268 葬魔灯バロール―8
翌朝。
バロールが顔を洗っていると。
「族長バロール」
「おお、族長バドリ。まだこの集落にいたのか」
「ご挨拶だな。昼前には帰るさ」
「そうか」
「アドゥの娘を妻にしたらしいな?」
「……俺はした覚えはないが。ロキッサの気持ちはどうなるのかねえ」
「今は部族の存続が優先だ。わかってもらうしかないだろう」
「簡単に言うね」
「簡単さ。難しい事柄に比べればな」
含みのある言い方に、バロールが尋ねる。
「難しい事柄? 何かあるのか?」
「次はどこを攻めるか、とかな?」
袖で顔を拭いていたバロールは、それを聞いて固まった。
「……正気か、族長バドリ?」
「勘違いしないでくれ。俺が望んでるわけではない」
「じゃあ、誰が?」
「戦士の儀式に出た他の部族のいくつかと……あとお前が倒した巨人の村の連中だ」
「何でだよ!? 巨人の村を潰したばかりだろう! 何でそうなる!?」
「何でって、お前――」
バドリはバロールの肩に腕を回し、語りかけた。
「お前に従属する部族は、お前の集落の周囲に村を構えている部族だ。俺の部族もそうだな?」
「ああ」
「今回、皆がお前が巨人より強いと知った。そうするとどうなる?」
「わからん。どうなるんだ?」
「もっと豊かに安全に暮らしたくなる。強いお前に従っているんだから当然そうなるべきだと考えるんだよ。この集落はいい、友好的な村々に囲まれていて便利だし、貢ぎ物もあって豊かだ。他の村が防壁になるから安全でもある」
「……もっと従属地を広げて、その内側になりたいってことか?」
「そういうことだ」
「そんなの――」
バロールはバドリの腕を払い、彼の胸ぐらを掴んだ。
「――きりがないじゃないか! どうせ次に従属させた部族がまた戦えと言うんだろう?」
「そうだよ、バロール」
バドリは胸元を掴ませたままにして、穏やかに言った。
「きりがない。終わりがないんだ。部族同士の争いは世の常だからな」
「他人事みたいに……!」
「いいや。俺はお前を助けるよ、戦士バロール。お前が巨人の村を滅ぼすのを見たとき、そう決めた」
「……」
「火蓋を切ったのはお前自身。あとは守るか攻めるかの違いでしかないんだ」
「……勝手に決めるな」
「俺が決めたんじゃない、初めから決まってるんだ。……アドゥの娘を妻にすることになったとき。お前は人々に求められて、それに抗えたのか?」
「……っ」
「そういうことだ。族長ってのは下々の奴隷なのさ」
バドリはニッと笑い、後ろ手に手を挙げて去っていった。
(あ……また……)
ロザリーの耳にカチリ、カチリとネジを巻くような音が聞こえ始める。
音の間隔が次第に縮まっていき、バロールの目線で見ている光景が、みるみるうちに変化していく。
バロールの集落が日を追うごとに大きくなり、人口も増えていく。
従う戦士は万を超えた。
そしてあるタイミングでカチッ! と音を立てて場面が止まる。
「バロール!」
集落の子に名を呼ばれ、彼は手を挙げて応えた。
子供たちの集団から歓声が上がる。
もう小さい彼のことを馬鹿にする者はいない。
彼は〝巨人の王〟と呼ばれていた。
もちろん『王となった巨人』ではない。
『巨人を従える王』の意だ。
誰もが彼を英雄としてみていた。
バロールは王となっても歪なままだった。
〝低き者〟のように小柄なのに、巨人並みかそれ以上に力が強い。
優しいのに激しやすく、愛情深いが憎しみを忘れない。
そして暴力の信奉者であるのに異様に思慮深かった。
バロールは大事なことは話し合って決めた。
アドゥがやっていた手法だ。
族長や戦士団の長が二十人ほど集まり、議題について協議する。
副官的立場の族長バドリが口を開く。
「今日の議題は、先の戦でのボジルの単独行動についてだ。敵の挑発に乗って持ち場を離れ、右翼を危機に晒した。――認めるか、ボジル?」
ボジルと呼ばれた髭の戦士長はふいっとよそを向いた。
バドリはバロールに向かって「ずっとこの調子だ」と腕を広げた。
「持ち場を離れたことには間違いないんだな?」
そうバロールが皆に問いかけると、右翼にいた族長や戦士長から頷く声が上がった。
「なら掟に従い、土刑三十日だな」
土刑とはガーガリアンには馴染みある刑罰で、岸壁をくり抜いた穴倉に閉じ込める刑だ。
刑期の間は一条の明かりも射し込まない穴倉で、水も食事も取らずに耐え抜かねばならない。
「そりゃあんまりだ!」
「三十日なんてボジルが死んじまう!」
族長たちから不満の声が上がり、それを見て侍従として横に立つアトラが言う。
「バロール……さすがに厳しすぎるんじゃ」
