷鳥〟の付け火仕事とは違うのだ」
「間諜だと認識しておりましたが。違うので……?」
「奴は首輪よ。エイリスに付けた鈴付きの首輪。猫が悪さをしようとすると、ひとりでにチリン、チリン、と……な?」
すると、そのとき。
「ねこ?」
人形のように玉座に座っていた幼き皇帝が口を開いた。
ウィズベリアが振り返り、母御のような顔になって皇帝に尋ねる。
「猫はお好きであられますか、陛下?」
「すきだぞ。ひっかくけど」
「いけません! 御身に傷をつける者は猫であろうと、このウィズベリアが容赦いたしませぬ!」
「ねこはいいんだ」
「よくありません! 小鳥になさいませ、籠に入れておけばつつきもしません」
「ウィズ!」
幼き皇帝がウィズベリアの首に抱きついた。
「あっ! 陛下!?」
慌てて皇帝の身を抱きかかえようとするウィズベリア。
その彼女の耳に皇帝が囁く。
「余はロザリーに会いたいぞ」
「……!」
ウィズベリアが驚いた顔で幼き皇帝の顔を見る。
年相応のあどけなさしか見えない。
が――。
ウィズベリアは皇帝をそっと下ろし、一歩下がってその場に膝をついた。
「お望みのままに。陛下」





