269 葬魔灯バロール―9
ちょい長めです。
「あんた……アドゥか?」
自分でそう言ったのに、バロールはまだ信じていなかった。
それはある小さな戦でのことだった。
本拠地である集落にほど近い場所に、怪しい隠れ里があるという報告が上がってきた。
規模は小さいようだが、そんなところに里など無かったはず。
そこでバロールは久しぶりに自分の集落の戦士だけを率いて戦に赴いた。
隠れ里はたしかにあった。
抵抗はなかった。
戦士がおらず、そもそも男が一人しかいなかった。
里の者を一か所に集め、なぜここにいるのか尋問させていると、アトラが血相を変えてバロールのところへ飛んできた。
「何だよ、アトラ」
アトラは声を大にして言いたいのを堪え、ぎゅっと唇を閉じてからバロールの耳に口を寄せた。
「……アドゥの妻たちがいるっ」
「何!?」
よくよく見れば、女性たちは俯いて顔を隠しているようだ。
戦士に命じて顔を上げさせる。
「……たしかに。見覚えがある」
アトラの言う通り、女性たちは先代族長アドゥの妻たちだった。
知らない顔もいるが、その者たちは若い。
逃亡の後に妻にした者たちだと考えられた。
「ということは……」
唯一の男は土下座のような姿勢で顔を地面にこすり付けている。
それを戦士たちに言って無理やりに引き起こし、そこでバロールが言ったのが先の台詞である。
「アドゥ、なんだな」
「ヒィッ!」
アドゥは顔を背けようとして、戦士たちに押さえつけられた。
たしかに顔つきはアドゥである。
しかし随分と老け、また痩せ衰えていた。
妻たちに話を聞くと、どうやらアドゥは西域を転々としながら勢力を盛り返そうとしていたようである。
しかし、とある部族との小競り合いで手酷く敗れ、それを機に手下の戦士たちはアドゥの下を離れた。
負った怪我に加えて寄る年波もあり、アドゥはそこから力を取り戻すことはできなかった。
最近では妻たちのほうが権力を持って、アドゥは食事を与えられる立場であったようだ。
一番年配の、語気の強い妻が言った。
「もう知らない土地で怯えながら暮らすのはまっぴらなんだよ! バロール、あんた随分強い族長になったそうじゃないか。元は同じ集落の同胞だよ、頼むから集落においておくれよ!」
バロールは返事をせずに背を向けて、後ろにいるアトラに尋ねた。
「……ロキッサの母親はいるのか?」
「……うん。長白髪の、背筋がピンとしてる人だよ」
「そうか」
バロールは再びアドゥたちのほうに向き直り、ロキッサの母親を指差した。
そして指差したまま、その指を端へ動かす。
戦士はその意を汲み、ロキッサの母親を立ち上がらせて隔離した。
「ちょっと! 何であいつだけ――ェんぅ」
一番年配の妻が不満を露にした瞬間、バロールが妻の額を指で弾いた。
額が陥没して眼球が飛び出て、妻は妙な音を吐いて倒れた。
「ぎゃああっ!」
「ひぃっ!?」
「助けてえっ」
残った妻たちは恐れ戦いた。
特に取り乱したのはアドゥだった。
「ヒィッ! ヒィ~~ッ!」
痩せた衰えた身体を土に擦りつけ、必死に無抵抗を示している。
「バロール。アドゥはどうする?」
アトラに問われ、バロールはうんざりした顔で言った。
「……保留だ。集落へ連れ帰ってくれ」
集落に帰った、その夜。
母親を生かしたことへの礼のつもりなのか。
あるいは父親を生かすための手段なのか。
ロキッサは初めてバロールの寝屋を訪れた。
バロールはとても驚いたが、断るつもりはなかった。
幼少のころからずっと彼女を想っていたからだ。
「……いいのか?」
頷きもせず、ロキッサは寝屋の明かりを消した。
