282 家臣の憂鬱
王都城下、ユールモン邸。
カーテンを閉め切った暗い部屋を、暖炉の火が赤々と照らしている。
昨夜の晩餐会で辱めを受けたアーサーは、一人掛けのソファの上で毛布を被り、膝を抱いて震えていた。
「寒い……寒い……」
季節はもうすぐ冬とはいえ、今年はまだ暖炉に火を入れるような気温ではない。
アーサーは脱臼した肘を擦り、ガチガチと歯を鳴らす。
「ああ……あの白い肌を、今すぐに焼きたい……ッ!」
そのとき、部屋の扉がノックされる。
アーサーの返事を待たずに扉が開き、癖のある長い金髪を後ろに束ねた女騎士が入ってきた。
部屋の暑さに一瞬顔を顰めたが、すぐに無表情に戻り、アーサーに向かって姿勢を正した。
「お呼びでしょうか、アーサー様」
彼女の名はイングリッド。
雷鳴の騎士ドルクがアーサーの右腕だとすれば、彼女は左腕。
ユールモン家騎士団の双璧として立つ、若く優秀な騎士だった。
「王都守護騎士団のグレンという男をここに連れてこい。今すぐにだ」
「王都守護騎士団……拒否された場合はどのように?」
イングリッドの返しを聞いて、アーサーは彼女を睨みつけた。
「……温いことを言うな、イングリッド。連れてこいとは拉致してこいという意味だ」
イングリッドは表情も変えずに即答した。
「承服できません」
「貴様ッ! 命に逆らうかッ!」
「御身のためです。王都で王都守護騎士団と事を構えるなど愚の骨頂。主人を守れぬ命令など従えません」
「臆したか! お前もドルクもいるだろうがッ!」
「ドルクは席を外しております。それに我ら二人揃っていたところで多勢に無勢。アーサー様を守り切ることは至難の業かと」
「〝堕ちた天使事件〟はお前も知っておろうが! 民と王宮の支持を失い、退団者が続出しているという! 今の王都守護騎士団がいかほどのものか!」
「王都守護騎士団に騎士が何人いるとお思いで? 退団者が多数出た今でも優に千は超えましょう。王国最大の騎士団であることに変わりはないのです。対して我らユールモンは私とドルクの他はアーサー様の手勢のみ。とても勝負になりませぬ」
広大な領地を治めるユールモンは強力な騎士団を保有している。
しかしそれはあくまでアーサーの父――ランスロー公の騎士団であり、今回アーサーについてきているのはイングリッドとドルクのみであった。
アーサーは親指の爪を噛み、視線をぐるぐる漂わせて、女騎士を説き伏せる方法を考えた。
「……グレンの姓はタイニィウィング。雛鳥だ。王都守護騎士団だって大貴族と争ってまで取り戻そうとはすまい」
「確証がありません。それに主人の生命を賭けてまで得るものが雛鳥の身柄となれば、なおさら承服できません」
「チッ、口賢しい女だ!」
悪態をついたアーサーは、突然ソファから立ち上がった。
自分に向かってくるやもしれぬと身構えたイングリッドだったが、アーサーは彼女を無視して素通りし、部屋の扉を乱暴に開いた。
そのまま出ていくアーサーを、イングリッドが慌てて追いかける。
「お待ちを! どこへ行かれるおつもりですか!」
「同じことを二度も言わせる気か? お前は舘でくつろいでいるがいい!」
「アーサー様!」
アーサーはイングリッドの制止など聞く耳を持たず、下の階の大部屋に入った。
部屋には男たちがいて、酒盛りをしたり賭け事に興じたりしていた。
ここにいるのはアーサーの手勢二十三名。
騎士団を思うままに動かせない不満が作らせた、ごろつき不良の集団である。
人品卑しい者どもだがそのすべてが魔導者で、いわゆる外道騎士であった。
「野郎ども! 仕事だ!」
アーサーの言葉に、坊主頭に刺青のある男が言った。
「どういった仕事で?」
「人を攫う。この王都でだ!」
ごろつき不良たちがどよめく。
先の坊主頭が伺うように言う。
「……いつものようにアーサー様のお名前で守っていただけるので?」
