279 晩餐会―上
長いです。
説明目的の長台詞中心なので、苦手な方は読み飛ばしちゃってください。
パレードの夜。
黄金城にて勝利を祝う晩餐会が催された。
長い長いテーブルにて王と騎士たちが一緒に食事をするのは、建国以来の伝統的な晩餐会形式である。
上席たる長卓の端に座るのは、もちろんエイリス王。
それに準じる席には主賓となるロザリーが座り、その対面にミスタ卿が座る。
ロザリーにしてみればここまでは想定内だったのだが、問題はその次の席だった。
「……」
ロザリーがちらりと左隣に目を向ける。
そこに座るのは灰色の髭をヘソまで伸ばした、気難しそうなご老人だ。
えんじ色のローブに首飾りや腕輪をじゃらじゃらと着けている。
すぐに目を戻し、ワインを喉に流し込む。が、味も酒精もまるで感じない。
(なんで隣がシャハルミド院長なの!)
またロザリーがシャハルミドを横目で覗き見る。
彼は高齢であるはずなのに食欲旺盛で、贅を尽くした料理の数々をぺろりと平らげていく。
(会うのは初めてだけど……私のことすっごく嫌ってる方よね? なんでこの席? 嫌がらせなの?)
ミスタ卿の隣は王都守護騎士団団長、ドゥカスだ。
彼もまた高齢だが、隣のミスタ卿と和やかに歓談している。
うらやましげにミスタ卿を見ていると、ふと彼と目が合った。
(ミスタ卿! お願い、代わって! 代わってぇぇ!!)
ありったけの意志を込めて彼を見つめたのだが、ミスタ卿はフッと笑って再びドゥカス団長と話し始めた。
「くそぅ……」
「――ロザリー卿」
「あっ、はい!」
突然話しかけられて、ロザリーが威勢よく返事してシャハルミドのほうを向く。
すると彼は迷惑そうに眉を顰め、それから上座のほうを指し示した。
話しかけたのがエイリス王だと気づき、ロザリーが慌ててそちらに向き直る。
「失礼しました、陛下っ」
「よい、よい。控え室の贈り物は見たか?」
「はい、山のように……」
「それは卿と顔を繋ぎたい者の数を表している。今日の客層からして、質も一級品揃いであろう」
「どなたからかわかりませんが、悪趣味な黄金の全身鎧までありまして。それも五着も……」
「それは余だ」
「え、ああ! これは重ね重ね失礼をば……!」
恐縮しきりのロザリーを見て、エイリス王はおかしそうに笑った。
「ククッ。確かにあれは悪趣味よ。あの鎧は技師連に作らせた試作品でな? 式典用に近衛騎士団に着せるために頑丈で美しい鎧を頼んだのだが、重い上に着心地が悪すぎると不評でな。技師共は体格によらず着用できる自信作だと胸を張っていたが、当の近衛騎士が着たがらないでは話にならぬ。……それからずっと倉庫の肥やしになっていたのだが、そうだ〝骨姫〟の使い魔なら着心地など問題にならないのでは、と思いついてな」
「確かに下僕共ならば使えるかと。ありがたく頂戴いたします!」
「うむ。ところで……食事は口に合わぬか? あまり進んでないようだが」
「そのようなことは。ただ、ちょっと緊張して……」
「緊張? 初めての大戦で大魔導たちと渡り合った卿が、か?」
「いや、あはは」
「ロデリックはどうであった?」
そう尋ねた瞬間、王の目の色が変わったようにロザリーには見えた。
(本当にご興味がお有りなのね)
そう直感したので、ロザリーは剣王ロデリックとのことを思い出しながら語り出した。
「とても……強かったです。ヴラド様を初めてお見かけしたときも自分より上かもしれないと思いましたが、ロデリック様は、はっきりと上。ずっと高みに立っておられます」
「……それでは卿よりも、首吊り公よりも強いということになるが?」
「そう申しておりますし、それが事実です。私とヴラド様の二人がかりで立ち向かった瞬間もありましたが、勝つには至らなかった。あのまま本気で命を取り合う形になっていたとしても……分が悪い勝負となっていたでしょう」
エイリス王は笑った。
「大魔導二人がかりでか? それは困るな」
「理解しております。王国側の四人中二人が皇国側の八人中一人に負けるようでは話になりません」
「ふむ。考えがあるのか?」
「攻略の糸口を掴んだわけでは。ただ、まるで知らなかった〝剣王〟という大魔導をかなり知ることができました。対して私はヒューゴを見せていません」
「ほう! それは心強いな。次は勝ってくれそうだ」
「……勝てずとも、私一人で時間稼ぎくらいはしてみせます」
「うむ、うむ」
エイリス王は満足げに頷いた。
話がひと段落すると、意外にもシャハルミドがロザリーに話しかけてきた。
「ロザリー卿。よろしいか」
「はいっ! なんでしょう!」
振り向いたその様子がエイリス王に対するよりも慌てていたので、緊張の原因に気づいたエイリス王は声を殺して笑った。
シャハルミドが言う。
「卿は死霊術の極意を使用し、怨霊を飛ばし、遥か西域にいる巨人の女王を討ち取ったと聞いている。それはまことか? 本当にそのようなことができるのであれば、これは呪殺に類するものなのか? それともまるで別のものなのか?」
