264 葬魔灯バロール―4
葬魔灯が長引いております……。
3、4話で終わる予定が、膨らませすぎてまだ半分くらいの進捗で……。
もう少しだけお付き合いくださいませ。
――ドゴッ。
一発目でバロールの意識が揺らいだ。
続いて二発目、三発目。
(いつものじゃ――ないっ!)
ドグッ。
遠慮のない蹴りがバロールの顔面を捉えた。
「ギャッ!」
踏まれた猫のような悲鳴を上げ、ゴロゴロと地面を転がるバロール。
蹴られた目の辺りを押さえると、ぐちょりと濡れている。
その傷を見せるようにしてアドゥを見上げたが、彼の表情は変わらない。
「ちっ、違うんだ、アドゥ。あああ、あんたを笑ったんじゃなくて……」
アドゥは藁置き場の屋根を支えていた柱を拾い上げ、それを大きく振りかぶった。
「ヒッ!」
ガヅンッ!
周囲の残骸にぶつかり、身体を小さく丸めていたバロールは難を逃れた。
仰向けに腰を抜かしたまま、アドゥから後ずさる。
すると。
「……殺せ。殺せ!」
あの女戦士が声を上げた。
その声に続き、周囲の者も声を上げる。
「殺せ!」
「小さき者め!」
「歪な子!」
バロールが助けを求め、目を走らせる。
アトラと目が合ったが、彼はすぐに目を逸らした。
ロキッサも見つけたが、彼女はこちらを見てもいなかった。
「殺せ!」「殺せ!」「殺せッ!」
周囲の者の声がさらに高まる。
バロールは知っていた。
自分が疎まれていること、邪魔者と見られていること。
だがここまで憎まれているとは想像していなかった。
アドゥが呟く。
「……育てるべきではなかった。間引いておくべきだった」
(殺されるっ!)
そう直感したバロールは、無抵抗を止めて四つ足の動物のようにして、その場から逃げ出した。
アドゥは追って来なかった。
だが代わりに他の奴らが追ってきた気配がしたので、バロールは必死になって逃げた。
バロールは集落を離れ、山の裏側へ走った。
そちらは集落の大人たちですら滅多に入らない場所だからだ。
バロールと記憶を共有するロザリーがハッと気づく。
(待って、バロール! 大人たちが入らないのは――)
痛みを堪えて必死に走り、集落の明かりが見えないところまで来た。
そこからは頂を目指して上へ、上へと登る。
暗さで何度も転倒した。
上に行くほど寒さに凍える。
アドゥにやられた傷も痛む。
特に目の怪我が酷く疼く。
それでも走り続けていると、やがて足が痺れてきて、ついには走れなくなった。
歩いていても自分の呼吸がうるさくて、追っ手がいるのかわからない。
だから彼は立ち止まり、振り返った。
集落からの追手はいなかった。
だが別のものが彼を追っていた。
バロールが垂らした血痕を、臭いを嗅ぎながら辿ってくる獣がいたのだ。
一匹、二匹、三匹……闇に光る眼はもっといる。
(――狼がいるからよ。戦士でも厄介な相手だから)
するとそのロザリーの思いと会話するように、バロールが叫んだ。
「それでもアドゥの相手をするよりマシだ! さあ、来やがれ!」
その狼の群れは人を狩るのに慣れていた。
やたらに飛びかかっては来ず、ゆっくりと彼を囲む。
バロールは油断せず、四方を交互に見ながら狼を牽制した。
しかし――。
「うぎっ!?」
左から飛びかかってきた狼に、首元を噛みつかれた。
「あっ? なんで」
さっそく見落としたことに動揺しながら、首を噛んだ狼に所持していた短刀を刺し込む。
息絶えた狼を払い落とし、それから負傷していた左目に手をやる。
「……アドゥの蹴りで潰れてたのかよ。くそっ」
眼球が潰れていて、これはロキッサの薬でも治らないことはバロールにもわかった。
新たに負った首の傷を押さえながら、バロールは戦った。
狼はしつこく、二、三頭やったくらいでは諦めなかった。
それでもバロールは奮戦し――やがて夜明けが来た。
「……ふーっ、ふーっ」
バロールの手に短刀は無かった。
ズボンの裾を噛みつかれて引き倒されたときに、狼の口に刺し込んだら、噛まれて取られたのだ。
左目は潰れ、残った右目も出血が多いためか霞んでよく見えない。
「ガウッ!」
一頭が飛びかかってきて、ももを深く噛まれた。
堪らず膝をつく。
手で押し退けようとするが、それもままならない。
それを見てか、もう一頭。
首を庇って身をよじると、肩を噛まれた。
「あ、ああ……」
牙が肉に深く入る感触に、バロールの口から初めて諦めにも似た声が漏れ出る。
気の早い狼は、もうバロールを食い始めている。
バロールは現実を拒むように、遠くに目を向けた。
山の頂に訪れた夜明けの光景は荘厳だった。
「……何で笑っちまったかなあ」
新たな一匹が飛びかかってきて、その重みでバロールが地面に倒れる。
視界一面が明るむ空に包まれた。
輝く雲がたなびく美しさは生きる希望を呼び起こすもので、それが余計に彼を絶望の淵に追い落とす。
「――あああああああ!!」
バロールは絶叫した。
狼たちはそんなもの気にもせず、横倒しになったバロールを食らっている。
それでも彼は残る命を削って叫び続けた。
「俺が何をしたッ!!」
「俺が悪いのかよ! 笑ったから!?」
「違う!! こんなナリだからだ!! じゃなきゃ笑っただけで殺されるかよッ!!」
「ふざけんな!! ただそう生まれただけだ!! 運悪く!! 場所が間違ってただけだろッ!!」
(ううっ……!)
