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273 閑話―悪い魔女

 ――西方都市ハンギングツリー。

 今日は公開裁判の日。

 多くの市民が会場となる公共エリアへ向かっていた。


 獅子王国における公開裁判とは、領主の権限によって市民の目前で行われる裁判を指す。

 ほとんどの場合、すでに判決は決まっていて、市民に対し罪人を捕縛したことを報告し、目前で刑に処すことを目的としている。

 公開裁判は市民に人気のある催しで、それは残酷なショーの側面を持つからに他ならない。

 しかし、今回の公開裁判では処刑は行われないと事前に通知されていた。

 にも(かかわ)らず市民が大挙して押し寄せるのは、処刑以外に目的があるからだった。


「おっ。お前も行くのか」

「なんだよ、職場以外で顔も見たくねえのに」

「そりゃこっちの台詞だ」


 偶然に顔を合わせた若い男性二人が、互いに嫌な顔をする。

 この二人は城壁を職場とするいつかの兵卒で、今日は揃って非番だった。

 嫌がりながらも一緒に丘の上へ歩き始める二人。


「お前もヴラド様を見に?」

「……いや、ヴラド様はいつでも見れるだろ。バルコニーで」

「いやいや、公開裁判なら間近で見れるじゃねーか」

「たまに城壁にも来られるだろ? そっちのほうが間近じゃねえか」

「俺はお前と違って職務中にガン見はできねえの!」

「俺だってガン見はしねえよ、チラ見だよ」

「……んっ? ってことはお前は何を見にいくんだ?」

「そりゃ〝骨姫〟様だよ。ほとんどの連中がそうだろ」

「え~! そうなの? ロザリー様こそ普段から間近で見れるじゃん!」

「お前……馴れ馴れしくお名前で呼んでんじゃねえぞ?」

「うへ、怖い顔すんなって。だってロザリー様って結構、街をうろついてるぞ?」

「だからお名前で……あとうろついてるってなんだ、散策なさってると言え!」

「お前ったら、すっかりロザリー教信者だなあ」

「それは否定しないけどよ。つーか、あと何日〝骨姫〟様がこの街に滞在なさるかわかんねえだろう? だからこの機会を逃したくねえんだよ」

「え? どっかいっちゃうの、ロザリー様?」

「だからお名――もういいや。〝骨姫〟様がいつまでもこの街にいるわけないのはわかるよな?」

「いや? ロザリー様はこの街気に入ってるよ、たぶん。だからよく街をうろついてるんだろうし」

「それはそうかもしれないけどよ、〝骨姫〟様は大魔導(アーチ・ソーサリア)じゃん」

「うん。それが?」

「王国に四人しかいない大魔導(アーチ・ソーサリア)を、西の端にあるハンギングツリーに二人も置いとくわけがない」

「ああ~。そういうもんか?」

「そりゃそうだろ。西を〝首吊り公〟ヴラド様が守り、南を〝黒獅子〟ニド殿下が守る。だったら〝骨姫〟ロザリー様は王都に置かなきゃバランス悪いだろ」

「ふ~ん。で、もう一人は?」

「もう一人?」

「四人しかいないって言ったじゃん」

「誰だっけ……ああ、思い出した。〝不老不死〟グウィネスだ」

「ああ! ……そんな二つ名だったっけ? 〝裏切りの魔女〟だった気が」

「異名が多いんだよ、あの人。〝禁断の魔女〟とか〝永遠の黄昏〟とか」

「へ~。で、グウィネスはどこを守ってんの?」

「……さあ?」

「じゃあグウィネスが王都を守ればロザリー様はずっとハンギングツリーに――」