「ええと、そうですね……」
ロザリーは誰にであっても、すべてを明かす気はない。
それが自分に敵意を向けている人物であればなおさらだ。
しかし、ハンギングツリーに居ながらにして女王ロキッサを討ち取った事実に対し整合性が求められるので、まるで嘘を話すわけにもいかない。
だからロザリーは【葬魔灯】だけぼかして話すことにした。
「正確に言えば、ハンギングツリーに来襲した大巨人の幻影――これが怨霊だったのです」
シャハルミドの顔が曇る。
「日中に、それほど巨大な怨霊が動けるものか?」
「私の使い魔でいえば、日中は動けないもののほうが稀です。大きさについてはそうですね、類を見ないものです」
「ふぅむ……」
「この怨霊は先の巨人の王バロールでした。バロールはとても強大な王で、おそらくは大魔導と同格。女王ロキッサはこのバロールを謀殺し、玉座に就いたのだと思われます」
シャハルミドは興味深げに聞いていて、エイリス王は一足先に報告が入っているのか、頷きながら黙って聞いている。
「私は怨霊の声ならぬ声を聞き、バロールは自身の意に反して使われていることを知りました。ある意味で、巨人の女王も死霊使いだったのです。そこで私とバロールの利害が一致しました。共通の敵、女王ロキッサを討つべし、と。そこで彼の協力を得て、私の意志を乗せ、彼の亡骸のある西域へと飛びました」
シャハルミドは灰色髭をしきりに撫でつけながら、首を横に振った。
「なんとも……にわかには信じられん……聞いたことのない戦の形だ」
「無理もありません、私にとっても初めての経験でしたし」
今度はエイリス王が尋ねる。
「意思を乗せる、などと簡単に言うが。そのようなことをして、ロザリー卿の精神に害はないのか?」
「害、かはわかりませんが、影響は受けます。バロールの生きていた頃の記憶をいくらか見てしまいましたし」
「ほう! 蛮族ガーガリアンの生活を見たということか? それは聞きたいな! なあ、シャハルミド?」
シャハルミドは知識欲を刺激されたらしく、目を爛々と輝かせて頷きもしない。
「そんなに大した話は。そうですね――」
つい会話の流れで「記憶を見た」と言ってしまったが、【葬魔灯】に繋がるようなことは話はしたくない。なのでバロールの生前の記憶を頼りに、端的に話すことにした。
「――彼らは村単位で暮らしています。西域は広いですが厳しい土地で、畑などはほとんど見かけない。彼らは強さでリーダーを選び、強い戦士ほど優遇されます。でもその一方で老人や怪我人などの戦えない者にも最低限の生活は保障されているように見えました」
「ふむ……蛮族といえど案外人権意識があるのか?」
とエイリス王が言うと、
「仲間内だけでしょう。人権意識などあれば略奪目的で戦を仕掛けたりしませぬ」
とシャハルミドが答える。
次にエイリス王に「他には?」と催促され、ロザリーが考える。
「ええと……彼らは自分たちのことを〝高き者〟、私たちのことを〝低き者〟と呼んで――」
「何と言った?」
エイリス王が鋭く聞いてきたので、ロザリーは話を止めた。
そしてすぐに自分の過ちに気づく。
「あっ! すいません、バロールの記憶とごっちゃになって、つい彼らの言葉が出てしまいました」
ロザリーは〝高き者〟と〝低き者〟を蛮族語で話してしまっていたのだ。
エイリス王はシャハルミドに尋ねた。
「そうなのか?」
シャハルミドは気味悪いほど、じぃっとロザリーを見つめている。
彼の視線はロザリーを射抜いたまま、指先だけがテーブルをトン、トンと叩く。
「他には?」
「他に……そうですね、彼らの主食は――」
「――違う。蛮族の言葉だ。他にも彼らの言葉を聞かせてくれ」
「はあ」
仕方なく、ロザリーはガーガリアンの言葉で話し出した。
【葬魔灯】でバロールの記憶を受け継いでいるので、その気になればネイティブ同然である。
しかしあえてたどたどしく、話してみせた。
シャハルミドは俯き、たまに頷きながら聞いている。
ロザリーは言った。
「あの、シャハルミド院長。私がでたらめを話しているとは思われないのですか?」
するとエイリス王が笑って言った。
「そのような心配は無用ぞ? シャハルミドは大陸のほとんどの言語に通じる大言語学者でもある」
「なんと! そうでしたか……!」
シャハルミドは首を横に振った。
「おやめくだされ、陛下。いくつかの言語は小僧の手習い程度。現にガーガリアン西語についての理解は、私よりロザリー卿のほうがはるかに優れております。ロザリー卿、老い先短い老人の頼みです。どうかもっとお聞かせくだされ」
「ハッハ! ロザリー卿、この文句が出たら逃げられないぞ。覚悟することだな?」
そう言うとエイリス王は席を立った。
どうやら自ら挨拶回りに出向くようだ。
(陛下、興味ないから逃げたなっ!)
