262 葬魔灯バロール―2
バロールは集落の外れにある、クチの木の林を訪れた。
一人でクチの実を拾い集めるガーガリアンの少女がいる。
何やら長い棒を持っている。
「よう、ロキッサ」
「……バロール」
ロキッサは族長アドゥの娘で、物静かで美しい少女だった。
集落の中では小柄なほうだが、それでもバロールよりは大きい。
彼女は薬の調合に通じていて、特に傷薬はよく効くと評判だった。
バロールは寝床に置かれていたクチの実の傷薬を差し出して、彼女に尋ねた。
「お前かあ? これ置いたの」
するとロキッサはあっさりそれを認めた。
「アトラに……言われたから……」
「ああ! アトラにね! そっかそっか、お前が自分の意志で俺の家に来るわけないよな!」
「あれ……家なの?」
「えっ。それどういう意味?」
「……なんでもない」
「そうか? んで、何で棒なんて持っているんだ?」
「あ、これは……」
ロキッサは棒を持ち上げ、クチの木を指した。
「器にする実が欲しいの。薬は落ちてるのから作るけど……」
「ああ、落ちてるのはもう殻が弾けてるか歪んでるもんな」
クチの木はまっすぐに高く伸びている。
実はその高いところになっていて、ロキッサの持つ長い棒を使ってもなかなかうまくはいかないだろう。
「どれ、取ってやるよ」
「え。いい……」
「遠慮すんなって。よっと!」
バロールはクチの木に飛びついて、登り始めた。
彼は膂力こそ集落の男に劣るが、身のこなしには自信があった。
高いクチの木をひょい、ひょいと登っていく。
「ほら!」
「あっ!」
バロールが上から落とすクチの実を、ロキッサが落とさぬように慌てて受け止める。
「あと何個必要だ?」
「もういい……」
「だから遠慮すんなって。まとめて加工したほうが後々楽だろ?」
「時間かかる……そのときでいいの」
「俺は戦士の訓練受けられねえから暇なんだ。何なら日暮れまでだって付き合って――」
「――ダメッ! 怒られる! から……」
ロキッサの珍しい大きな声に驚いて、バロールはそれ以上は言わなかった。
クチの木からするすると降りてきて、ロキッサに尋ねる。
「……俺と関わるなって、族長が?」
ロキッサはこくんと頷いた。
「バロールだって殴られるよ……」
「そんなの慣れてるから構わねえけど」
そう口を尖らせてから、バロールはフーッと息を吐いた。
「ごめんな、ロキッサ。困らせるつもりじゃなかったんだ」
「……ううん」
「でも、あれだよな? 俺を殴る暇があるなら薬の材料集め手伝えばいいのに。だって傷薬をやたら使うのは戦士だろう?」
ロキッサはぶんぶんと首を横に振った。
「戦士はそんなことしない……」
「そうなの? 俺、小さくて戦士になれねえからそんなの知らなかったぜ」
するとロキッサはくすっと笑った。
「おかしかったか?」
「だって……男の子ってみんな戦士になるんだって息巻いて……粗暴で、思いやりがなくて。でも……バロールって面白い人ね」
ロキッサと別れたバロールは、いつものようにその日の糧を探し歩いた。
運よく山黒鳥の巣を見つけたので、卵を二個ほど拝借し、それから野草をいくらか摘んで集落へ帰ってきた。
卵でお手玉しながら、バロールが独り言ちる。
「今日はついてるぜ。ロキッサとも話せたし――」
そして寝床である洞窟へ向かっていると、行く手を三人の男に塞がれた。
バロールは驚いて立ち止まり、それから愛想笑いを浮かべながら引き返そうとすると、後ろにも二人の男がいた。
いつも絡んでくる同世代の少年たちではない。
大人の男――集落の戦士たちだ。
すぐ左右も塞がれ、計十人の戦士に囲まれた。
バロールは逃げるのを諦め、戦士たちに卵を見せた。
「これだけ、割れないように端に置かせてくれないか? 久しぶりの卵なんだ」
すると返事は離れたところから返ってきた。
「割れてもいい。どうせお前は食えない」
「あ。アドゥ……」
ガーガリアン文化における首領とは、その集団で最も強い者である。
当然族長アドゥも集落一の戦士であり、他の戦士たちよりも一回り大きく、鍛え上げられた肉体を誇っていた。
アドゥがこちらに歩いてきて、バロールはがっくりと肩を落とした。
彼が出てきた以上、酷くやられる未来から逃れられないからだ。
「なあ、アドゥ。なんで族長のあんたが出てくるんだよ。俺、何かしたか?」
「……」
返事はなく、代わりに拳が降ってきた。
バロールは吹っ飛ばされて、地面に転がる。
アドゥは物も言わず、何度も蹴って、踏みつけてくる。
バロールはいつものように抵抗しない。
身を丸め、ただ耐える。
痛みを共有するロザリーが苦悶する。
(痛っ……! これ、死んじゃわない?)