魂を重ねるロザリーに、バロールの苦しみが重くのしかかる。
それは死に瀕した肉体的な痛みだけではない。
これは違う。
許せない。
受け入れがたい。
そんな彼の怒りは彼自身を焦がすほどに燃え上がっていた。
そうして怒りを吐き続けていたバロールの声も、次第に弱々しくなっていく。
「違う。俺が、弱い、から……力が、あれば」
そこで言葉が途切れる。
彼は死を間近にしても、その歪な運命を受け入れていなかった。
そのときだった。
『――バロール。歪な巨人の子よ』
不思議な声が響いてきた。
声の主は山の頂にあって、旭日を後光としながら降臨していた。
古の神々のような衣装をまとい、男でも女でも狼ですらも魅了しうる人間離れした美貌。
その肌は水晶のように透き通り、その髪は旭日を浴びて金色に輝いている。
それは神としか表現し得ない姿である。
事実、このときバロールはそう認識していた。
しかし。
心を同じくするロザリーはそうではなかった。
ロザリーが驚きと怒りをもって心中で叫ぶ。
(こいつ……赤目ッ!!)
神のごときその者のもう一つの特徴。
それは燃えるように赤く輝く、その瞳だった。
ロザリーの中で激情が燃え上がる。
(貴様がなぜ、ノコノコと姿を現す……!)
激怒の炎は瞬く間に燃え広がり、ピタリと重なっていたロザリーとバロールの魂が次第にズレていく。
そしてついに、ロザリーの声がバロールの口から零れた。
『許せるものか……』
バロールの瞳が紫に染まる。
『こんなところで神の真似事か?』
『ふざけるなよ。貴様は神どころか邪神ですらない。悪霊の類だろうが』
『よくも僕を殺してくれたな。僕の仇――許さんぞ、赤目!!』
そこでロザリーはハッと気づいた。
(これ、私じゃない!)
(ヒューゴ、押さえて! あなたの怒りが私とバロールを巻き込んでる!)
ここではヒューゴの気配は感じない。
しかしロザリーの叫びを境に燃え上がっていた激情は燻りながら小さくなっていき、やがてバロールの瞳から紫の色が消え失せた。
それを合図に、ヒューゴの吐いた言葉などなかったかのようにバロールと赤目が語り始める。
「あんた……神様、ってやつか? 本当に、いたんだ、な……」
『お前は数奇な星を背負って生まれた』
「……星?」
『歪な星。大いなる星。いずれ目覚め、力を手にするはずだった』
「いず、れ?」
『そう。いずれ。だがもはや、お前にそのいずれは来ない』
「何だよ、それ……」
血と牙に塗れるバロールに、最後の怒りが燃え上がる。
「何だよ、それ! だったら今くれよ! あんた神様だろ!? いずれとか言ってないで今くれよ! 今すぐにそれを寄越せッ!!」
赤く輝く目を細め、彼は言った。
『よいのか? 獣に食い殺されるより悲惨な末路が待っているかもしれんぞ?』
「これより悪い最期なんてあるかッ! つべこべ言わずに寄越しやがれェッ!!」
赤目は目だけで頷いた。
『よかろう。いずれ得るはずだった心臓の代わりに、新たな心臓をお前にくれてやろう』
次の瞬間、バロールの胸がボール状に盛り上がった。
ボロボロの服を持ち上げ、ドクン! ドクン! と脈を響かせる。
「うああああ!! 熱いッ、あうあjそうぇsdいいィィ!」
声にならぬ悲鳴を上げてバロールが悶える。
(っ、うううう!!)
魂を同じくするロザリーにも痛みが襲いかかる。
それは【葬魔灯】を重ねてきた彼女でも、今まで経験したことのない痛みだった。
バロールはのたうち回り、狼たちはその異常な様子に彼から飛び退いた。
『いずれ収まる。収まれば誰もお前に逆らえない』
「ぐ、ぐ、うぅぅ……」
『そうだ、無くした目も替えてやろう。ひと揃えでな?』
「うぐああああアアッァ!?!?」
両目に発生した熱さに刺さるような激痛を覚え、バロールが仰け反る。
彼は痛みに歯を喰いしばり、泡を吹きながら、首を捻じって赤目を睨んだ。
小柄な身体はそのままで、心臓部分が盛り上がっている。
瞳だけが輝くように赤い。
睨むバロールを見下して、赤目は牙を剥いて笑った。
『歪なお前にようく、似合っているぞ?』
そう言い残して赤目は旭日に溶けるように消えた。
痛みに憔悴したロザリーが、霞む意識の中で自問する。
(赤目……ヒューゴの【葬魔灯】に出てきた、ヒューゴを殺した原初の魔族)
(なぜバロールの前に?)
(なぜなの……?)