エイリス王はミスタ卿とドゥカス団長に声をかけ、さらに下席のほうへ歩いていく。
「さ、ロザリー卿」
いつの間にかシャハルミドはロザリーの袖を掴んでいる。
ロザリーはため息をついた。
「あの、シャハルミド院長。あなたは私のこと嫌っておいででしたよね?」
「それはそれ、これはこれ。好き嫌いで知を得る好機を逃すようでは学者など務まりませぬ」
「そういうものですか」
「そういうものですな」
ロザリーは少し考え、それから言った。
「では、見返りをくださいませ」
「見返り? こんな老いぼれが金獅子殿に差し出せるものがあるかどうか……」
「そんな心配なさらないでください。知の対価ですから、私も知を求めます」
「ほう! なんですかな?」
「実は私、昼間のパレードよりもこの晩餐会に気後れしていたのです。大貴族のご当主が何人も見えられると聞き、そのような高貴な方々と、どう接したらよいものかと」
「なるほど。確かに慣れぬ者には厄介な問題でしょうな」
「そこで聡明なるシャハルミド院長に、挨拶に出向く順番や、特に礼を失してはならない方をご教示頂けたら、と」
シャハルミドには〝聡明なる〟はあまり響かなかったようだが、ロザリーに教えを請われている現状にはまんざらでもないようだ。
長い長いテーブルを見回し、ロザリーに口を寄せた。
「陛下が臣下の席を回ってらっしゃるのは見えますな?」
「はい。獅子王陛下がこんなことなさるのですね」
「そう珍しいことでもありませぬ。王にしてみれば臣下の元まで出向いてやる程度のことで器の大きさを示せますし、臣下にしてみれば王に出向いていただきお声をかけてもらえる栄誉を授かれる。……ここで大事になるのが順番ですな」
「私が挨拶に回るのも陛下と同じ順番で?」
「ほとんどは。今、陛下は先王弟殿下に挨拶しておられる。主賓のロザリー卿、ミスタ卿と続き、その次。つまり臣下で一番目が先王弟殿下ということになりまする」
「シャハルミド院長とドゥカス団長は?」
「私共はただの賑やかし。数には入れませぬ。ただ、ここで問題が生じます。陛下にとっての一番目は私共臣下にとっての一番目とは違うということですな」
「ええ? なぜですか?」
「先王弟殿下は特殊なお立場でしてな。〝キングメーカー〟の異名はご存じで?」
「ええ、聞いたことは」
「先代の獅子王陛下を玉座に就けるときに、御自らユーネリオンの名をお捨てになったのです。玉座を狙わないという意思表示のために」
「そうだったのですか!?」
「有名な話です。そして月日が経ち、今度はエイリス王陛下を玉座に就けたとき。陛下が感謝の意を込めて王族に戻すと仰ったのです。ところが先王弟殿下は『それでは野心を疑われる』と固辞なさり。すったもんだした挙句、最終的に王族でありながら臣下でもある、現在のシェファ=ユーネリオンという二重姓になったのです」
「何てこと……まったく存じ上げませんでした」
「まあ、このお立場を説明するのはなかなかに厄介ですからな。王族ではないと言うのも貴族ではないと言うのも憚られる。唯一、両方である重臣と捉えられればよろしいかと」
「なるほど……」
「昨今、〝六大貴族〟という言い方をします。王国で最も力を持つ六つの貴族家という意味ですが……ただこの六大貴族、私が若い頃は四大貴族だったのです。現当主で大きな力を持った先王弟殿下のシェファ=ユーネリオン家と首吊り公のアンテュラ家が加わって六大貴族家となった」
「それは聞いたことがあります。伝統ある大貴族家は四つなのだと」
「その通り。そしてこの四つの大貴族家こそが、ロザリー卿の仰る〝礼を失してはならない〟相手。陛下は先王弟殿下が恩人であるから優先なさりますが、我々は歴史ある四大貴族家を優先せねばなりません。四大貴族家のご当主はおわかりになりますか?」
「ええと……」
ロザリーが長い長いテーブルの中央付近に目を向ける。
「ええと、紺青色の髪の御仁がおそらく、ドーフィナ伯かと。ご息女のジュノー卿がまさにあの髪色でしたので」
