294 声を潜めて
――黄金城、玉座の間。
獅子王エイリスが、王のみが通ることを許される裏通路より〝大鷲の玉座〟へ歩いていく、その過程で異変に気づく。
「む。……コクトー、人払いしたか?」
多くの臣下が侍ることをよく思わないエイリスでも、常に数人の近衛は置いている。
しかし今、玉座の間には騎士の一人もいない。
すでに玉座の隣に立っているコクトー宮中伯が、目だけで頷く。
「はい。例の件について、エスメラルダ卿が参られています」
「エスメラルダ――そうか、先日の騒ぎだな?」
「左様です」
「すぐに通せ」
「ハッ」
コクトー自ら玉座の間の大扉へ向かい、その向こうに待機していた近衛騎士団団長エスメラルダを招き入れた。
エスメラルダは具足の金属音を鳴らしながら玉座へ近づき、恭しくお辞儀した。
「もっと近う」
エイリスに前屈みに言われ、彼女はゆっくりと玉座への段を上がる。
その後にコクトーがお決まりの位置に着くと、それを合図に彼女は話し始めた。
「先ほど観察者より報告が届きました。陛下のお見立て通り、アーサー卿で間違いないだろう、と」
「やはりそうか」
エイリスは玉座に背をもたれた。
そしてその姿勢のまま、コクトーを見やる。
「珍しく、そちの予測が外れたな?」
コクトーは面白くなさそうに目を背け、エスメラルダに言った。
「その観察者とやらの話は、本当に信用に足るのですか?」
エスメラルダは不服そうに答える。
「観察者にはとりわけ優秀な者を選んでおります。間違いないかと」
「しかし――まことにアーサー卿が〝火炙り公〟の再来であるならば、血濡れの三公時代に当時十かそこらの年齢で反逆者どもを焼き尽くしたということになりますぞ?」
そこでエイリスが口を挟んだ。
「年ではないよ、コクトー」
「しかし――」
「年齢は何の反証にもならぬ。特異な魔導は戦乱に触れて、ふいに目覚めるものだ。……エスメラルダ。〝火炙り公〟の特徴が見られたのだな?」
「ハッ。五百年前に〝火炙り公〟が所持していたという固有ルーン【嫉妬のルーン】の三つの能力を確認したと」
コクトーが言う。
「〝嫉妬の炎〟については、すでに忍び込ませた者により確認されていましたが……〝羨望〟と〝愛憎〟については確認が難しいのでは? 特に〝羨望〟の能力は確認のしようがないと思いますが」
「たしかに〝羨望〟――自分より上の魔導者の力を正確に計り、嫉妬の糧とする能力については推定になります。ロザリー卿に対し、〝羨望〟を使うために必要な肉体的接触を複数回試みているという――」
「――それは! 単に興味からの行動とも取れるでしょう?」
「……たしかに。ですが〝愛憎〟についてははっきり確認したようです」
「感情による魔導の上昇を? どのように?」
「晩餐会で脱臼した肩と肘が、彼が怒った瞬間に完治したと」
「!」
「アーサー卿は魔導騎士養成学校の成績を見ても、刻印騎士としての資質はあまり高くありません。難易度が比較的高い自己再生系のルーンを一つも修めていない。となれば、突然完治した理由は――」
エイリスが言う。
「急激な魔導上昇だな。肉体は魔導の僕。上昇した魔導に相応しい肉体へと変化する過程で傷んだ部分も治癒してしまう」
「お待ちください。すでに聖文術などで治癒しており、怒った瞬間に治ったように演技していた可能性も――」
コクトーはそこまで言って、自分の論を鼻で笑った。
「――フッ。アーサー卿がそれをやる理由がないですな」
エイリスが玉座の肘置きを数回、指で叩く。
「〝火炙り公〟の再来は現ランスロー公ではなく、その息子アーサーである。この前提でこれまでのランスローでの出来事を洗い直せ」
エスメラルダが頷く。
「ただちに。……となると、現在も病に臥せっているというランスロー公の扱いはいかがされますか? 公務に支障が出ていても、かの御仁をそのままにしているのは血濡れの三公としての功績によるものですが」