それから数か月後。
バロールは覇権を争っていた大きな敵対部族をついに打ち破った。
西域に残る部族は、地方に散らばる小勢だけ。
都市と呼ぶべき大きさに成長を遂げた集落は、戦勝祝いに大騒ぎである。
そんな中を、バロールとバドリが歩いている。
「バロール。もう巨人を増やすなと言ったはずだが?」
「怒るなよ、バドリ。降参してる奴を殺せるもんか」
「……〝飛竜殺し〟はわかるな?」
「ェツグォシ。女の巨人だな」
「そうだ。あいつは特に他の巨人とそりが合わないようだ。すぐに揉めるぞ」
「ん~。相撲でもして決着つけてくれんかねえ」
「馬鹿を言うな。巨人同士で相撲されては集落が崩壊するぞ」
「ハハ、それもそうか。ま、本当にぶつかりそうになったら間に入るよ。それで解決するとも思えないが」
「ぜひ頼む」
「ああ。じゃあ、俺は行くぞ?」
「今夜も女戦士のところか」
「……いや。ロキッサのところへ、な」
それを聞いたバドリは、驚いた様子で手を打った。
「ほう! そうかそうか!」
「何だよ」
「何でもない」
バドリは悪そうに笑い、祝いの宴席のほうへ消えた。
――ロキッサの家。
バロールが扉代わりの簾をまくり上げると、ロキッサは身体をビクン、と揺らして驚いた様子だった。
バロールは少しだけ傷ついたが、彼女のそうした様子には気づかないふりをした。
柔らかい布を敷き詰めた寝床に身体を投げ出し、目を閉じる。
しばらくすると、ロキッサが湯を入れた桶を持ってやってきた。
布を濡らし、バロールの身体を拭く。
やがて布がバロールの局部近くまで及んだとき、彼はその手を止めた。
「今日はいい。戦で疲れたみたいだ」
「……そう」
ロキッサはあっさりと引き下がった。
アドゥを連れ帰った日から、何度かロキッサと夜を重ねている。
しかし、心の距離は縮まった気がしなかった。
(そうだ……アドゥの処遇も決めなきゃ、な……)
バロールは実は疲れてなどいなかったが、煩わしいこといくつも考えているうちに本当に寝入ってしまった。
一時間か、二時間か。
「――ッ! アァッ!?」
深い眠りの最中にあったバロールは、胸の辺りに鋭い痛みと熱を感じて飛び起きた。
熱さの元は血だった。
自分の血。大きく張り出た心臓から滴る血だ。
正面をみるとロキッサが目をかっぴろげて立っていた。
その震える手には短刀――アドゥが族長の証として持っていたナイフが握られていた。
「ロキッサ、お前ええ……何でだ、血が止まらねえ」
血に喘ぐバロールは、ロキッサに掴みかかろうとしてガクッと倒れ込んだ。
「そう、か。心臓は……ここだけはやられちゃダメだった、のか……」
ロキッサが震える声で言う。
「いいザマね、バロール。寝込みを襲えばあんただってこんなものよ」
「……アドゥか?」
ロキッサは一瞬ポカンとして、それから口を大きく開けて笑った。
「ハハハ! あんな父親どうでもいいわ! むしろ早く殺してくれないかと思っていたくらいよ!」
「……じゃあ、なんで」
ロキッサは膝を折り、バロールに顔を近づけて言った。
「このままじゃ、あんたの子を孕んじまうからよ」
「……それが俺を殺す理由、なのか?」
「それが!? あんたみたいに小さい子が生まれたらどうするのよ! あんたを産んだ女はどうなった!? ああ、想像しただけでゾッとする!」
「お前のほう、から、寝屋に、来たんじゃないか」
「仕方ないじゃない! 親を救ってもらったのに、まだあんたを拒んでるって言われる! ますます私の立場は悪くなるわ! 召し使いたちが私を何て呼ぶか、あんた知ってる!? 〝役立たずの女〟よ!」