「仰る通り。もう一人の同級生の親御様はおわかりになりますか?」
「もう一人? ……そうか、青クラスのジーナ。ということは、あちらのキツめのお顔のご婦人が似てるような?」
「ご明察。ウォチドー家ご当主のジュリア卿ですな。王宮審問官の筆頭審問官でもあられます」
「では、あの恰幅のよい方がデファンス家のご当主?」
「まさに。獅子王国で最も裕福な貴族として知られております。そして最後に当主代理の……ああ、アーサー卿とは面識がおありでしたな?」
「……ええ。面識と申しますか、因縁と申しますか」
「まあ気に喰わずともほどほどにお付き合いなさるがよろしかろう。なにせ獅子王陛下すら気を配るお相手ですからな」
「それほどに?」
「ユールモンは王国の食糧庫。かの地が麦を出し渋れば王国全土が干上がりまするゆえ。他の四大貴族家も同様ですな、デファンスは王国最大の金鉱山とそれを元手にした金融業。ウォチドーは身内すら容赦しない法の番人。大街道の関所の裁きも担う。ドーフィナは貿易と海運ですが……最近は宮中伯に権益を奪われ衰退しておりますな」
「……なるほど。四家の中で優先すべきは?」
「四家の中で格付けはありませぬが……今ならばデファンス家でしょうな、金を借りて頭が上がらぬ貴族がまあ多いですから。ああ、ユールモン家はご当主ではないので最後に」
「勉強になりました。まずデファンス家のご当主からご挨拶しようと思います」
「それでよろしいかと」
シャハルミドが長い長いテーブルの中央付近の様子を窺う。
「ちょうど陛下が挨拶回りを終えられたようです。次はあなたの順番ですから、今から向かわれるがよろしかろう」
「あ、そうですね。ではシャハルミド院長――」
そう言って席を立とうとしたロザリーの手首を、シャハルミドがガッ! と掴んだ。
そして再び爛々とした瞳でロザリーの紫眸を覗く。
「――ガーガリアン西語については書面でも構いませんぞ?」
ロザリーは手首を掴んだ彼の手に、自分の空いた手を優しく置いた。
「宿題ですね、承知しました」
ロザリーが立ち上がり、大貴族のいる場所へ歩き出した。
周囲の貴族の視線がこちらに集まっているのがわかる。
戻ってきたエイリス王とすれ違い、道を譲って膝を曲げて礼をする。
そしてまた歩き出すと、大貴族たちはそれぞれにロザリーを見ている。
好奇の目。
値踏みするような目。
見透かすような目。
様々だ。
(うぅ、圧に負けちゃダメ。まずはでっぷりしたデファンス家の……あれ!? ご当主のお名前何だっけ!?)
大事なことを聞き忘れたことが発覚したが、この期に及んで席に戻るわけにもいかない。
吹き出す汗を拭きつつ、デファンス家当主の前で首を垂れた。
「あ、あの……デファンス家のご当主の……」
「おぉ、おぉ、ロザリー卿。何もそのように緊張されずとも。私はそんなに怖い顔をしておるか?」
「め、滅相もない!」
「もしや、愚息のことを気にしておられるのか?」
(具足? 違う、ご子息のこと……?)
「ネイザンのことは一切合切、忘れてくだされ! 私はロザリー卿のおかげで愚息の資質がわかってよかったとすら考えております。なにもお気になさることはありませんぞ!」
「はあ……」
(どういうこと!? 私、愚息のネイザン君に何をしたの!?)
「此度の勝利、まことに見事でした。これからも王国のため、その力をお貸しくだされ」
「も、もちろんです。陛下の御為、皆様のために働くことを誓います」
「うむ、うむ」
デファンス家当主は肉付きのいい顔に満足げな笑みを浮かべ、スッと身を引いた。
(これは……「次へ行っていいぞ」の合図!)
ロザリーは彼の奥にいた群青色の髪の貴族、ドーフィナ伯に目を移した。
彼も意を理解し、互いに距離を縮める。
そしてドーフィナ伯が握手を求めて手を差し出したので、ロザリーもそれに応えて手を出した――そのときだった。
ある人物がドーフィナ伯に肩をぶつけて横入りし、ロザリーの手を強引に握った。
「アーサー卿……!」