するとそれに返事をするようにバロールの心の声が聞こえてきた。
(ぐ……耐えろ、じき終わる)
(アドゥがその気なら最初の一発で終わってる)
(殺す気はない、抗えば傷が増えるだけ)
それから散々にやられ、意識が朦朧とする中でアドゥの声が聞こえた。
「ロキッサは次の族長の妻になる女だ。戦士でない者が近づくな」
(あ、それかあ……)
最後の一発を食らい、バロールは気を失った――。
「――ロール! バロール!」
「……ハッ!?」
バロールは跳ね起きようとして、身体の痛みでまた地面に倒れた。
アトラの顔が上から覗き込んでくる。
「ごめん、遅くなった。アドゥが手当てするなって言ったから、夜を待たなきゃいけなかった」
「えあ。もう夜かあ……」
アトラの顔越しに見える空には星が出ていた。
「でみょ……手当てしてにゃぐられないか?」
「だから顔が見えない夜にやってるんだよ。もう喋らなくていいよ、口の中が切れてる」
「ん……わきゃった」
バロールはふと、懐がぐちょりと濡れていることに気づいた。
こんなところから出血してるとさすがにマズいと思い、手を突っ込み、血かどうか確認する。
「え、何それ?」
バロールの手を見たアトラが不審がる。
バロールはもう一度懐に手を入れ、割れた卵を取り出した。
「あ、たみゃご一個、ぶじだ。やっぴゃり今日はついてる」
「このざまでよく言えるね。だいたい、その口では何も食べられないと思うけど」
「アドゥが言った、食えにゃいってこういうことか……」
「……みたいだね」
それから二人は声を殺して笑い合った。
星下、追憶の光景。
バロールと魂を重ねるロザリーは、どこか懐かしむような気持ちでこの光景を見ていた。
そのとき。
ロザリーの耳にカチリ、カチリとネジを巻くような音が聞こえ始めた。
音の間隔が次第に縮まっていき、それに合わせて目の前の光景が早回しになっていく。
朝と昼が瞬く間に入れ替わり、あっという間に時が過ぎていく。
そしてあるタイミングでカチッ! と音を立てて場面が止まった。
目の前にはまたアトラがいるのだが、少し様子が違う。
(アトラ、大きくなってる)
ロザリーには蛮族の年の頃などわからないが、アトラがもう少年とは呼べない顔つきに思えた。
痩せてはいるが、背丈は大人と変わらない。
バロールはそんなアトラを以前より見上げる角度で彼を見ている。
バロールの視点もいくらか高くなっている気はするが、アトラの成長とは比較にならない。
アトラが言う。声も少し低くなっている。
「早く! 儀式が始まっちゃうよ?」
「え~? 俺は出なくていいよ」
「全員参加だよ! 今回からそうするってアドゥが決めたんだ! バロールも知ってるだろ?」
「はいはい。じゃあ遠くから見とくよ、お前の晴れ姿をさ」
するとアトラは嬉しそうにはにかんだ。
(ここで場面が止まったことには意味がある)
ロザリーが予感する。
(バロールは変わるのね)
(この日、変わってしまう)
(彼にとって運命の日……)
二人が集落に帰り着いた。
集落中央の広場には、いつもは無い大きなかがり火が焚かれている。
宵の口の薄暗さを、二人は駆けていった。