 その瞬間だった。

 前を歩いていた高齢の女性が恐い顔で振り返り、「シッ!」と唇に人差し指を立てた。


「……その名を口にするんじゃないよ。どこで聞いてるかわからないんだからね?」


 兵卒二人は女性の剣幕に押され、立ち止まって頷いた。

 そして彼女が「フン!」と鼻を鳴らして去っていくのを見守ってから、声を潜めて囁き合った。


「グウィネスの噂をすれば――」

「――グウィネスが来るってやつか」



 公開裁判の会場は公共エリアの広場だった。

 何もない空間を騎士たちが等間隔に立って仕切り、中央にひな壇を設け、そこに裁判を取り仕切る首吊り公が座り、その横に傍聴者(オブザーバー)としてロザリーが座る。

 裁判はすでに始まっていて、戦時中に起きた犯罪行為とその処罰について、薬指筆頭のロンドが市民に向けて説明している。

 罪人不在で口頭での説明が続き、市民たちの興味は首吊り公とロザリーに向かっている。


 ざわざわとした雰囲気が静まったのは、ロンドがアン=ベネットの説明を始めたときだった。

 彼女が皇国の協力者であったことは市民にも知れ渡っている。

 紛れもないハンギングツリー市民であった彼女が、なぜ裏切ったのか。

 身近にいた裏切り者に、市民は興味津々だった。


「――実際、なぜ裏切ったのだろうな?」


 首吊り公が誰に言うでもなく呟いた。

 ロザリーが言う。


「十六年前の獅子侵攻で、夫と息子を失って変節したのだと聞きましたが」


 ちょうどロンドが市民に向けてそれを説明し始めて、首吊り公は咀嚼するようにゆっくりと何度も頷いた。


「それでも彼女にはこの街に暮らしがあったのだよ。夫と子は亡くしても親族もいたし、長く務めた職場もあった。友人も多かった。再婚こそしていないが、最近はいい仲の男もいたらしい。それらすべてを捨て去るほど、復讐とは魅力的なのだろうか。……殺しておいて言うのもなんだがな?」

「……いえ。戦時中に自分の街を危険に晒せばこうなることは、誰にでも容易に想像できます。ヴラド様が気に病むことはないかと」

「フ、気を遣わせたか。そういうつもりで言ったのではない。ただ純粋に疑問でな」

「なぜ裏切った、か……」


 ロザリーは宙を見上げ、ポツリと呟いた。


「孤独、だったのかな」

「孤独? 彼女には友人も恋人もいたのだぞ?」

「孤独を感じる瞬間って人によって違いませんか? 私は親しい人のいないパーティで孤独を感じます。逆に、一人で夜の街を歩いていても孤独など感じません」

「ふむ……」

「彼女にとって夫と息子がいる形が唯一、完成された、満たされた形だったのかなって。たくさんの友人も恋人も、もう一度満たすために作ったけど、結局は孤独なままだった」

「孤独だと国を裏切るのか?」

「帰属意識は低いでしょう。孤独なのですから」

「……なるほど、な」

「それで裏切った先が、夫と息子を殺した皇国というのもやるせないですが」

「獅子侵攻を引き起こした国のほうが、よっぽど憎かったのだろうな」


 二人がそんな話をしているうちにアン=ベネットについての説明が終わった。

 次に対西域騎士団連合の前総帥ボーゴンらの説明に移る。


「重要拠点であるランガルダンを一戦も交えず放棄した罪! その後の杜撰な撤退戦で多くの騎士を死なせた罪! 蜂の巣城城主ダグラス卿の孫を攫い、かの城を乗っ取ろうとした罪! 以上の罪状により首吊り公が〝縛り首〟に処した!」