しかしバロールは即座に首を横に振った。
「俺たちの敵は常に俺たちより数が多い。だからまとまって戦わなくちゃならないんだ。ボジルの罪は右翼を危険に晒したことじゃない。俺たち全員を危険に晒したことだ」
正論に皆が押し黙り、当のボジルがボソリと言った。
「……異論はねえ」
「そうか」
バロールは大きく頷き、それから言った。
「ときにボジル。俺はお前には聞かなきゃいけないことがひとつある」
「なんだ」
バロールはこれから戦に赴くような鬼気迫る顔になり、ズイッと身を乗り出した。
周囲はその迫力にたじろぐ。
「ボジル。お前、俺をコケにしたクソ野郎をどうした?」
バロールがこう聞くのにはわけがある。
先の戦で敵部族は、バロールを〝小さき者〟、彼以外の戦士を〝小さき者の奴隷〟と言って、繰り返し挑発してきていた。
ボジルが思わず持ち場を離れたのも、主たるバロールをあまりにしつこくなじられたからだった。
ボジルは目を剥いて言った。
「必死に逃げるあいつに追いついて、背中に棍棒ぶちかましてやった。それで立てなくなったから、手足を順番に砕いて、最後に囀った舌を切り落としたぜ。そのまま捨てて置くのもかわいそうだったからよう、あいつの村まで連れてって、村の真ん中に吊るして晒してきた。その頃には死んでたがな?」
バロールはニタリと笑った。
「よくやった。土刑は三日に負けといてやる」
わっ、と歓声が起き、拍手が起こる。
「今回だけだからな~? 二度と持ち場は離れるなよ?」
そう言いながら会議の場を離れようとしたバロールを、バドリが慌てて止める。
「待ってくれ、バロール。もうひとつ議題がある」
「冗談だろ? もう半年分は話し合ったぜ?」
族長や戦士長たちが笑う。
しかしバドリはその雰囲気にもめげず、次の議題を口にした。
「巨人たちの処遇についてだ。いい加減、手を打たないと」
「それかぁ……」
バロールは頭を掻いた。
バロールが勢力を拡大していく中で、帰順する巨人が出てきた。
ところが巨人というのは頭の中身からして違うようで、うまく扱うことができないでいた。
良く言えば〝誇り高い戦士〟。
悪く言えば〝傲慢な配下〟。
それが帰順した巨人の姿だった。
どこどこの部族と戦うといえば勝手についてくるのだが、どう戦え、いつ戦えという命令には聞く耳を持たない。
巨人にとって戦とは彼ら個人の物であり、帰順してもどう戦うか口を出される謂れはない、と考えているようだった。
帰順した巨人が一体のうちはまだ良かった。
だが数体に増えてくると困ったことが起きた。
巨人の同士討ちだ。
戦についてそんな考え方なので、ことあるごとに巨人同士で衝突してしまう。
今はまだ死者までは出ていないが、やがて大問題になることは目に見えていた。
「ん~……そのうちな。今日は終わりだ、帰った、帰った!」
「待ってくれ、バロール!」
「これは無理なんだよ、バドリ。巨人は考えを改めるってことを知らねえ」
「お前が間に入れば――」
「――奴らに仲良くしてもらうために俺がヘコヘコしてたら、奴らは裏切るぜ? 腰を低くするのは弱くなったからだと考える」
「……っ」
「そんなに背負い込むな。同士討ちが起きたってお前のせいじゃない」
「だが、バロール。戦が同時に二つ三つと起きたらどうする? すべての前線にお前が立てないなら、巨人の力は重要だ!」
「それは……できるだけバラして使うしかないんじゃないか?」
「……とりあえずはそうするが」
バドリが引き下がり、会議が終わった。
バロールは集会場を離れ、疲れた心地で集落を歩いていると、バドリが追いついてきた。
「今夜はロキッサのところか?」
つい今しがたまで深刻な話をしていたのに、こんな軽口を振ってくる。
バドリはこういうところが上手かった。
「……いや、ジズバを可愛がりにな」
「フッ、まだあの女戦士を飼っているのか」
「いい女だぞ? これだけしつけても気骨を失わない」
「ほどほどにな?」
「ああ」
「じゃあな!」
バドリの「ほどほどに」には、たまには正妻であるロキッサのところに顔を出せ、という意味合いが含まれていた。
(……できないよ、それは)
バロールはロキッサに一切、手を出していなかった。
族長になるための婚姻以来、ロキッサは前にも増して寡黙になった。
そんな彼女を慮り、バロールはできるだけ彼女に関与せず、しかし暮らしに不自由のないように手配していた。
「……ま、話し相手にはアトラがいるからな」
バロールは一瞬ロキッサの家のほうに向けた足を、再びジズバの家へと向けた。