そこでコクトーがぼそりと言った。
「……そもそも、ランスロー公はご健在なのだろうか?」
エスメラルダがぎょっとして目を見開く。
「まさか! 滅多なことを言うものではないぞ、宮中伯!」
「しかしだよ、エスメラルダ卿。ユールモン以外の人間がランスロー公を最後に目撃したのはいつになる?」
「ランスロー公は大街道商路会議の座長を務めておられる。二年ごとに開催されているから、そこで見た者はいるはず――」
「――開催都市には行かれているとは聞くが、出席はされておらぬ。アーサー卿が代理で出席するのがお決まりとなっているようだぞ?」
「いや、まさか……そうだ、去年の叙任式のときもミストラルにお見えになったはず……」
そこまで言って、エスメラルダは眉を顰めた。
去年の叙任式――ロザリーが騎士に叙任されたときも、ランスロー公は黄金城までは来ていないことを思い出したからだ。
あのときもアーサーが代理として登城し、ランスロー公は体調不良ということだった。
「いずれにせよ――」
エイリスが口を開く。
「――重要なのはランスロー公ではなくアーサーだ。あ奴をうまく使えるか、そこにかかっている」
コクトーが顔を顰めて言う。
「現状、アーサー卿を躾できるのは先王弟殿下だけですぞ? 果たして陛下の御身にとって得と言えるかどうか……」
「それでもだよ、コクトー。〝火炙り公〟は大魔導にも対抗しうる貴重な駒だ」
「損切りにはまだ早いと?」
エイリスが大きく頷く。
「大事に、大事にな……」
――〝止まり木の間〟。
王との話を終えたコクトーは、自室のドアノブに手をかけて、異変を察した。
(……誰かいる)
注意深く扉を開けると、その誰かがコクトーの椅子に座って脚をぶらぶらさせていた。
後ろ姿で長い黒髪が揺れている。
「……ロザリー卿。顔馴染みとはいえ無礼だぞ?」
椅子に座ったまま、ロザリーが身を捻って振り返った。
その顔には何事もなかったかのような、日常的な微笑みが湛えられている。
「あ。お帰りなさい、コクトー様」
「私の留守中に勝手に入り、私のデスクに座るなど……卿くらいのものだぞ?」
「座っていたのは椅子ですわ」
「つまらぬことを言う……!」
「せっかく来たのに出直すのは癪だな、って思いまして」
「ほう。やはり王都守護騎士団団長様ともなると、さすがに気位が高いな?」
「……やっぱり、怒ってます?」
ロザリーが不安げにそう聞くのは、勝手に部屋に入ったことではない。
相談もなく王都守護騎士団の団長となったことだ。
「怒ってなどいない」
コクトーがデスクに向かって歩いていくと、ロザリーは立ち上がって椅子を譲った。
コクトーは不満そうにその椅子を眺めてから、腰を下ろしてロザリーを見上げる。
「自分が蒔いた種。同期を救うため。〝当事者〟になるために、団長になったのだと理解している」
ロザリーは少し考え、「そうかもしれませんね」と、ニッコリ笑った。
その様子を見て、コクトーの顔から険が消えた。
「ふむ、覚悟は決まっているようだな? ならば今更言うこともない」
「やっぱり怒ってらっしゃるような……」
「……一年前、卿が騎士団に入れぬように差配したのは理由あってのことだ」
「あ! やっと認めた!」
ロザリーがコクトーの顔を指差してそう言うと、彼はその指を迷惑そうにどけながら理由を語った。
「仕方がないのだよ。考えてもみたまえ、大魔導である卿がどこぞの騎士団に入り、それがどこぞの高位貴族、大貴族の騎士団であったなら……その貴族は欲が出るだろう? なにせ自分の配下に大魔導がいるのだ。もしかしたら王位まで望みかねんよ」
「ん~、信用ないんですね。私はそんなのに加担しませんよ?」