「……」
「一度きりのつもりだったのに……あんたは何度も来た。調子に乗って、何度も何度も!」
「俺の子だって……」
「何よ!」
「俺の子も、小さくても強いかもしれないだろう? 強ければ、いいじゃないか……」
するとロキッサは立ち上がり、軽蔑の眼差しでバロールを見下した。
「嘘をつけ、バロール。あんたが強いのは、その不気味な心臓を与えられたからだ。子供には伝わるはずがない」
「……お前、何でそれを知って」
ロキッサは突然家の入口へ向かい、簾をめくって顔だけ出して叫んだ。
「アトラっ! 早く来て、アトラ!」
彼女の叫びは戦勝祝いの喧騒にかき消されたが、アトラはやってきた。
「どうしたんだい、ロキッ――うああああっ、バロールうっ!?!?」
「ああ、アトラ! 怖かった!」
バロールの惨状を見て目を白黒させているアトラに、ロキッサがひしっと抱きつく。
「だっ、ダメだよ、ロキッサ! バロールが見てる!」
「バロールに気づかれたの! 私たちの関係が知られた以上、やるしかなかった!」
「君がやったのか、ロキッサ! 何てことを……っ」
「でないとバロールはあなたを殺しに行くでしょう!? 仕方なかったの!」
バロールは霞む目でアトラを見上げた。
「アトラ、お前……」
「ち、違うんだ、バロール」
「何が違うの、アトラ! 愛してるって言ったじゃない! 昔から愛してたって!」
「~~っ!」
アトラとロキッサが見つめ合う。
かなりの時間そうしていたが、ある瞬間にアトラが扉のほうを振り返った。
「何だ? やけに騒がしい――」
外の様子がおかしいことに気づいたアトラが、ロキッサから離れて入り口の簾から外を覗いた。
それから血相を変えて振り返る。
「戦士たちが集まってる! じきにここへ来る!」
「何で!? 何でよっ!!」
「っ、さっき〝飛竜殺し〟が他の巨人と揉めてたんだ。きっとその裁定をバロールに頼む気だ……!」
「この状況をバドリや戦士たちに見られたら、二人とも殺されてしまうわ!」
「ううっ……ロキッサ、君が『バロールは今日は会わない』って伝えれば……」
「無理よ! バロールが戦士を後回しにして私に会ったことなんてないもの!」
「じゃあ、バロールを隠そう! それしかない!」
「どこに!? この家に人を隠すところなんてないわ!」
「じゃあどうしろって言うんだ! どうすればいいんだよ!」
アトラはひたすら右往左往して、ロキッサは黙り込んだ。
するとロキッサは何かにハッと気がつき、バロールを見た。
そしてぎゅっと唇を結んで彼の前に跪き、ナイフを彼の心臓の周囲に突き立てた。
「うあああ! 何をしてるんだ、ロキッサ!!」
「心臓をっ、えぐりっ、取るの!」
「何でそんなこと!」
血に塗れたロキッサが、ナイフを手に振り返る。
「あなた、言ったわよね? バロールの力は心臓のおかげだって。この心臓を奪えば、自分もバロールのように強くなれるって! そうすれば私を妻に迎えられるって!!」
「そっ、それは……」
「あれは嘘だったの!?」
「嘘じゃない、嘘じゃあ、ない!」
ロキッサが心臓の周囲に何度もナイフを振り下ろす。
「だったら、これしか、ないわ! この心臓、で! あなたが、次の王に、なるのっ!!」
「ああ、そんな……」
「ああ、取れない! なんでなの! ……手伝いなさいよ、アトラッ!」
「わ、わかったよ」
観念したアトラもロキッサの横に跪き、手持ちの短剣を心臓の周囲に刺し込む。
「このっ、この……!」
「取れないっ、何でだ!?」
バロールにはもう、痛みはなかった。