「もちろんだ」
しかしそれでもどよめきが収まらない。
王都で犯罪行為に及ぶことの危うさを、彼らはごろつき不良だからこそ、よく知っていた。
そこで、坊主頭がごろつきたちに語りかける。
「去年、サーバリーで飢饉があっただろう」
それを知っていた半数ほどが頷き返す。
「そのせいで、今この王都に流れてる麦はほぼランスロー産だ。どういう意味かわかるか?」
首を傾げる男たちに坊主頭が言う。
「ランスローに逆らえば王都は干上がる! 王都の誰もランスローに逆らえねえってことだ! 獅子王陛下ですらな!」
おおっ! と歓声が上がり、坊主頭がそれを手で制してから、アーサーを見る。
「ですよね? アーサー様?」
アーサーはニヤリと笑った。
「その通りだ。何も心配するな」
それから少しして。
ドルクがユールモン邸に帰ってきた。
入るなり、様子がおかしいことに気づく。
館の納屋にしまってあった古い武具が運び出され、中庭に置かれた長テーブルの上に並べられている。
それをやっているのはアーサーの手勢たちで、彼らは興奮した面持ちで互いに笑い合いながら、武具を品定めしている。
「……何の騒ぎだ?」
ドルクは首を捻りつつ、舘の玄関へ向かった。
するとちょうどイングリッドが出てきて、彼女と目が合った。
「やっと戻ったか、ドルク!」
「イングリッド。ずいぶん賑やかだな?」
「落ち着き払っている場合ではないぞ!」
「喚くな。何があったか話せ、手短にな」
イングリッドはふうっと息を吐いて冷静さをいくらか取り戻し、それから説明した。
「アーサー様が王都守護騎士団のグレンという騎士を攫うと言い出したのだ」
「ッ! ……昨晩、先王弟殿下とお諫めしたのだがな」
「大人しくなったのは一晩だけだったな。先王弟殿下にもう一度、お出ましいただくか?」
ドルクがすぐさま首を横に振る。
「無理だろう。殿下はアーサー様以上にロザリー卿に対して強い思い入れがお有りのご様子。だから昨晩は来ていただけたが……」
「今回は的がロザリー卿ではないから無理だと?」
「本来は王族に足を運ばせるだけでも不敬なのだ。それを連日となれば、殿下のほうが来たくとも控えられるだろう。王族がランスローに尻尾を振っているなどと噂されれば、王に対する不敬とも取られかねない」
「そうか……ではどうする? 力ずくで止めるか?」
「それも一つの方法だな」
そう言ってドルクは中庭の手勢たちを見回した。
火が着いたのはアーサーだけでなく彼らもだろう。
たしかにイングリッドと二人がかりなら制圧できるだろうが――。
「――王都で内輪もめは酷い醜聞になる。別の方法でいこう」
「考えがあるのか?」
「俺はグレンの顔を知っている。攫われる前に王都から逃がす」
イングリッドが中庭を見やる。
「……できるか? 今すぐにでも出ていきそうだが」
「やるとも。お前はできるだけ時間を稼いでくれ。……とはいえ、あまり怒らせるなよ? アーサー様は激すると――」
「――わかっている。無理には引き留めない」
「それでいい。出ていったら追ってくれ。やたら注意はするなよ、余計に血が昇ってしまう」
「武力行使しそうになったら力ずくでいいな?」
「いいんだが……まず、騎士に絡ませるな。王都守護騎士団はもちろんだが、他の騎士にも。どいつが虎の尾かわからんぞ」
「今は大貴族の子弟も大勢いるからな……」
手勢たちはすでにそれぞれに具足を身に着け、武器を手に取っている。
イングリッドがハッと舘を振り返る。
アーサーも階上から降りてきた。
階段を下りながらイングリッドの姿を認め、声をかける。
「どうした、イングリッド。行く気になったか?」
「いえ、それは……」
言葉を濁しながらドルクのほうをチラリと見ると、彼はアーサーに存在を気取られる前に敷地から出ていくところだった。
イングリッドは微かに囁いた。
「頼むぞ、ドルク……」