「信用の問題ではない。卿がそういう人間であっても、周囲は卿を唆し、あるいは仕立てあげるのだ。あとは体制側からそう見えれば、あとは乱へ一直線だ。乱というものは一度火が着けば燃え尽きるまで続く。わずかな種火でも見逃すわけにはいかんのだ」
「……なるほど。それについては理解しました。では、王都守護騎士団となったことについては異論はない?」
「公的な騎士団だからな。同じ公的騎士団でも魔導院や神殿騎士団ほど特定貴族が権勢を振るっていない。ベストは近衛騎士団だったが……まあ、許容できる範囲だ」
「よかった。では、団長就任のご挨拶も済みましたし、私はこれで」
そう言ってロザリーがお辞儀すると、コクトーは目を剥いた。
「これは就任の挨拶だったのか?」
「フフ。何もそんなに驚かれなくても」
「……そういうことなら、次は手土産の一つでも携えてこい」
「そうします。……就任のご挨拶って、エイリス陛下にも必要でしょうか?」
「陛下はご多忙だ、必要ない」
「そうですか。それでは――」
「――ああ、ロザリー卿」
「何でしょう?」
椅子から立ち上がり、十分に間を取って、コクトーは言った。
「卿の王都守護騎士団団長就任。陛下は大変お喜びだ。これで王国最大の騎士団にテコ入れする必要がなくなった、とな」
「っ、それは――」
ロザリーは一瞬、緊張した顔になったが、すぐに笑顔を浮かべた。
「――ご期待に沿えるよう、努力します。そう陛下にお伝えください」
「承った。では、な」
「はい。失礼いたします」
ロザリーは再度お辞儀して、部屋から出ていった。
そして扉が閉まって数十秒。
また扉が開く。
「宮中伯」
「おお、ネモよ。いつ来るかと待っていたぞ」
「は……」
ネモはいつもと違い、彼なりに腰を低くして部屋に入ってきた。
扉が閉まってから、コクトーが言う。
「なぜロザリー卿が来ると報せなかった? 私が虚を突かれるのが嫌いだと、お前はよく知っていよう?」
「申し訳ありませぬ。現在、スノウオウルの監視を最大限、距離を取って行っておりまして」
「なんだそれは。そこらの文官に望遠鏡を渡して監視をやらせればよかったか?」
「実は――監視中にスノウオウルの使い魔に見つかりまして」
これにはコクトーも驚愕の表情を浮かべた。
「お前が? ロザリー卿本人ならともかく、使い魔ごときに?」
「推定になりますが、おそらくスノウオウルの最も強力な使い魔です」
「……ああ、そうか」
コクトーは納得し、デスクにゆっくり歩いていき、また椅子に腰かけた。
「ヒューゴ=レイヴンマスターだな? 五百年前の厄災をもたらした死霊騎士――」
「――左様です」
「レイヴンマスターを調べていると残酷な性質にばかり目が行くが、その本質は戦歴豊かな大魔導だ。元大魔導の死霊にどれほど力が残っているかわからんが、無能ということはあるまいしな……よかろう、今回は大目に見よう」
「感謝いたします。……ただ、もう一つ、お叱りを受けねばならぬことがあり」
「怖いな。いったい何をやった?」
「レイヴンマスターへの対抗心でつい、失言を犯してしまいました」
ネモの言を聞き、コクトーの顔が青ざめる。
「……何を言った!」
「貴様は宮中伯の願いを理解しているか、と」
コクトーの表情が固まる。
それからゆっくりとデスクのほうを向き、背中越しにネモに言った。
「……よくない。それはよくないぞ、ネモ」
「申し訳も立たず、なんと弁解してよいものか……」
「夜鷹が知ろうものなら何をされるか……いや、知ることはない。知りようがない。それよりもレイヴンマスターだ。奴はどう動く? 奴が本気で私を調べ始めたら、辿り着いてしまうかもしれない。まずは奴がどこまでネモの発言を重く捉えるか、だが……」
「宮中伯……」
頭を抱えていたコクトーだったが、あるときハッと何かに気づき、ネモを振り返った。
「ネモよ。主を代えてみるか?」