二人が揺り動かすので視界は揺れるが、その程度のこと。
(やっぱり、俺が小さいから悪いのかなあ……)
思い出すのは、あの狼と血に飾られた夜のこと。
あのとき確かに自分は変わったはずなのに、自分が未だ小さく弱いままな気がした。
(――二人が寝てたって別にいいじゃないか)
(――愛するロキッサが幸せならそれでいい)
(――親友のアトラも一緒に幸せになるんだ、申し分ない)
(――二人が消えたら、俺は空っぽだ)
(――空っぽで生きるくらいなら、俺が消えたほうがいいさ)
諦めの境地にも似た、穏やかな気持ちでバロールの意識が薄らいでいく。
しかし、次の瞬間。
「ふざけるなよ」
地獄の底から響くような声と共に、バロールの魔眼がカッと見開かれる。
ロキッサもアトラも驚いて、彼から弾かれたように飛び退いた。
バロールが立ち上がる。
心臓から流れ出る血は未だ止まらず、むしろ噴き出す勢いを見せる。
赤き瞳からも血が流れ、赤い涙を流している。
「そんなにこの力が欲しいのか。なら、くれてやる」
バロールが真上に手をかざす。
すると――バシャアァァン!! と、落雷のような轟音と光の柱が彼に降り注いだ。
「うわあああ!?」
「きゃああっ!!」
音は一度きりだった。
アトラとロキッサが顔を覆った腕を下ろして、恐々とバロールのほうを見る。
家の屋根は見事に吹き飛んでいて、建材が散乱している。
しかし、屋根はないのに夜空が見えない。
何か巨大なものが屹立していて、視界を塞いでいる。
二人はその巨大な何かを下から辿って、視線を上へ、上へと向ける。
「はっ、はっ、はっ!?」
「嘘よ、嘘……」
それは山のように大きな――遥かなる巨人だった。
「ロキッサ」
名を呼ばれ、ハッとバロールを見る。
彼は再び力なく、遥かなる巨人の足元で両膝をついていた。
「霧の巨人はお前のものだ。お前にだけ、従う」
ロキッサは困惑の表情を浮かべた。
しかし次第に困惑の中に喜び――権勢欲を刺激された顔が垣間見えた。
それを認めた上で、バロールが指を三本立てた。
「三日。俺が死んで三日で霧の巨人は消える」
ロキッサの顔が再び困惑の表情になる。
バロールは家の外を指差した。
遥かなる巨人を見た戦士たち、そして巨人たちまでもが、跪いて首を深く深く垂れている。
「よかったなあ? もう、お前に逆らう者はいない。三日間、せいぜい、楽し、め……」
バロールの魂が死の境界線を越える。
魂を重ねるロザリーは、彼の死の痛み、血の熱さに黙って耐えていた。
やっとそれらから解放されることに、彼女は安堵していたのだが。
「……【葬魔灯】が、終わらない!?」
いつもなら死と共に訪れる暗闇は【葬魔灯】の終わり――つまりは現実世界での目覚めであるはず。
なのに、暗闇が終わらない。
何も見えず、自分の魂がどこにあるのかすらわからない。
不安に苛まれていると、薄暗い中に何かが見えた。
「これ、は……」
それは【葬魔灯】を見ているときと同じように、誰かの目線で何かを見ている。
その光景が途切れ途切れに、暗い映像として流れていく。
そして――。
「――ヒュッ、く、はあっ!!」
ロザリーは偽りの死から甦った。
いつものように死によって冷えた身体を抱え、荒く息をつく。
しかしある瞬間、ハッと気づく。
「違う。苦しく、ない? ……待って! ここは!?」
白い花の芳香が鼻をくすぐる。
見上げれば、険しい峰々に四方を囲まれている。
「エリュシオン!? なぜなの、【葬魔灯】は終わったのに!」
バロール視点はこれで終わり。
9話はちょっと長すぎましたねぇ……