 ロンドが勇ましい口調でそう言うと、市民たちから歓声が沸き起こった。

 罪人が高位貴族であること。それを自分たちの英雄が処断したこと。

 これで市民が沸かぬはずがないとわかっていたから、ロンドは勇ましく言ったのだった。


 そして次に、この日最初で最後の罪人が引き出されてきた。

 それを見た市民たちから罵倒や冷やかす声が飛ぶ。


「ひぃぃ! 親分、あっしたちどうなるんで!?」

「知るかよっ!」


 オズとセーロである。

 ロザリーが小声で言う。


「……ヴラド様」

「案ずるな、〝骨姫〟。オズモンドの罪は大巨人に立ち向かった功績で相殺する手筈になっている。あとはロンドに任せろ。奴が上手くやる」

「は……」


 引き出されたオズとセーロは手枷足枷に首輪をつけられたまま。

 今日初めての罪人を見て、熱を帯びる市民たち。

 いかにもこれから処刑されそうな雰囲気に、ロザリーは不安を覚えた。


 そのときだった。


「あっ? グ……ギッ、ぐげっ……!」


 突如、オズが苦しみ始めた。


「オズっ!」


 思わずロザリーが立ち上がる。

 見ればオズの首輪が締まり、それが繋がる鎖が刑務の騎士の手を離れ、宙に浮きあがっている。

 ロープは恐ろしい力で吊り上がり、オズの身体も浮かんでいく。

 ロンドが部下に命じて下ろそうとするが、うまくいかない。

 ロザリーは首吊り公にすがりついた。


「話が違います、ヴラド様! どうかおやめください!」


 しかし首吊り公は、眉を顰めてロザリーを睨んだ。


「よく見ろ、〝骨姫〟。私ではない」


 ロザリーはハッとして、オズを捉えた鎖を観察した。


「誰かが、ヴラド様の術を真似て……?」


 ロザリーは立ち上がり、この術を仕掛けている騎士を探した。

 集まった市民の中には見当たらない。

 警備の騎士に紛れているわけでもない。


「……そこか!」


 ロザリーは警備の騎士に駆け寄って槍を奪い取り、それをすぐさま投擲した。

 槍は唸りを上げて飛び、魔導書図書館(グリモワール)のすぐ隣にある蔵書棟の屋根に着弾した。

 屋根が吹き飛び、粉塵が舞い上がる。


「――騙されてはならんぞ!」


 煙の中から黒いローブを纏った男が出てきた。

 フードで口元しか見えない。


「その者は皇国の大魔導(アーチ・ソーサリア)――剣王ロデリックをハンギングツリーに引き込んだ張本人! アン=ベネットと同じ、裏切り者の大罪人だ!」


 ロザリーの顔が険しくなる。

 黒ローブの男は壊れた蔵書棟の上で弾劾を続ける。


「なのに! そこにいる〝骨姫〟ロザリーの知人というだけで見逃されようとしている! このような不当! 許されるべきではない!」


 ロザリーは黙って、蔵書棟へ近づこうと歩き出した。

 そんな彼女の手首がギュッと掴まれる。


「やめよ、〝骨姫〟」


 首吊り公であった。


「なぜです、ヴラド様!」


 ロザリーはそんな彼の手を振り解こうとしたが、手首を掴む力が強くなった。

 するとロザリーはフィッと彼から顔を背け、蔵書棟を見つめて呟いた。


「黒犬。狩れ」


 どこからともなく遠吠えが聞こえ、蔵書棟の屋根が大きく揺れた。

 獣頭の魔人が牙を剥いて襲いかかったのだ。

 黒ローブの弾劾者はこれも躱したようだが、黒犬からの追撃によって地上へと落とされた。

 弾劾者はローブをはためかせ、身を回転させながら着地した。


 ロザリーはこの瞬間に首吊り公の手を振り切り、オズを捉えた呪詛の鎖を〝黒曜〟で断ち切った。

 落ちてきたオズを抱きかかえる。


「ゲホ、ゴホッ! ……すまね、ロザリー」

「いいの。喋らないで」


 弾劾者はオズを抱いたロザリーを指差し、市民たちに向かって叫んだ。


「見よ! あの姿こそが証拠だ! 彼女は英雄などではない! 卑劣な支配者だ!」


 ロザリーはオズをロンドの部下に預け、それから弾劾者に対して冷たく言い放った。


「そんなこと、どうでもいいわ」

「何ッ! 開き直るか!」

「お前は誰なのか、と聞いている」


 ロザリーの魔導がむくりと起き上がる。


「私の槍を躱して、黒犬の攻撃までいなすなんて只者ではないわ」

「古典的だな? 逆に私を疑って煙に巻く気か。どこまでも汚い奴め!」

「いいえ。お前が誰か。これこそが重要よ。なぜならお前は市民ではなく魔導騎士である。しかも大魔導(アーチ・ソーサリア)である私の攻撃を凌げるほどの手練れである。なのに、私はお前を知らない。まさか皇国の騎士だったりしないわね?」

「ハハ! 貴様が知らぬ騎士はすべて皇国騎士だというのか? いかにも思い上がった特権階級の発想だな!」

「そうかしら? ここは数日前まで戦地で、私も戦っていたのよ? すべての騎士――とはいかずとも、手練れの騎士の顔と名前は、残らずこの(・・)頭に入ってる。……もう一度聞くわ。お前は誰だ? 所属は? 目的はなんだ?」

