284 拉致、そのとき
「所長ッ!! あんた何をやってるかわかってるのかッ!!」
「黙れ、ウォルター!」
所長は一喝し、その後ぼそぼそと言い訳を並べた。
「陛下ですら頭の上がらない相手に何ができる……! そもそも王都守護騎士団が大貴族を逮捕できたことなどないだろう……クソッ、雛鳥なんぞが私の部下に配属されたばっかりに……!」
今もなおウォルターと突き合う形のイングリッドは、アーサーの気配が離れたことを確認し、ウォルターに囁いた。
「耐えてくれ。ここでぶつかったら双方のためにならないのだ」
「……部下を攫われて耐えろだと? ふざけるのもいい加減にしろよ、貴様!」
「無法を通していることは私も自覚している。いよいよとなったら、ピーター卿の身柄は私が取り返す」
「そんなの、信じられるものかッ!」
「信じなくていい。だが誰も死なせない道筋はこれしかないのだ」
「……ッ」
ウォルターが押すのをやめた。
それを受けてイングリッドもゆっくりと退き、後ろ向きに歩いて詰所を出た。
そしてすぐにアーサー一行を追う。
(ピートを攻撃したとき、アーサー様は右手を使った。昨晩、痛めたはずの右手を……!)
(興奮して痛みを忘れて――?)
(――違う! 火炙り公の血だ。怒りに火が着いたら魔導が増大する……!)
(急激に増大した魔導の奔流が、肉体の損傷を治癒してしまったのだ)
(我を忘れて怒り狂うほど強くなる……お守りには厄介なこと、この上ない性質だ!)
アーサー一行は攫ったピートを連れて舘へと向かった。
その道中、アーサーはわざとゆっくり、騒ぎながら帰るよう命じた。
それはピートがグレンを呼び寄せるためのエサで、まずグレンに伝わらなければ始まらないからであった。
市中を騒ぎながら移動する一行は、多くの市民の耳目を集めた。
そこをたまたま通りかかった女騎士がいた。
王都住みでピートの同級生――ロロである。
「フンフフーン♪ ロザリーさんが同じ街にいるというだけで、夕方の買い物もウッキウキですねぇ!」
スキップするロロを、人々は奇妙なものを見る目で通り過ぎていく。
しかしロロはそんなことお構い無しである。
「昨日はせっかく旗まで作ったのに気づいてもらえませんでしたが……でも後悔はありません! 素敵だったなぁ、ロザリーさん。ウフフフフ……」
不気味な笑い声を響かせながらスキップを続けるロロだったが、ふと異常に気づいた。
いつの間にか周囲の人々が、自分ではなく通りの向こう側を見ていたのだ。
「はて? 皆さん、何を見て……」
すると二十名くらいの集団が騒ぎながら通りを上っていくのが見えた。
彼らはしきりに名前を叫んでいる。
「……今、ピーター=ロスコーって言いました?」
ロロが眼鏡をずいっと上げて、集団を注視する。
「ややっ! あれは……ピート君? ほんとにピート君ですよね? なぜ……」
ピートらしき小柄な人物は、ごろつきに担がれてぐったりとしている。
ロロは先頭を歩く人物に目を向けた。
「たしかあの方は、ランスロー公子アーサー卿……ロザリーさんに絡んでた大貴族! ということは、ロザリーさんへの仕返しをピート君に?」
集団は騒ぎながら通り過ぎていく。
「ああ、なんてこと! どうすれば、どうすれば……」
右往左往するロロ。
しかしすぐに手を打ち、路面にしゃがみ込んだ。
「とにかく、ロザリーさんに伝えなきゃ! これは会いたい口実ではありませんよっ!」
鞄からノートを取り出し、ビリビリと破り取る。
次に路面にノートを置き、その上に切り取った紙を置いて、手紙を書き始めた。
「早く、正確に……よし!」
書き上げた手紙を手早く鳥の形に折って、魔導を込める。
「ロザリーさんの元へ飛べ。大至急!」
するとロロの手のひらから手紙が浮き上がり、くるりと輪を描いてから【手紙鳥】は飛び去っていった。
――グレンとドルクが乗る駅馬車の車中。
「案外、優しいんだな」
突然グレンにそう言われ、ドルクは不服そうな顔を向けた。
「何がだ」
「さっきの乗客だよ。無理やり引きずり降ろすかと」
「バカを言うな。草が人目のある場所でそんなことするわけないだろう」
「たしかに、な。……で。どこまで行くんだ?」
「さて、な。どこまで行くか……」
今日のドルクは彼らしくない。
いつもなら余裕たっぷりで慌てるそぶりなどわずかにも見せない。
今日はそんな彼が焦っていて、どこか苛立っているようにも見える。
今も車窓に肘を置き、風を受けながら外を眺めているが、視線が落ち着きなく彷徨っている。
グレンはそんなドルクの横顔を眺めつつ、思案した。
(……俺のためと言った。俺を王都から逃がしたいんだ)
(そりゃそうか。ドルクだけが逃げたいなら〝雷鳴〟を使うだろうし)
(俺を逃がそうとしてる。……何から?)
(どこかで恨まれたか? 退団前だし大人しくしてたんだがな……)
と、そのとき。
ドルクが車窓の外に向かって素早く腕を伸ばした。
すぐに腕を戻すと、その手には紙の鳥が握られていた。
「【手紙鳥】……!」
ドルクは微かに頷き、手紙を開いた。
彼の視線が文面を走るにつれ、その表情が厳しくなっていく。
「どうした。何が書かれていた?」
グレンの問いに答える前に、ドルクは馬車を止めるよう御者に告げた。
馬車が次第に減速し、やがて完全に停まると、ドルクはグレンにずいっと身を寄せた。
「すまん。読み違えた」
「だから何が――」
「――読め。俺の表向きの同僚からだ」
手紙を渡され、グレンはそれを読み始めた。
「差出人はイングリッド。アーサー卿が七番詰所から団員を拉致し……ピーター=ロスコー!?」
「お前の友人だな?」
「そうだ! お前に連れ出される前に、会おうとしていた同期だ!」
「グレンを呼ぶエサのつもりなのか、それともグレンでなくてもいいと気がついたのか……」
「だから何で俺なんだ!」
「〝骨姫〟だよ」
ドルクの言葉にグレンはギョッとした。
「表向きの我が主、アーサー=ユールモンが入れ揚げているのはロザリー卿だ。お前を狙うのはロザリー卿への仕返し、嫌がらせ。先に逃がしてしまえば何もできまいと思っていたが、私が思うより我が主は賢かったようだ」
「……ッ」
「どうするか、お前が決めろ。この件に関して私はお前の望みのために手を尽くそう。判断を誤った償いとしてな」