「……」


 弾劾者は黙して語らなくなった。


「なるほど。私と戦いたいのか。受けて立とう」

「!」


 ロザリーが弾劾者に向かってズンズンと歩き出し、弾劾者のほうは後ずさる。

 一触即発の雰囲気に、市民たちが二人を結ぶ直線上から一斉に逃げ出した。

 そしてロザリーが〝白霊〟に手をかけたとき。

 再び手首を掴まれた。

 ロザリーは眉を寄せて振り返った。


「なぜお止めになるのです、ヴラド様! このような不審な騎士、オズのことがなくとも放ってはおけません!」


 首吊り公はそれに答えず、ロザリーの前に出た。

 弾劾者が、今度は首吊り公を指差して叫ぶ。


「〝骨姫〟に便宜を図る貴様も同罪だ、首吊り公! 国家への反逆者に対し、臣下の貴様が許す権限などない! 王のごとく振る舞う傲慢な大魔導(アーチ・ソーサリア)め!」


 首吊り公は特に気にした様子もなくコキッと首を回し、それから言った。


「演技はもうよい」


 それを聞いてロザリーは困惑した。


「演技……?」

「何の用だ、グウィネス」


 その名を聞いた市民たちがざわりとする。

 不吉な名。

 おとぎ話や都市伝説のようにしか語られない名。

 自分たちが信ずる大魔導(アーチ・ソーサリア)は、その人物が目の前にいると言っている。

 まさか。

 もしかしたら。

 そんな半信半疑が場を支配する中で、弾劾者に変化が起こった。

 黒いローブが風に揺れて、霧のように揺蕩(たゆた)った。

 弾劾者の姿が霧に包まれて見えなくなり、霧はうぞうぞと蠢く。

 そして黒い霧が再びローブの形に戻ったとき、そこに男ではなく女がいた。

 胸元の大きく開いた黒いドレスを着ていて、魅惑的な肉体が覗いている。

 フードで口元しか見えないのは変わらずだが、長い金髪が垂れている。

 グウィネスは笑みを浮かべて言った。


「なぁぜ、わかった?」


 首吊り公は目を細めて答えた。


「わからいでか。お前と私は互いを呪い殺そうとした仲だぞ?」

「たしかに」


 グウィネスはクスクスと笑った。


「あれは肌を重ね、唇を貪り合うよりも濃密で甘い関係だ。のぅ?」


 ロザリーは二人の会話を聞きながら、魔導を身の内へ収めていった。

 グウィネスの登場に驚きはしたが、一方で納得してもいた。

 それほど弾劾者の立ち振る舞いはロザリーから見て奇妙で怪しかった。

 ロザリーは片足を引き、正式な作法をもってグウィネスにお辞儀した。


「お初にお目にかかります、グウィネス卿……」


 するとグウィネスはロザリーをじとりと見た。

 そしてその立ち姿のまま、ズ、ズ、ズ……と残像を残しながら、瞬く間にロザリーの目前まで移動してきた。

 ロザリーはお辞儀したまま、目を伏せている。

 そんな彼女の横顔を覗くようにして、グウィネスは言った。


「初めましてだねぇ? 〝骨姫〟」


 グウィネスの喋る舌先がロザリーの頬に触れそうなほど近い。

 しかしロザリーは一歩も引かず、逆にグウィネスのほうを向いて微笑んでみせた。


「綺麗な肌だ。羨ましい……」


 悪い魔女の爪先が、その笑顔の頬から首筋までツーッとなぞる。


「さっきは情夫を吊ってすまなかったのぅ? 替えが利くものにあれほど怒るとは思わなんだ」


 ロザリーは身体を起し、笑みを崩さずに言った。


「情夫などではありません、友です。なので替えは利きません」

「ふぅん。情夫呼ばわりしても怒らぬのか」


 グウィネスがロザリーの顔色を覗き、そのとき初めてロザリーから彼女の顔つきが見えた。

 長命とされるのが信じられぬほど若く、美しい顔だった。

 特徴的だったのは目で、奇妙なほど多色が入り混じった瞳の色をしていた。

 グウィネスは今度は手の甲で、ロザリーの逆の頬を撫でながら言った。


「ルイーズも妬ましいほど白い肌だったのぅ」

「! 母のことを?」

首吊り公(そこの男)よりは知っている。同じ八翼だったからね」

「……」


 そう聞いたロザリーが無言なので、グウィネスのほうが尋ねた。


「母御のことを聞かぬのかえ?」


 するとロザリーは笑って言った。


「聞きません。あなたの口から真実が語られる気がしませんもの」

「……ふ。フフフフフ! あまり賢しいと、取って喰ってしまうぞ? 妾は悪い魔女ゆえ、のぅ? アハハハハハハ!!」


 途端、グウィネスの身体が黒い霧と化し、高笑いだけを残して霧散して消えた。

 ロザリーは高笑いが響いていった空を見上げ、それから首吊り公を振り返った。


「行きました」

「ああ。行ったな」

「結局、グウィネス卿は何をしに来たのか言いませんでしたね」

「噂の〝骨姫〟を見に来たのだろうよ」

「私を?」

「間違いない。初めから〝骨姫〟に絡んでいたし、卿と話して去ったのだから」

「……目的を果たしたから去ったと?」

「そういうことだ。食われぬよう、せいぜい気をつけろ」

「ええ? あれってほんとの話なのですか?」

「さて、な。グウィネスの与太話は様々あるが、確かだと言われているのはひとつだけだ」

「それは?」

「三百年生きていることだよ」


 首吊り公はそう言って、いたずらっぽく笑った。

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― 新着の感想 ―
こうして見ると首吊り公は人格面では真面で高潔なんだな 敵には容赦ないってだけで グウィネスは嫌われるタイプだな それでも王国が重用しているってことは裏切ることも織り込み済みなんだろうね
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